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2018年12月2日日曜日

第一次世界大戦終結100周年をパリで迎えて

 2018年11月11日11時、パリで第一次世界大戦100周年記念式典が開催された。
100年に一度の行事、日本も戦勝国の一員、私はパリに赴き、凱旋門のふもとで、その時間と空間を、世界70か国の首脳達と共有した。


 パリに行って初めて気づいた。この日の主役は、マクロン大統領でもトランプ大統領でもない。それは、100年前のその日、フランスの首相を務めていたジョルジュ・クレモンソ(Georges Clemenceau)だった。
 
 11月11日の前夜祭10日と当日の二日しかやらないミュージカルの題名は、「クレモンソ」。フランス国家に尽くした軍人や文豪、偉人等の棺が安置されているパンテオンに行くと、そこではクレモンソの特別展が開催されていた。
 10日のミュージカルは、よくコンサート等も開催されるパレ・デ・コングレで行われた。大きなホールがフランス人の家族、友人等でいっぱいだった。若い人も多かった。周りを見る限り満席。歌の上手い人気の格好いい俳優も出演していた。フランスは、第一次大戦では第二次世界大戦以上の犠牲者を出している。その戦争をミュージカルに仕立てたわけだ。愛する人に、若い将校が、「戻ってくる。約束するよ。」と歌いながら語るシーンは、日本も同じだったと思いながら、ジーンときた。そう言いながら、激しいドイツとの戦いで、戻ってくることがなかった青年たち。フランスの「14-18戦争」は、日本の「大東亜戦争」か。ドイツ軍が初めて毒ガスという化学兵器を使用した戦争と、米国が初めて原爆という大量破壊兵器を使用した戦争……。

 ミュージカルの最後は、米国の参戦で勝利し、明るく終わる。フィナーレで、役者さん達が出て来ると、観客の大きい拍手。一部の人は立って拍手。その後、アンコールのように、舞台からかどこからか、フランス国歌「マルセイエーズ」が歌われ始めると、座っていた観客も、一人残らず総立ちとなり、皆でマルセイエーズを合唱し始めた。その心の団結は、1つの方向を向いていた。フランス人としての誇り、歴史、国家に尽くした人への哀悼と尊敬、そして希望をもって前に進む自信。愛国心が湧き出た会場となった。
 翌11月11日は雨だった。100周年の記念式典は11時からだったが、フランス大手メディアは8時から実況中継するという。私と友人も、8時半すぎにはホテルを出て、凱旋門に向かった。既に、式典に参列する軍人さん達が到着して、整列して凱旋門の方に進んで行った。それを目の前に観て、感激。



雨の中、多くのフランス人、外国人たちも集まってきた。子供を前に行かせる等、譲り合った。私の右隣に、勲章を付けているフラ
ンス人がいたので尋ねてみた。フランスで長年ジョンダルムリ(la Gendarmerie、警察と軍の間のような組織)に勤めていて大統領に表彰されたそうだ。
 左隣には、小さな子供がヘルメットをかぶって兵隊さんの格好をして式典を見ていた。後ろにいたフランス人の背の高いおじさんは、「ほら、トランプ大統領が来たよ。」、「マクロン大統領だよ。」とか「フランス国歌が歌われている。」等、傘をさしながら、私をつついて教えてくれた。 

 マクロン大統領の演説の後、オーケストラからチェロの音が厳かに聴こえてきた。秋の凱旋門に雨の中、美しい音色を響かせた。それから歌……。

Tomoko撮影
とにかく濡れて寒かった。後ろの人の傘の雫が袖に入ってしまった。足早に凱旋門を後にした。厳戒態勢のもと、地下鉄にろくに動いていなかった。が、降りた駅の目の前がギメ美術館。ちょうど、明治時代の特別展をやっていた。それから、外国人が多く住む13区ああたりにあるベトナム人のお店でフォーを頂いて温まり、クレモンソ展をしているパンテオンの向かった。



クレモンソは、第一次世界大戦時の首相としてフランスでは有名だが、日本では意外と知られていない。が、実は、日本の歴史上重要な人物と親交があった。西園寺公望がフランス留学中、クレモンソと同じ下宿にいたと言われる。そして偶然にも、第一次世界大戦の終結に関するパリ講和条約締結の会議では、クレモンソが議長を務め、西園寺は日本の代表団の全権の一人だった。また、クレモンソは、多くの日本人が好む印象派の画家モネの親友だった。上記のミュージカルでもパンテオンの特別展示でも、クレモンソの物語には、必ずモネが登場する。そのモネに絵を習っていたのが、パリ留学時代の東久邇宮稔彦王で、モネはクレモンソに、東久邇宮を紹介する。東久邇宮は1945年、太平洋戦争終戦直後の内閣総理大臣だが、日米開戦には、日本は到底かなわないと反対していたと言われる。きっと、クレモンソから、米国がいかに強く自分達フランスを第一次世界大戦でドイツから救ってくれたかを、聞いていたに違いない。
 それにしても、モネもクレモンソも日本が大好きだったようだ。モネの住んでいたジベルニー(パリ近郊)の家に行くと、浮世絵が飾ってあったり、お庭に日本風の橋や睡蓮の池がある。クレモンソに関しても、日本の美術品を収集していたようで、モントリオールに、クレモンソ・コレクションとして納められているらしい。いつか見に行ってみたい。
                                                                                                                                         

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