ギ・ラソゼ氏のレストランは、リヨンの郊外、車で30分位の田舎町にある。100年以上続く老舗の、ミュシュラン2つ星のレストラン。ユーバー(Uber:ネットで予約し値段も事前に決まるタクシーとハイヤーの間くらいの存在、米国で始まりフランスでも普及)を呼び、車を走らせ、予約時間の1230前には余裕で着いた。村にとって、このレストランの存在は大きい。何と、家族の名前がパス停にも付いていた。
皇太子殿下を歓迎してのリヨン市庁舎での午餐会のメニューは、一部フランスのメディアで報道されたが、全部は出ていなかった。「どんなメニューを、どのように選ばれたのですか。」と伺うと、当日のメニューを出してきて下さった。日本の外交団と相談しながら、あまりこってりしずぎないように、地元の食材を使用して選択されたそうだ。
当日は、皇太子殿下とも会話を交わしたそうだ。初めは緊張してどうしようかと思ったが、「とても気さくで丁寧な方でした。地元食材のことを聞かれ、ご説明しました。」と話して下さった。私達が、昼食のコース料理を頂いていると、さりげなく、お給仕するスタッフの方が、「シェフから一皿サービスです。」と、
皇太子殿下にもふるまわれた、カエルとセップ茸のお料理が出された。本物の卵の殻を割った中にお料理が詰めてあり、卵の殻を割らずにきれいに切り準備するだけでも「匠」の技だと思った。
ギ・ラソゼ氏のレストランには、日本のシェフたちも研修に来ると言う。そして、ギ・ラソゼさんは、年に最低2回は日本に行くそうである。彼が監修するレストランが大阪に存在する。こんな美食の日仏交流である。
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そして、もう一つ、ギ・ラソゼ氏のレストランで発見があった。デザートの時に、コーヒー、紅茶が出て来ないので、あれっと思っていた。すると、席を移して、団らんしてお茶はすることになっていた。そのラウンジ的な壁にシェフたちの調理する姿やフランスの風景の絵が飾ってあった。インタビューや素敵なおもてなしへの御礼に、私が拙著『オリンピックと日本人の心』を、「日本語ですが……。」と渡すと、ギ・ラソゼさんからも「家のレストランのことを学んで下さい。」と立派な本を頂戴した。それをめくると、最初のページにFoussaro(フサロ)と、画家フサロのサインが現れた。フサロは、リヨン出身画家で、ご高齢で健在であることは知っていたが、まさか、このレストランで出合うとは思わなかった。ギ・ラソゼさんに伺うと、「古くからの友人。ここに飾ってある絵は、全て彼のもの。」と言われた。
美食と美術、フランスは日本と通ずる芸術の国である。私の旅は、まだまだ続く。