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2019年1月31日木曜日

皇太子殿下のフランス行啓の足跡を訪ねて(2)

 2018年11月9日、私は、フランスの第2の都市、美食(グルメ)で有名なリヨンにいた。この日の目的は、二月ほど前の皇太子殿下の行啓時に、リヨンの市庁舎で行われた午餐会の担当をされたシェフ、ギ・ラソゼ(Guy Lassausaie)氏にインタビューすることだった。パリ在住の友人Tomokoさんが予約をして、インタビューの承諾も得てくれた。
 ギ・ラソゼ氏のレストランは、リヨンの郊外、車で30分位の田舎町にある。100年以上続く老舗の、ミュシュラン2つ星のレストラン。ユーバー(Uber:ネットで予約し値段も事前に決まるタクシーとハイヤーの間くらいの存在、米国で始まりフランスでも普及)を呼び、車を走らせ、予約時間の1230前には余裕で着いた。村にとって、このレストランの存在は大きい。何と、家族の名前がパス停にも付いていた。



皇太子殿下を歓迎してのリヨン市庁舎での午餐会のメニューは、一部フランスのメディアで報道されたが、全部は出ていなかった。「どんなメニューを、どのように選ばれたのですか。」と伺うと、当日のメニューを出してきて下さった。日本の外交団と相談しながら、あまりこってりしずぎないように、地元の食材を使用して選択されたそうだ。
 当日は、皇太子殿下とも会話を交わしたそうだ。初めは緊張してどうしようかと思ったが、「とても気さくで丁寧な方でした。地元食材のことを聞かれ、ご説明しました。」と話して下さった。私達が、昼食のコース料理を頂いていると、さりげなく、お給仕するスタッフの方が、「シェフから一皿サービスです。」と、
皇太子殿下にもふるまわれた、カエルとセップ茸のお料理が出された。本物の卵の殻を割った中にお料理が詰めてあり、卵の殻を割らずにきれいに切り準備するだけでも「匠」の技だと思った。
 ギ・ラソゼ氏のレストランには、日本のシェフたちも研修に来ると言う。そして、ギ・ラソゼさんは、年に最低2回は日本に行くそうである。彼が監修するレストランが大阪に存在する。こんな美食の日仏交流である。




 そして、もう一つ、ギ・ラソゼ氏のレストランで発見があった。デザートの時に、コーヒー、紅茶が出て来ないので、あれっと思っていた。すると、席を移して、団らんしてお茶はすることになっていた。そのラウンジ的な壁にシェフたちの調理する姿やフランスの風景の絵が飾ってあった。インタビューや素敵なおもてなしへの御礼に、私が拙著『オリンピックと日本人の心』を、「日本語ですが……。」と渡すと、ギ・ラソゼさんからも「家のレストランのことを学んで下さい。」と立派な本を頂戴した。それをめくると、最初のページにFoussaro(フサロ)と、画家フサロのサインが現れた。フサロは、リヨン出身画家で、ご高齢で健在であることは知っていたが、まさか、このレストランで出合うとは思わなかった。ギ・ラソゼさんに伺うと、「古くからの友人。ここに飾ってある絵は、全て彼のもの。」と言われた。
 美食と美術、フランスは日本と通ずる芸術の国である。私の旅は、まだまだ続く。






2019年1月30日水曜日

皇太子殿下のフランス行啓の足跡を訪ねて(1)

 2018年(平成30年)9月7日~15日、皇太子殿下は、日仏国交160周年を記念して、フランスに行啓された。それから2か月後の11月7日~16日、私は期せずして、同じ様な旅程でフランスを訪ねていた。当初の私の訪仏目的は、11月11日の第一次世界大戦の終結100周年の国際記念式典をパリで見ることだった。100年に一度の機会、それも日本が戦勝国の一員として、そして五大国の1つとして、国際社会で認められた歴史を、改めて感じ学びたいと思ったからだ。それも、その年が、日仏国交160周年、明治維新150周年とも重なる。日米、日英、日仏等と修好通商条約を結び、門戸を外へ開放して行く中で、明治維新が成し遂げられ、それから、日清戦争(1894年~95年)、日露戦争(1904年~1905年)を経て、日本は第一次世界大戦(1914年~1918年)に参戦した。
(第一次世界大戦終結100周年記念式典に関しては、下記ブログを参照下さい。

https://kunikosuzuki.blogspot.com/2018/12/100.html)

 2018年11月7日、私は、フランスの第2の都市リヨン、サンテグジュペリ空港に降り立った。「星の王子様」(le Petit Prince)の国、その故郷から、日本の王子様、皇太子殿下の2か月前の足跡を辿る旅は始まった。雨降るリヨンは、夜の街明かりに照らされてきらきらと輝いていて、まるでそこら中に星の王子様が宿るようだった。















