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2018年12月13日木曜日

音楽の力

 本ブログ2018年8月21日付で、私は、「芸術はなぜ必要か」ということを書いた。
今日は、音楽の力について述べたい。
音楽の醍醐味は、芸術の1つの表現として、美しい音楽を聴くと、心が癒されたり、元氣が出たりする。が、その他に、音楽にはそれ独自の力がある。その主なものを2つ挙げたい。
 1つは、音楽には人と人とをつなげる力がある。普遍的言語とも言えるが、それ以上に、同じ音楽を聴いた人同士で共感したり、音楽を話題にして自然と会話が弾んだりする。
 私が20代の後半の独身時代、パリで一人暮らしをしている時に、よく音楽会に行った。サル・プレイエルという音楽ホールでパールマンのヴァイオリンを聴きにコンサート当日に思い立って行ったり、シャンゼリゼ劇場にチャイコフスキーの交響曲を聴きに行ったりした。音楽会が引けてパスで帰宅する途中、プログラムを持っている私に、知らないフランス人のおば様が声をかけてきた。「あら、あなたもこれ聞いたの。素晴らしかったわね。」すると、そばにいた紳士も、「良かったねえ。そういえば、日曜の朝にもコンサートやっているよ。今度はヨーヨーマが出るよ。」とか、音楽談義が、知らない人同士でも盛り上がる。音楽の好きな人に悪い人はいない気がした。
 また、ある時は、パリでヴァイオリンを持ってバスに乗っていたら、隣の老婦人が話しかけてきた。「あら、、ヴァイオリン弾かれるの。私のところに、ある知り合いから託されたストラスヴァリウスがあるのよ。」と。ストラスヴァリウスはヴァイオリンの名器で高価な貴重なもの。それを有するなんてすごい話だが、私はヴァイオリニストでも何でもない。ふうんと頷いて聞いているしかなかった。
 でも、音楽がなければ、こんな見知らぬ人々との会話もない。音楽は心の垣根をなくしてしまう魔法のようなものかもしれない。
 もう1つの音楽の力は、音楽は、言語で表現できない人の感情や心の中を表すことが出来る。例えば、一言で悲しいと言っても、それは、悲劇的な悲しさか、虚しさか、儚さか、ぽろぽろ涙が出るものか、しくしく泣きたくなるものか、わーんわーん叫びたくなるものか、その間の微妙な感情は、言葉ではなかなか語れないことがある。しかし、音楽では、それが表現できるような気がする。私には、そのような才能はないが、音楽を聴いていると、その響きから、何か人々の感情や思い、叫び、うねり等々を感じることが出来る。
 そういう音楽が人の心に響き、感動を与える。2011年3月11日の東日本大震災の後もそうだったし、第二次世界大戦中、廃墟になった欧州の街の広場で近衛秀磨が指揮したオーケストラもそうだった。
 生の音楽は、その時の一瞬しか聴けない。やり直しもきかない。だからこそ、その時、その音を共有することの親近感、共鳴のようなものがあるのだろう。
 
 今日、こんなことを綴ったのには、わけがある。島根県松江市出身で、ウィーン音大で長年学んだヴァイオリニスト、吉田美里さんと出会ったからだ。まだ彼女の演奏は聴いたことはないが、目がくりくりして明るく華やかな雰囲気が印象的だった。お母様も素敵な方だった。吉田美里さんは平和を奏でたいという。そして日墺交流150周年の来年、故郷の島根県出雲大社で、コンサートを行うそうである。どんな響きで神々を驚かせるか、今から楽しみである。♪♬♡
 

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