54年前の今日、1964年10月10日、アジア初のオリンピックが東京で昭和天皇の開会宣言とともに始まった。本年6月23日、オリンピック・デーに、初めての単著『オリンピックと日本人の心』を上梓した私、鈴木くにこは、その原点に触れようと、当時と同じような秋空に恵まれた10月10日の午後、神宮外苑を目指した。
スタート地点は、南青山の隈研吾建築都市設計事務所。2020年の東京オリンピックに向けて来年11月に完成予定の新国立競技場を設計した所。その息吹を
感じたかった。大通りから一歩入った静かな所に、看板を掲げることもなくシンプルに存在していた。一階が竹の小道のある日本料理だが、2階以上は明るく開放的なオフィス。
偶然のことだが、ここを拠点にしたのには、もう一つ意味があった。私が『オリンピックと日本人の心』を執筆する際に、「花は足で生けるのよ。」と教えてくれた友人が、すぐ近くで長年、茶の湯のお稽古をしていたからだ。そのお茶の先生は、つい先日、9月末に最期まで現役で94歳で他界された。友人のお茶会に招かれた時に、2回ほどお目にかかったことがあるが、とてもお優しい先生だった。
伝統的日本文化と新しい建築、1964年と2020年、そんな二つの時間と空間を融合させながら、10月10日の青山のオリンピック散歩は始まった。
青山通りから神宮外苑に向かう並木道に曲がる所で、聖徳記念絵画館を真正面に見て、私は、自然と頭を下げていた。何となく会釈してから、並木道を歩き始めた。東京都のシンボルマークである銀杏の葉が地面に落ち始めていて、きれいな可愛い模様を作っていた。まるで、2年後の東京オリンピックの道しるべを示すように。秋の午後の光に照らされて、緑のアーチの並木道は、昔見た印象派のピサロの絵を思い出させた。1894年にフランスから始まった近代オリンピック、そして今年は日仏国交160周年、その間のジャポニズムや日仏の交流の歴史、そんな中でのフランス絵画の印象派の光が、今日21世紀の秋の東京の穏やかな風景と重なるのが面白い。
54年前の原点を求めて、自然の光と空気に触れながら、歩みを進めた。車の音が気になりながらも、ふっと公園の緑の向うに、白っぽい建造物が見えてきた。あれが新国立競技場だろうか…。何だか隠れた宝物を見つけたようでわくわくした。まずは、小さな憩いの公園に入って、緑の中から眺めた。
そして、改めて、もっと近づいてみた。
目の前に現れた新国立競技場は、巨大ながらも重圧感や圧迫感がなかった。何かを語りかけるようでもあった。
隈研吾氏が新国立競技場について語る記事を幾つか読んだ。新国立競技場には、松や杉の木材が使用されると言う。「松」で、思い出されるのが、オリンピックのエンブレムが「市松文様」。そして、2020年の東京復興五輪の式典演出の統括を務める野村萬斎氏らが舞う能舞台には、いつも背景に「松」が描かれている。そして私が忘れられないのが、岩手県陸前高田の希望の「一本松」。2011年の巨大津波の中でも、1本のみがピーンと空高く生き残っていた。今年6月末、岩手県庁を訪ねた時、職員の方の名刺に「一本松」の写真が載っていて、7年経っても心にジーンと浸みた。
新国立競技場では、47都道府県の杉の木を使うと聞いた。各地から集めるのは大変だろうが、何て素敵なんだろうと思った。新国立競技場を、北海道から沖縄までの、みんなの拠り所にする、全国でおもてなしをして世界の人々をお迎えする、そして多様な地域が個性を持ちながら新国立競技場で一体化、和(輪)を成す、そんなコンセプトが浮かび上がって来る。47都道府県というと、皇居の周りをマラソンしたりお散歩したりするとわかるが、47都道府県の花が地面に描かれ、それが皇居をぐるっと取り囲んでいる。また、国会議事堂公園にも、確か47都道府県の木が植えられている。皇居と国会議事堂と新国立競技場が、47都道府県で結ばれる。東京に全国がある、全国が東京に集まる、だから東京オリンピックは、日本全国のオリンピック。
