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2020年9月20日日曜日

オリンピックの灯を絶やしてはならない


 オリンピックの火を絶やしてはならない。何故なら、オリンピックは、困難な時にも、人類の希望の光、平和の火として、人々に支えられながら、灯し続けてきた歴史があるからである。

 コロナ禍で、東京オリンピック・パラリンピックが一年延期された。中止でなく延期とされたのは、そこに開催の希望を見出してのことである。しかし、新型コロナウィルス(COVID-19)の世界的収束の兆候はまだ見えない。そんな中、年末までに、IOC(国際オリンピック委員会)が何らかの正式決定をするとの報道がなされている。

 なかには、オリンピックは中止した方がいいとの声も聞かれる。しかし、私は、困難な時だからこそ、創意工夫をして、オリンピックを開催すべきだと考えている。もちろん、アスリートや大会関係者、観客等の安全対策を怠ってはいけない。

 開催すべき理由は、幾つかある。
 
 まず、世界中のアスリート達が、4年に一度のオリンピック・パラリンピックに向けて、自らの人生をかけて挑んできた。生まれて初めて参加する者もいれば、生涯最初で最後の参加になる者もいるだろう。彼らの人生をかけた努力は並大抵なものではない。その努力の発揮の機会を、容易に奪ってしまって良いのだろうか。

「賢者は歴史から学ぶ」」。ちょうど100年前、1918年~1920年、第一次世界大戦の末期から戦後処理の時代、世界を襲ったのが「スペイン風邪」と呼ばれたウィルスだった。その死者は、世界大戦の死者をはるかに超え、世界で4500万人。当時の人口を考えると、各地で甚大な被害があったことが想像できる。そんな中でも、1920年、ベルギーのアントワープでオリンピックは開催された。4月から9月まで、規模を縮小して行われたようだ。初めて選手宣誓がされ、近代オリンピックの祖であるクベルタン男爵が考案したとされる五輪マークの旗が採用された。

戦後処理や財政難に悩まされたオリンピックは、他にもあった。第二次世界大戦で、1940年の東京と1944年のロンドン大会が連続で中止となり、その後が危ぶまrたが、オリンピックは、1948年にロンドンで再開された。ロンドンでも食糧が配給時代、選手たちは、文字通り「手弁当」で参加したそうだ。日本は、敗戦国であり、米軍の占領下に置かれていた時代、オリンピックのへの参加は認められなかったが、神宮プールでは、同時刻に選手たちが水泳競技を行い、金メダル以上の世界記録を達成したという。

そもそも、近代オリンピックの始まり1896年の第1回アテネ大会から、財政難で開催できるか不安が合った中、ギリシア人の大富豪がオリンピック予算の半分程度を提供し、皆がその善意に誘われるように寄付をして開催にこぎつけたと言う。

こういうオリンピックの困難な歴史を見てくると、現在のコロナ禍で、簡単にオリンピックの火を消してはいけない気がしてきた。既に、各国は、WithコロナとかPostコロナと言って、感染拡大を防止する様々な処置を講じながら、経済活動、教育活動等、日常生活を送っている。

それなら、オリンピック・パラリンピックも同様に、Withコロナ、Postコロナを前提に考えてみたらどうだろうか。コロナ禍でしかできない東京オリンピックが新たな歴史を生むかもしれない。
 例えば、水泳競技など個人・チームの記録を競うものは、世界幾つかのプールを同時中継し競うという方法もある。既に、日本では、長野オリンピックの開会式で、小澤征爾指揮のもと、世界5大陸を中継し、「歓喜の歌」を演奏した経験がある。
 柔道など、対面で争う競技については、PCR検査を徹底させ、陰性の限られたメンバーのみ期間限定で場所を定めて練習及び試合を行う。感染者が出たら即刻一時停止し、少数なら消毒して再開、クラスターなら中断など決めておく。
 観客等については、マスク、アルコール消毒、人と人との距離を開ける等を徹底させる。当初より観衆が少なくなってしまうのは止むを得ないだろう。その分、オンライン等で対応する。

 こうして考えてみると、この我々のコロナ体験は無駄ではなかったのかもしれない。「2020+1」の「+1」には大きい意味がある。2020723日に池江璃花子選手が国立競技場で行ったメッセージが目に浮かぶ。

 歴史は人が作る。オリンピックも例外ではない。