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2020年8月6日木曜日

広島、原爆の日に


 その日から75年が経った。その日を体験した人はもはや少数派である。が、世界の人々が知っている「広島」(Hiroshima)。人類初の原子力爆弾が投下され、大勢の一般市民が、未知の苦しみに堪えながら、命を落としたり、悲しい人生を送たりすることになった。

 広島には何度も訪れたことがある。記憶に残るのは、1980年代、学生の時、まだ平和記念資料館が建て替えられる前の旧館で(昭和の趣がありシンプルそのままで、より当時の雰囲気を醸し出していた)、展示の最後に見た階段に焼け映った人影が印象的で、いつまでも脳裏に残っている。その人影が、何かをいつまでも訴えているようだった。
 その日は、2人のイタリア人の学生の友人を案内したのだが、広島平和記念公園に出ると、すれ違った子供たちは、「あ、アメリカ人だ。」等と言って元気に通りすぎる。友人のイタリア人は、アメリカ人に間違えられることには慣れていたが、それを聞いて私に質問してきた。「なぜ、日本人は、アメリカ人に原爆を落とされても、アメリカ人に怒ったり恨んだり責めたりしないの?」と。咄嗟の友人からの質問に、私は何か答えなければいけないと思い、「うーん、日本には「水に流す」という言葉があるし、戦後の冷戦でアメリカには復興支援等で助けてもらったし……。」等、一応の説明はしたが、いまだに私自身、実はよくわかっていない。

 それから、1997年か1998年、OL時代、(株)博報堂内に設置されていた岡崎研究所(岡崎久彦所長、小川彰事務局長)の「日米韓、朝鮮半島プロジェクト」で、韓国の元外務大臣、元海軍士官、大学教授等(後の大臣や大使)とともに、広島・宮島・呉・江田島を訪問した。広島平和記念公園を一緒に散歩しながら、朝鮮半島出身者の追悼記念碑が、公園の一歩外にあるのに気づかされた。その夜、池田行彦元外相(広島選挙区)らと懇談し、数年後、同記念碑は公園内に移設される。

 21世紀に入り、まだ保育園に通う子供たちを連れて、広島を旅行した。平和記念公園の折り鶴、平和の鐘等に触れあいながら、どれくらい分かるか知らないが平和記念資料館も訪問した。特に何を言うこともなくじっと展示を見て、公園で遊んで帰った4歳前後の子供たち。帰京後、車のチャイルド・シートの上から運転席の祖父に向かって興奮したように話す。「知ってる、大パパ(おじいさんのことをこう呼んでいた)、原爆(げんばく)ってこわいんだよ。だって、レンガのお家まで壊してしまう(恐らく「3匹のこぶた」のイメージ)んだよ。それに、三輪車も車輪が取れてぐちゃぐちゃ。」。「お弁当箱も焦げていた。」と横からも一人の保育園児も印象を話す。子供たちの目線で原爆の怖さを感じていたことを気づかされた。

 30年の時を経て、前出のイタリア人の友人が、2015年、家族を連れて再来日した。自身は旅の疲れと脱水症状で点滴まで必要とする身体だったが、子供たち家族には、広島平和記念資料館を一瞬でも見に行くように奨めた。「百聞は一見に如かず。」駆け足ながら、資料館の展示は彼らの記憶に深く残った。

 昨年2019年、G20サミットが大阪で開催された際、EUのドナルド・トゥスク大統領は、来日したら必ず訪問したかったと広島と長崎を多忙なスケジュールに入れた。その時、世界の首脳たちが広島と長崎を訪問し、人類が手遅れにならないように軍縮すべきだと述べていいる(以下、参照)。
トゥスク大統領はポーランド出身である。日本とポーランドには、「負の世界遺産」として人類史上忘れてはならない記憶遺産として「アウシュビッツ強制収容所」と「広島原爆ドーム」が登録されている。