広場近くの星の王子様とサンテグジュペリの銅像


さて、皇太子殿下は、何故、今回、リヨンからフランス行啓を始めたのだろうか。そのヒントは、皇太子殿下が日本を発つ前の9月5日に行った記者会見のお言葉の中にある。
皇太子殿下は、次のようにおっしゃられた。

2014年に世界遺産に登録された富岡製糸場は,リヨンの絹工場で働いていた技師,ポール・ブリューナ氏を始めとするフランスの技師や職人の指導により建設されたものであり,そこでの工員への技術移転がその後の日本の産業発展を力強く支えたことはよく知られていると思います。また,横須賀の造船所建設を指揮したフランソワ・レオンス・ヴェルニー氏は,単に造船所を建設し,艦船の建造や修復に携わっただけではなく,日本人技師の育成にも取り組み,我が国における理工系教育の発展にも大きな役割を果たしたとされています。

また、9月15日のフランスご訪問を終えられてのご感想の中でも、「19世紀半ばに蚕と生糸から始まった日仏交流の絆」と皇太子殿下は述べられている。

 11月8日、私は、皇太子殿下がご訪問されたというリヨンの織物博物館に立ち寄った。
織物博物館の方々に、皇太子殿下についての印象を伺うと、「とても丁寧な方だった。」「とても親切。」「光栄なことだった。」等、話してくれた。
 皇太子殿下は、特に、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌ妃のドレスをじっくりご覧になっていたとも現地で聞いた。
 私が、リヨンの織物博物館を訪問したことにはもう一つの理由があった。それは、今日でも日本の着物文化の1つとして誇る西陣織の発展に、フランスのジャガード織機が貢献したと聞いていたので、それを確かめてみたかったからだ。1階の奥にジャガード織機を見つけた時は、日仏交流の証を発見したような気分で、とても嬉しかった。そして、博物館の2階に上がると、日本の着物や能装束を見つけた。西陣の織元、山口安次郎氏が、かつてジャガード織機の故郷のリヨンに御礼の気持ちを込めて寄贈したものと聞いていた。
 皇太子殿下も、日仏の絹の交流を、こんな風にお確かめになりお感じになられたのだろうか。

ジョゼフィーヌのドレス
織物博物館の入口


ジャガード織機

山口安次郎作・能装束

  
ジャガード織機が西陣織の発展を助けたと上記したが、逆に、日本がフランスの繊維産業を助けた歴史もある。フランスの蚕が病気になり、絶滅しそうになり困った時に、日本からフランスに蚕卵紙が贈られ、フランスの織物産業が継続できたということである。
 日本とフランスの交流は相互的であり、持ちつ持たれつの関係だった。
 そんな日仏交流の歴史は、生糸や技術ばかりではない。美食のフランスと日本だからこその話もある。続きは、明日以降、お楽しみに!




2019年1月8日火曜日

七草の思い出

今日は七草でした。
皆さんは、七草粥を召し上がりましたか。
お正月のご馳走の後、。胃を休める、胃をきれいにするために、野菜の入ったお粥は健康に良いと言いますし、昔から、七草がゆを頂くと一年、無病息災でいられるとも伝えられてきました。
春の七草を、「セリ、なすな、ゴギョウ、はこべら、ほとけのざ、
すずな、すずしろ、これぞ七草」と和歌にして覚えた子供時代。
そして、キッチン(お台所)で、母が、「こうやって歌を歌いながら、七草をまな板の上で刻んだのよ。」と、明治の祖母から教わったことを、私にも教えてくれた思い出があります。
🎵「七草なずな 唐土(とうと)の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン」🎵
まな板をたたく音と、歌の調子が、冬の静かな空気に上手く響いていました。
日本の家庭風景……。これを、私は子供達にどれほど伝え残していけるのでしょうか。

