福島、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良のあと、第10番目の都道府県として、聖火は大阪にわたった。
コロナ禍で、特に変異株による感染拡大中の大阪で、一時中止との話もあったが、
聖火ランナーたちは、1970年の大阪万博に際し岡本太郎がデザインした「太陽の塔」の前で、元気に聖火をつないだ。皆さんの笑顔は、以下のサイト等でご覧いただける。
走る男「オリンピックに参加する重みを感じた」 大阪府1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)
2人あわせて171才の夫婦ランナー「挑戦することの大切さ伝えたい」 大阪府2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)
この太陽の塔、筆者もよく覚えている。まだ幼稚園児だったが、家族と大阪Expo’70に行ったことを。可愛いチューリップの迷子札を付けてもらい、とにかく混んでいて待って、やっと1つパビリオンに入れるくらいだった。当時まだ珍しかった「動く歩道」に乗っていた最中、大きな雷、激しい雷雨で、この電気で「動く歩道」は止まってしまい、途中で降ろされ、家族にレインコートを着せてもらったことを思い出す。
今回、聖火を見つめた太陽の塔。それは、過去、現在、未来をつなぐ生命を表わしたものだそうだ。
太陽の塔とは – 「太陽の塔」オフィシャルサイト(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所) (taiyounotou-expo70.jp)
実は、拙著『オリンピックと日本人の心』も、いのち(命)の話から始まる。
胎動、そして若き生命、そういうものを大切に、勇気づける、そんな要素がオリンピック・パラリンピックにはあるはずだ。
「芸術は爆発だ」と言った岡本太郎には幾つもの名言があるが、一つ、人々を勇気づける言葉を見つけたので引用する。
「自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければなおいい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ。」(岡本太郎)
何でもいい。自分で出来ること、やれること、やってみよう。きっと、誰かがどこかで見ていてくれる。Never give up.
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