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2019年2月1日金曜日

皇太子殿下のフランス行啓の足跡を辿って(3)

 2018年11月9日、フランスのリヨン郊外のギ・ラソゼ氏のレストランを訪ね、皇太子殿下が召し上がったお料理を堪能した後、リヨン市内に戻ってきた。そこで、皇太子殿下がご覧になったという建築家の隈研吾さんが係わったHIKARIビルを探した。まさかリヨンに来て、隈研吾さんの建築に出合うとは考えてみなかった。私には、特別の思い入れがあった。それは、2018年6月23日(オリンピック・デー)に、初めての単著『オリンピックと日本人の心』を上梓し、新国立競技場の設計した隈研吾さんの考え方に大変興味を持っていたからだ(2018年10月11日の当ブログ「オリンピック散歩」を参照)。HIKARIビルは、リヨンの新開発地区コンフルオンス(Confluence)にある。リヨンには、ローヌ川とソーヌ川の二つの川が流れるが、その交流地点である。隈研吾事務所によると、HIKARIビルには、地元の石材が使用されたと言う。新国立競技場には、たくさんの日本の木が使用されている。日仏それぞれの文化の特徴を生かしたのだろうか。

 翌11月10日、リヨンからパリに移動する前に、鉄道のラ・バルデュ駅にほど近い所にある「ボール・ボキューズ市場」と呼ばれている場所を訪れた。ポール・ボキューズ氏は、日本でも知られる有名シェフだが、2018年にお亡くなりになった。敬意を表して偲ぶ意味もあった。入口は、「リヨン市場」となっていたが、マークの絵は、東京にもあるポール・ボキューズ氏のレストランと同じ。中の柱には、まだ「ポール・ボキューズ市場」と書かれていた。

 市場と言っても、こぎれいなフード・コートのような所だった。丁度週末にかかり、地元のフランス人たちが家族で昼食に来ていて賑わっていた。私達も、混んでいるレストランに場所を見つけ、日本ではなかなか頂けない数種類の牡蠣を含む貝の盛り合わせお試しプレートを頼んだ。焼きたての黒パンとフランスの塩味の聞いたバターと共に楽しんだ(白ワインも付いていたが、この日はアルコールを控えて炭酸水で)。そして、舌づつみを打ちながら、牡蠣にまつわる日仏助け合いの歴史を思い出していた。
 2011年3月11日、東日本大震災の津波で、三陸の沿岸部では、多くの尊い命が失われた。また、甚大な被害によって、それまで盛んだった漁業や加工業も、復興の過程で様々な問題にぶつかった。その1つが、牡蠣の養殖業だった。牡蠣の養殖に使用される道具がない。そんな時、それらを送ってきたくれたのが、フランスの人々だった。それは、フランスから日本への恩返しでもあった。かつてフランスの牡蠣が赤潮等で全滅してしまった時、母貝を贈って、牡蠣の生産再開を助けたのが日本だった。そんなことを思い出しながらの牡蠣の味は、特別の意味があった。感謝、感謝である。リヨンでも、「復興」と「オリンピック」が重なった。


美食の街リヨンを離れる前に「リヨン市場」に寄ったのは大正解だった。何かお土産になるものはないか等、ふらふら見ていると、「Tokyo」という文字が目に入った。日本にも出店しているお菓子屋さん(パティスリ)だった。聞くと、日本で売っていうお菓子と、ここにあるお菓子は同じではない、地元の素材を生かしている、と言う。では、ということで、パリ行のフランス式新幹線(TGV)の中でご賞味させて頂く、素敵なケーキを二つ求めた。星の王子様の街、リヨン滞在の余韻に浸りながら……。



(2018年11月19日放送のチャンネル桜「Front Japan桜」では、「リヨンで見つけた日仏交流」というタイトルで、上記のことをお話しております。)

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