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2022年2月11日金曜日

日本の多様性:フィギュア・スケーター、鍵山、宇野、羽生が見せてくれたもの

 2022年2月10日、北京冬季五輪大会では、男子フィギュア・スケートのフリーの演技が行われ、メダリストが決定した。

 金は米国のネイサン・チェン(22歳)、銀が鍵山優真(18歳)、銅は宇野昌磨(24歳)だった。史上初の4回転半のジャンプに挑んだ羽生結弦(27歳)は4位となった。

 演技後の選手たちのインタビューは冷静で、淡々としていて、嬉しさを誇らしげに表現する子供の姿というものはなく、精神性の高さに、改めて尊敬の念を深めた。

 同じ日本人の選手でも、その個性はそれぞれ全く異なるのは、演技からも分かる。その多様性が、今回、2位、3位、4位を占めたこと、エキジビションにも選ばれ、見ているものを楽しませてくれる存在である。

 3人の演技の後、ある三重県の方が、「鍵山選手の初の挑戦、宇野選手の難しい挑戦、そして羽生選手の限りなき挑戦、有難うございました。」というような投稿をしていた。同じ挑戦でも、それぞれ異なる色彩や音や人生の挑戦だったのだろう。

 その美しい演技の背景に、並々ならぬ努力があること、それはスケートの練習のみならず、日々の生活にも生じていたことに、多少触れておきたい。

 鍵山優真選手:お父様の鍵山正和コーチは、元オリンピックのフィギィア・スケーター(1992年のアルベルビル大会、1994年のリレハンメル大会で13位、12位)で、日本選手としては初めて4回転に挑戦したと記録されている。そういう意味では、鍵山選手は、サラブレッドである。しかし、鍵山選手がまだ中学2年生の時に、お父様は脳梗塞で倒れられたそうで、今でも杖をついたり車椅子で移動することもあり、鍵山選手がその車椅子を押す姿が伝えられる。「メダルを父に捧げたい」という言葉には、様々な思いが込められているのだろう。

 宇野昌磨選手:平昌大会(2018年)の銀から、今回は銅ではあったが、内容的には難易度を上げて挑戦。この4年間、20歳から24歳になる過程で、宇野は、「これからは自分で自分のことを決めたい。」とコーチを付けずにやってきたこともあるが、挫折を味わい、引退をも考えたことがあったと言う。その時、自分から、ステファン・ランピエール(トリノ五輪銀メダリスト、スイス出身)氏をコーチに復活したいと思い、頼んだそうだ。二人の相性はぴったりだったことは、今日の結果と、今後への宇野の意気込みで分かる。

 羽生結弦選手:今回、演技後の得点を待つ席で、プーさんがお目見えしなかったのみならず、羽生選手は、コーチが脇に座ることなく、1人で座っていた。コロナ禍でトロントを発って帰国してから、羽生は、多少個々の助言はもらっていたとしても、(おそらく決まったコーチとの契約はせず、)自らの責任で、自らの練習等をしてきたのだろう。

 小学2年生から高校1年生まで羽生選手を指導したという都築章一郎コーチによると、五輪の直前まで、羽生選手は、仙台のリンクで、夜遅くまで、1人で練習していたそうである。誰でもそうだと思うが、1人の練習、自分だけの辛さ、弱音を吐かないこと等、孤独との闘いでもある。羽生選手は、2011年の東日本大震災では、自らも被災している。また、度重なる負傷や、コロナ禍での苦悩……。その中でも、人を思い、自ら、人のために尽す精神が常にある。以下は、一つの例にすぎないが、羽生は、個人の資産を寄付することも長年続けている。遠征にはお金がかかるだろうし、(大資産家でもないだろうが、)彼の心がそうさせる。

羽生結弦が故郷リンクに211万円寄付 3千万超え - フィギュア : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

羽生結弦と一緒に被災、アイスリンク仙台支配人が今でも「羽生君が希望の光」と語るワケ「自分が勇気をもらいたいだろうに…」(4/4) - フィギュアスケート - Number Web - ナンバー (bunshun.jp)

(→ こんなに大事なスケート・リンクの維持・運営には、国や県が資金を投じるべきではないだろうか。または、羽生個人ではなく、大企業や大資産家の支援があっても良さそうである。)


 羽生選手は、今回、ショート・プログラムの失敗と4回転半が成功できなかった自分の演技と結果に対して、「努力は報われなかった。」と述べた。

 ここで、羽生選手の事も書かせて頂いた拙著『オリンピックと日本人の心』の「おわりに」で引用した大野将平選手(柔道金メダリスト)の監督だった穴井隆将氏の言葉を思い出した。

 「報われない努力はあっても、無駄になる努力はない。」

 羽生選手の努力と挑戦は、フィギィア・スケートの歴史上、「4回転半」の認定という形で、新たな道を開き、無駄にはならなかった。



 羽生選手が選んだ曲「天と地と」は、軍神といわれた上杉謙信を主人公とした大河ドラマのテーマ曲だと言う。下記に、上杉謙信が武将であるとともに文人であったことが書かれている。

羽生選手、謙信を重ねて 軍神宿る「天と地と」〔五輪・フィギュア〕:時事ドットコム (jiji.com)

 この2月、全国の神社に掲げられた毎月の「生命の言葉」が、何と、上杉謙信の言葉だった。「心に物なき時は 心広く 体泰(やすらか)なり」


 そして、山王日枝神社に掲げられた明治天皇の御製(2月のことば)は、

「おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも

   登ればのぼる 道はありけり」


 まだまだ頂上に至る道は続くようである。






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