隈研吾著『なぜぼくが新国立競技場をつくるのか』の最後は、「たくさん、たくさん、木を使うのである。」と締めくくられている。たくさんの木材を思う時、私は子供と共に参加した森林体験を思い出した。山に入り、ヘルメットに軍手姿で、木こりのように木を伐採した経験だ。その時のお話で印象に残っているのが、「魚は一日漁に出れば釣れる、田畑は半年から一年で実がなる、でも木が使えるようになるには何十年もかかる。」ということ。農林水産業の中でも、林業が特に難しいのは、自分がやった成果が生きているうちに見られるかさえわからないこと。日本では林業が衰退しつつあると聞くが、それでも全国では、植樹祭が毎年開催され、両陛下がご臨席される。今年の植樹祭は福島県で開催された。被災地のことを常に気にかけていらっしゃる両陛下の御心は特別である。
もう一つ、伐採をしていて気づいたこと。伐採というのは、たくさん育ちすぎた木を幾つか切って、木をまぶし、より良く日が当たるようにすることである。木を切ってしまうことをもったいないとは思わず、木を切ることで、より良く木を育てるのだ。このやり方は、日本の様々な文化とも共通すると思った。生け花をしていると、空間を大事にするために余分な葉や花を取ってしまう。そうすることで、花はより引き立つ。かつて千利休が、庭先のよく咲いた朝顔を一輪を残して全部取ってしまってお客様を迎えたことは有名な話である。日本画でも書でも空間、白紙の部分を大切にする。お能でも、面の表情や静かなしぐさは、全てを表現したり言い切ったりせずに、見ている人の想像に任せると言う。西洋のフラワー・アレンジメントはたくさんの花を飾って豪華にし、西洋画は、白いキャンパスを埋め尽くす。木の空間は、光だけではない、風も通す。水も通す。木を伐りすぎてしまうと、水は流れ洪水等の被害を及ぼすが、適度の木は、雨水を地面に浸透させる。
今年は、関西の地震、西日本の豪雨、台風21号、そして北海道地震と、夏の酷暑も挟んで、日本が災害大国であることを、まざまざと感じさせられた。温暖化の気候変動によることもあるが、日本の歴史を見ると、何百年も前から、同様なことが、噴火も含めて、起こっている。そんな自然の驚異にさらされながらも、日本人は自然と共存して生きてきた。その中から生まれた知恵が「和を以て尊し」ではないかと最近思った。厳しい自然の中では、人間は助け合って行かなければ生き残れない。争っていては生き延びれない。
平和の祭典としてもオリンピック。古代ギリシアでは国家(ポリス)同士の争いが絶えなかった。その争いも、オリンピック開催中は、停戦した。
木の伐採は光と風を通すと上記したが、人間は光と空気の他、水がなければ生きていけない。そして、川のそばに古代文明が発達したように、人類の文明は水と共に発展してきた。新国立競技場の建設にあたり、隈研吾氏は、環境の大切さを説き、1964年に埋もれてしまった渋谷川を再現することに触れていた。今日10月10日にそれを確認することはできなかったが、水を取り戻すことは、生活環境に潤いを与えることでもある。そして、水の尊さを誰よりもお分かりなのが、水をテーマにご研究をなされている皇太子殿下であられよう。その皇太子殿下が、2年後には、新天皇陛下として、ここで東京オリンピックの開会宣言をされるのである。
新国立競技場を眺めた後、明治維新から150周年、聖徳記念絵画館に赴くため、道を折れた。そこで、目に入ったのが、何と日の丸の旗。オリンピックで日本人がメダリストになった時に、会場に高く掲げられるように、大空に高くはためいていた。何だか、オリンピックで日本を応援してくれているような気分になり、嬉しさがこみ上げた。
そんなワクワクしていた私に、向うから自転車に乗ったおじさんが声をかけてきた。元気一杯に、「私は小さい時から、ずっとこの近くに住んでいて、よくここで遊びました。その噴水の水が冬になると凍って、割って遊んだ。東京空襲の後、疎開から戻ってきたら、そこいらに焼夷弾が突き刺さっていた。オリンピック毎に引っ越しさせられた。前回と今回の2回。」と話して下さった。お幾つか尋ねると、85歳だとおっしゃる。とにかくお元気で、今は、小学校等で、大繩を回して子供達に外で遊ぶことを教えたり、戦争体験を語ったりしているそうだ。
いよいよ10月10日の青山散歩の最終目的の絵画館。
正面玄関を真正面に見て、階段を上ろうと下を見て、びっくりした。真下に日の丸が。あっ、やっぱり今日はオリンピックのの日だったんだ。