100年に一度の行事、日本も戦勝国の一員、私はパリに赴き、凱旋門のふもとで、その時間と空間を、世界70か国の首脳達と共有した。
パリに行って初めて気づいた。この日の主役は、マクロン大統領でもトランプ大統領でもない。それは、100年前のその日、フランスの首相を務めていたジョルジュ・クレモンソ(Georges Clemenceau)だった。
11月11日の前夜祭10日と当日の二日しかやらないミュージカルの題名は、「クレモンソ」。フランス国家に尽くした軍人や文豪、偉人等の棺が安置されているパンテオンに行くと、そこではクレモンソの特別展が開催されていた。
10日のミュージカルは、よくコンサート等も開催されるパレ・デ・コングレで行われた。大きなホールがフランス人の家族、友人等でいっぱいだった。若い人も多かった。周りを見る限り満席。歌の上手い人気の格好いい俳優も出演していた。フランスは、第一次大戦では第二次世界大戦以上の犠牲者を出している。その戦争をミュージカルに仕立てたわけだ。愛する人に、若い将校が、「戻ってくる。約束するよ。」と歌いながら語るシーンは、日本も同じだったと思いながら、ジーンときた。そう言いながら、激しいドイツとの戦いで、戻ってくることがなかった青年たち。フランスの「14-18戦争」は、日本の「大東亜戦争」か。ドイツ軍が初めて毒ガスという化学兵器を使用した戦争と、米国が初めて原爆という大量破壊兵器を使用した戦争……。
翌11月11日は雨だった。100周年の記念式典は11時からだったが、フランス大手メディアは8時から実況中継するという。私と友人も、8時半すぎにはホテルを出て、凱旋門に向かった。既に、式典に参列する軍人さん達が到着して、整列して凱旋門の方に進んで行った。それを目の前に観て、感激。
雨の中、多くのフランス人、外国人たちも集まってきた。子供を前に行かせる等、譲り合った。私の右隣に、勲章を付けているフラ
ンス人がいたので尋ねてみた。フランスで長年ジョンダルムリ(la Gendarmerie、警察と軍の間のような組織)に勤めていて大統領に表彰されたそうだ。
左隣には、小さな子供がヘルメットをかぶって兵隊さんの格好をして式典を見ていた。後ろにいたフランス人の背の高いおじさんは、「ほら、トランプ大統領が来たよ。」、「マクロン大統領だよ。」とか「フランス国歌が歌われている。」等、傘をさしながら、私をつついて教えてくれた。
マクロン大統領の演説の後、オーケストラからチェロの音が厳かに聴こえてきた。秋の凱旋門に雨の中、美しい音色を響かせた。それから歌……。
Tomoko撮影 |
それにしても、モネもクレモンソも日本が大好きだったようだ。モネの住んでいたジベルニー(パリ近郊)の家に行くと、浮世絵が飾ってあったり、お庭に日本風の橋や睡蓮の池がある。クレモンソに関しても、日本の美術品を収集していたようで、モントリオールに、クレモンソ・コレクションとして納められているらしい。いつか見に行ってみたい。
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