3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井から石川、そして富山に引き継がれた。既に2か月以上が経ち、33番目まで府県を通過した。
たとえコロナ禍で公道を走れなくても、聖火を繋いで行った一人ひとりの思いは伝わる。
下記リンク中の動画も2日分ある。是非、ご覧頂きたい。
南砺市五箇山から民謡を未来に「子どもたちに伝承していく」 富山県 東京2020オリンピック聖火リレー開催レポート (olympics.com)
筆者が富山県の五箇山を知ったのは、最近の事である。多くの外国人が世界遺産の白川郷(岐阜県を聖火が通った時の本ブログでも触れた)を訪れて感激したのを聞いていたが、筆者はなかなか訪れる機会がなかった。それで、訪れる機会を得て調べていたら、世界遺産になった合掌造りは、岐阜県の白川郷のみならず富山県の五箇山にもあることがわかり、それも2箇所あると知り、両方行ってみることにした。
そして、ガイド・ブックに、小さな「こきりこ」という文字を見つけ、まさか、小さい時に習った歌、♪こきりこのお竹は…♪が、この世界遺産の五箇山のものだったのか、と不思議な幼少時代の懐かしい音の想い出が脳裏に浮かび、思わず口ずさんだ。
五箇山にはバスを乗り継いで行った。富山県南砺市城端町で一度バスを降りると、遠くに日本アルプスの山並みが見えた。晴れた空に、水色の山肌と雪景色の白が美しく光って見えた。城端の町は、田畑が周りに広がり、穏やかな日差しで、雪も積もっていなかったが、そこからバスで山を登って行くと、次第に険しい道になり、ふっと気づくと、窓の外の山林には雪が深く積もっていた。この景色の変わり身に驚き、興奮するとともに、自然の偉大さを感じずにはいられなかった。そして、奥深い雪山に入りながら、私が口ずさんだのは、やはり、あの「こきりこ節」、♪まどのさんさもででれこでん、はれのさんさもででれこでん♪だった。
五箇山は白川郷より小さな集落であり、より静かで素朴だった。民俗館で丁寧にお話をして下さったおばあさん、何だか箱から大事そうに棒を取り出して、くるくる回しながら歌い出した。♪こきりこのお竹は7寸5分じゃ、長いは袖のかなかいじゃ♪「棒の長さはこの長さ、これ以上長いと着物の袖のじゃまになるのよ。」と説明下さる。ああ、やっぱり、子供の時に習った歌の原点は、ここにあったのだ。何だか、日本の「心のふる里」を見つけたような気がした。現地では、今でも「こきりこ節」を小学校等で習うそうだが、もはや東京等では、筆者が昭和時代に習ったように各地の民謡を習うことはあまりしていないようだ。とても残念である。
富山県の聖火ランナーの中谷真也さん、民謡や合掌造り等、ご先祖様が残してくれたものを、そのままの形でつないで行きたいと語る。とても大事なことである。「ふる里」があるから人々はそこに集まる、そこに戻ってくる、そして、そこを心の拠り所にするのである。そこは、なぜか、とてもとても懐かしい場所なのである。だからこそ、故郷と呼ぶ。
今年の北陸地方の豪雪で、合掌造りの家が、雪で埋まりそうになったくらい山奥深い世界遺産の村。ちょうど、どこかの麓の町の若いお医者さんが、車で巡回に来たところだった。「何か変わりはありませんか。」、そんな何気ない明るく静かな訪問が、人と人とをつないで行くのかもしれない。
五箇山の夜は暗い。だからこそ、「聖火」のような灯は、より暖かく、より明るく感じるのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