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2021年6月7日月曜日

聖火、日本をつなぐ(新潟)6月4日~5日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟に引き継がれた。

 新潟は、初日が土砂降りだった模様。それでも、聖火ランナーの皆さんは笑顔で聖火をつなぎ、「雨が冷たくても、火や人の心の温かさを感じた」「応援の熱気を感じた」等と語っていた。以下のサイトで、詳細を是非ご覧頂きたい。

災害医療チーム立ち上げた整形外科医「走らせてもらう分自分も頑張る」新潟県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 日本は災害大国。新潟中越地震もあった。その被災者であるお医者さんが立ち上がる姿勢も、オリンピック・パラリンピックと同様、世界の人々に感動を与えると思う。コロナでも医療従事者は大変な思いで患者さん達に接して治療している。それを忘れてはいけない。

林業携わる地元ランナー「公道で聖火リレーができてうれしかった」 新潟県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 新潟と林業と雪というと、筆者には、一つの想い出がある。2011年は、3月11日に東日本大震災が起こり、日本にとって災難の年となったが、筆者にとっても、家族にまつわる2つの災難に見舞われた。人生の中でも、なかなか経験できない事が、同時に起きてしまった。

 そんな中、以前から探していた木の八角形のテーブルに出合った。少し小さめだったので、もう一回り大きいのを頼んだのが、2011年の暮れだった。新潟の糸魚川の工房で作成され、テーブルが届いたのが、2012年のお正月。朝早く新潟を出て、車で東京に届けてくれた。東京は雪と無縁の穏かな冬だったが、新潟から着いた軽トラックには雪が積もっていた。寒い朝に、丁寧にテーブルを毛布にくるんで運んで下さったのだと想像して感謝した。

 その木のテーブルを使い始めてから、家族の災難は解決し、より良い方向に人生が進んだ。木のぬくもり、そこには新潟の人々の温かさが感じられた。有難い。

 筆者は、一度、林業の間伐の森林体験をしたことがある。ヘルメットを被って、長袖長ズボンで軍手を付けて、山の中に入って行った。その時に林業をされている方から聞いて忘れられないのが、「魚は一日漁に出れば釣れる、作物は半年か一年で実る、しかし木が育つには何十年、何百年もかかる。自分が生きているうちに育ったのが見られない事も多いのだ。」というお話である。

 日本は海洋国家でもあるが、国土は森林、山で覆われている。それ故、美しくもあり、水が豊富である。水か豊富できれいであるから、清潔も保たれるし、お風呂も毎日入る習慣がある。こういう自然の恵みにあずかって生きていることに、改めて感謝したい。

 新国立競技場が日本の47都道府県の木を利用して建設されたことは、Suzuki

Kuniko "The Olympics and the Japanese Spirit" (The 22nd century Art)でも書いた。

 木は風を通す。木は、空気を通す。きっと、コロナ禍を吹き飛ばす魔法が、木には隠されているのではないだろうか。それを期待したい。

 


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