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2021年6月23日水曜日

聖火、日本をつなぐ(宮城)6月19日~21日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、山形、秋田、青森を通過し、北海道まで北上した後、東日本大震災の被災地、岩手、そして宮城に引き継がれた。

 宮城は、東日本大震災で、最も多い犠牲者を出した地である。多くの方が愛する家族を亡くされ、生き残っても家が壊され、仕事を失い、「どうして自分が」「あの子が」「あの人が」と思わざるを得ない日々が続いたことだろう。あれから10年、もし生きていたら何歳で、どんな人生を送っていただろうか…、考えても考えきれない。

 下記のレポートでは、その思いを携えた方々の様子がご覧頂ける。

25歳のご長男を亡くされた方が、ご長男の亡くなった地で、「聖火」(聖なる火)を灯して駆けた。また、最愛の夫を亡くされて10年、やっと前向きに人生を送れるようになった聖火ランナーがインタビューに応じている。「聖なる火」、そこには亡くなった方の霊(魂)を弔う祈りの意味もある。

被災地でトーチを握ったサンドウィッチマン「世界で僕しか持っていないんだと感動」 宮城県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 女川や石巻の「頑張ろう、石巻」の様子が、上記リンクでも映し出された。かつて筆者が、被災者の方にお話しを伺いながらご案内頂いた時の景色を思い出した。津波後のだだっ広い荒野、土が積まれた間の道を走ってプレハブの食堂で地元の海の幸を頂いた思い出、まだ建設中だったが、遠くからもすぐ分かった伴茂さん設計の特徴的な白い屋根の女川駅。そして、石巻では、かつて

上皇・上皇后陛下が開館式にご臨席され、

今上陛下も日スペイン国交400周年の際等に必ず触れられる

支倉常長らが大津波復興のために海外との貿易を求めて発った「サン・ファン・バウスティタ号」を訪れた。日本の歴史の中で、この地が何度となく津波に襲われつつも復興してきた人々の逞しさ、そして海外との関わりを感じることが出来る場所である。

そして、もう一つ、レポートでは見られなかったが、日和山公園内の神社の鳥居。この高台からは被災地のかつての市街地が一望できる。

ケンブリッジ公爵殿下(ウィリアム王子)がご訪問された際、「海への祈り」を捧げられた場所である(鈴木くにこ著『オリンピックと日本人の心』(内外出版、2018年)では、写真付きで紹介している)。


日本三景・松島に復興の光灯した聖火 宮城県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 松島を初めて訪れたのは、もう15年以上前。美しい景観は忘れれない。そして海の匂い、風、輝き。「松島や、ああ松島や 松島や」(松尾芭蕉ではなく、狂歌師田原坊作と知った)で有名な松島は、松尾芭蕉はもちろん、アインシュタイン等多くの外国人をも魅了した。

 東日本大震災の数年後、筆者は、震災の被災者の方々に被災地をご案内頂いた時、仙台から東松島を通って、石巻に向かった。その時の殺伐とした風景、人の少ない静かな荒野も忘れられない。その時、昨年(2020年)3月20日に聖火が到着した航空自衛隊松島基地の近くも通った。車のハンドルを握りながら、近くの上空を丁度通過した航空機の音を聞きつつ、被災者のお一人が呟いた。「またブルーインパルスの素晴らしい飛行を見たい」と。昨年、既にコロナ禍で、聖火到着式は規模を縮小して挙行されたが、ブルーインパルスご覧になられただろうか。そんなことを思い出している。


東京2020オリンピック聖火リレー 宮城県

3日目 デイリーハイライト映像 (olympics.com)

 3日目の聖火ランナーの方が、「コロナが落ち着いたら、是非、この地に、自分達が復興させた商店街を訪れてほしい。」と語った。

 東京オリンピック・パラリンピックに際して、最も国内外の人々に、その復興の姿、また復興途上でも頑張っている姿を見て欲しいと思っていたのが、これら被災地の方々ではないだろうか。「コロナ」によってそれが叶わないことを、とても悔しく思う。しかし、その悔しさも見せずに、笑顔で、「コロナが収束したら、是非いらして下さい。」と言える東北の

人々に頭が下がる。


 この原稿を書いているうちに、6月23日になった。1894年6月23日にパリのソルボンヌで開催された国際会議で近代オリンピックを始めることが決まってから丁度127年となる。6月23日が「オリンピック・デー」と言われるゆえんである。そして、今日は、丁度、東京オリンピック2020(+1)の開会式の1か月前である。東日本大震災からも、コロナで1年延期となったので、10周年の節目の年と重なった。

 また、6月23日は、「沖縄慰霊の日」でもある。1945年4月から2か月に渡った米軍の攻撃、激戦が、組織的には終結した日である。その沖縄は、今回、他の都道府県が解除されたにもかかわらず、コロナに関する「緊急事態宣言」が解除されない状況が続いている。

 筆者は、東京五輪2020のために建て替えられた国立競技場のことを調べている時に、そこには46都道府県の杉と沖縄の松(沖縄では気候により杉が生息しないらしい)が使用されていることを聞いた。第二次世界大戦後、日本が1952年に連合軍の占領から独立した後も、沖縄ではさらに20年間占領が続いた。そんな事を思い、以前、

「過ぎ(杉)し日を顧みんとて日本国 待つ(松)とし長き 南の島々」と詠んだ。


 オリンピックは「平和の祭典」と言われる。戦争のない平和、感染症や災害等で苦しむことのない平和、皆が生き生きといられる世界、色々な様々な思いがよぎる。


 感謝、感謝。




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