七草というともう一つ思い出があります。
丁度30年前の今日、1989年1月7日、雨の降る何となく暗い日でしたが、昭和天皇が崩御されました。激動の昭和を、日本国の元首として、日本国民のことを思い、国家の平和と繁栄を祈り、行動下さいました。太平洋戦争終結の1945年には、44歳でいらっしゃりながら、ご自身の命よりも日本国民の命を守るべく、マッカーサー元帥に直訴されました。
1989年に崩御される前年も、最後まで沖縄に行幸されることをとても望んでいらっしゃいました。昭和天皇の吐血が続かれる苦しい時期、国民もご快復を願い、バブルの真っ最中でありながら、銀座から忘年会時期に明かりが消えました。国民一人一人が、昭和天皇と同じ気持ちになろうと、自粛したのでした。
とても不思議なご縁でした。私は、昭和天皇の崩御の後、外務省に呼ばれました。その年の4月から入省することが内定していたので、外務省内に設置された「大喪の礼準備事務局」で働くことになったのです。2月の大喪の礼の当日は、それまでずっと晴天だった東京の空は、寒い雨の日となりました。大喪の礼が執り行われた新宿御苑、その控えに待機する医務官のアシスタントとして私はその場に居合わせました。2月の寒い雨、各国大使らには、黒い布袋に入れたホカロンを渡しました。
その日の映像を今でも覚えています。降りしきる雨の中、武蔵野陵に向かわれる昭和天皇の棺をお見送りするため、沿道に多くの国民が直立不動でいたことです。
昭和は遠くなりにけり。されど、後世に語りつぐべき事、多し。

1月7日は平成が始まった日でもあります。
本日の武蔵野陵は快晴でした。穏やかな日でした。30年を経て、今年の新しい御代を、
昭和天皇が、お天とう様とともに、見守っていて下さるような希望を感じました。


2019年1月3日木曜日

New Year's Concert

At the beginning of the year, on the 1st of January, I love to listen to the New Years Concert of the Wiener Philharmonic Orchestra. It is very famous all over the world.
Even in Japan, we can listen to this concert at the same time as in Vienna, and when I was in Helsinki, Finland, in January 2017, I watched the Wiener Phil. New Year's Concert on TV.

The first time when I went to Vienna was in December 1991, when I was living in Paris. The year 1991 was the 200 years after the passing away of Amadeus Mozart and I had an invitation of a concert from a friend who is pianist living in Vienna.
Of course, I discovered the beautiful music of Mozart, and at the same time, the charm of Strauss music which is really very Wiener!

I was again in Vienna in December 2016, the year of 260th anniversary of Mozart's birthday.
 On the first day, I went to the Mozart Concert in a Church,  on the second day, I listened to the Symphony No.9 of Beethoven played by the Wiener Symphony Orchestra at Koncerthous, and on the 3rd day, I watched the Operetta Fledermaus at Folksoper. Every time I listen to the music in Vienna, it sounds like quite light and enjoyable. It makes people happy.

At the end of the yesterday's New Year's concert of  Wiener Phil, it is announced that the next year 2020's conductor will be Mr. Nelsons. Wow, he was the conductor of the Wiener Phil. in Salzburg festival in 2017 where I was exactly listening to.
My dream is that one day I could listen to the real New Year concert in Vienna.

A Happy New Year!!

One more thing : this year 2019 is the 150th anniversary of Austria-Japan diplomatic relations!
Congratulations.


2019年1月2日水曜日

2019 is the year of boar, don't be too rackless, one by one......

A Happy New Year 2019!
In Japan, this year 2019 is called the year of boar, according to the Chinese calendar of 12 animals.
It is said that the boar is rackless and it runs fast strait towards objectives.
Sometimes it is good, but if you run too fast without looking around yourself, you may fall down or you may mistake your ways to your goals.
Be careful, in the year of boar, you should go one step by one step, maybe more consciously than usual.
Anyway, this year may bring you lots of happiness throughout the year!


2019年1月1日火曜日

猪突猛進のイノシシ年2019年はゆっくりと……

皆様、あけましておめでとうございます。
初詣では、何をお祈りしましたか。
今年はイノシシ年で猪突猛進で頑張る方が多いのではないでしょうか。

私もそう思っていましたが、昨日大晦日の朝から背中に激痛があり、元日の今日は初詣代わりに、初通院となってしまいました。
でも、お蔭様で、今はこうしてブログを書けるまでに快復しました。

何かをためらっている時、他人から背中を押してもらって、前に進めるということがあります。今回は、その逆でした。背中から、猪突猛進は気を付けろ、と言ってくれていたようです。確かに、周りも見ずに猪突猛進したら、ぶつかったり、転んだりしそうです。
きちんと周囲を見ながら、一歩一歩進んで行く方が、実は良いのかも。

イノシシ年は、十二支の最後の年です。実は、何かを終えて、次につなぐ重要な準備期間とも言われます。日本では、平成31年が平成最後の年となり、新しい御代を迎えます。
その御代を継がれる現皇太子殿下、次期天皇陛下は、ネズミ年のお生まれです。
十二支の始めから、また何かが始まるのです。

ということで、新年が皆様にとって幸せで良い一年となりますように、心よりお祈り申し上げます。
イノシシ年は、ゆっくりと猪突猛進されますように。