 梅雨が明けると、けたたましいほどに元気な蝉の声であるが、今日の蝉は、青空に響きながらも、どことなく寂しげに聞こえる。そんな日が15日まで続く。

2020年8月2日日曜日

李登輝総統と武士道


 

 

2020年7月30日夜、李登輝元台湾総統が97歳でご逝去された。
 李登輝総統は偉大な指導者であった。「台湾民主化の父」等、台湾の政治、国家の発展にご尽力さえた功績は多大なものである。
 が、一日本人として、忘れてはならないのは、
李登輝総統が、武士道精神を教育の中心に据えることの重要性を常に説いていらしたことである。李登輝総統がお書きになられた『武士道 解題』(小学館、2003年)の「はじめに」の一部を以下に引用する(下線筆者)。

「いま、私たちの住む人類社会は、未曾有の危機に直面しています。」  
「世界各地でますます不穏で危険な動きが増大しつつあります。 しかも、政治や軍事 の面ばかりではなく 経済の面でも「大恐慌の再来か」と言われる世界同時不況の予兆 が日増しに高まり、人々の不安や不満は募る一方です。」
 「人類社会全体がこのよう な危機竿頭の大変な状況に直面している時だけに、 世界有数の経済大国であり平和主義国家でもある日本および日本人に対する国際社会 の期待と希望はますます大きなものとなりつつある、と断言せざるを得ませ ん。数千年 にわたって営々として積み上げられてきた日本文化の輝かしい歴史と伝統が、六十億 人余の人類社会全体に対する強力なリーディング・ネーションとしての資質と実力を明確に証明しており、世界の人々からの篤い尊敬と信頼を集めているからです。
 私自身が日本の教育の中で豊富な知育と徳育を授けられ、それを通して知識や知恵に目覚め、「人間いかに生くべ きか」という根本的な哲学や理念を身につけてきた からこそ、なおのこと、この人類史的危局の中において必要とされている「日本の心」 の大切さを、思い起こさずにはい られないのです。
 敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花
これは、私が敬愛する新渡戸稲造先生の名著『武士道』の中で改めて紹介されて いる本居宣長の和歌ですが、この「大和心」こそ、日本人が最も誇りに思うべき普遍的 真理であり、人類社会がいま直面 している危機状況を乗り切っていくために、絶対に 必要不可欠な精神的指針なのではないでしょう か。
 しかるに、まことに残念なこと には、一 九四五年(昭和二十年)八月十五日以降 の日本においては、そのよう な「大和魂」や「武士道」といった、日本・日本人特有の 指導理念や道徳規範が、根底から否定 され、足蹴にされ続けてきたのです。」
「依然として前途に明るい曙光を見いだしえぬ今日のような窮地にあって、 そのような自虐的価値観は日本人ばかりではなく、世界の人々にも大きな打撃と失望を与えずにはおかないのです。なぜなら、国際社会全体が不況と不安に晒されているときに、最も頼りになるべき国のひとつ(日本および日本人)まで混乱と混沌の中を漂流し続けていたら、人類社会そのものが羅針盤を失いかねないからです。いま日本を震撼させつつある学校の荒廃や少年非行、凶悪犯罪の横行、 官僚の腐敗、指導者 層の責任回避と転嫁、失業率の増大、少子化など、これからの国家の存亡にもかかわりかねないさまざまなネガティブな現象も、「過去を否定する」日本人の自虐的価値観と決して無縁ではない、と私は憂慮しています。そして、この傾向をこのまま放置しておけば、日本だけではなく世界全体が不幸になる、と心の底から危惧しているのです。」
「ここであえて、「日本および日本人の醇風美俗」や「敷島の大和心」、もっと単刀直入に言えば「武士道」について声を大にして大覚醒を呼びかけ、この書を世に問わねばならなかったのです。この点にこそ、いま人類社会全体が直面している史上いまだかつて経験したこともないような危機的状況の深刻さがあると言えましょう。」

 李登輝総統の残された言葉は、現在、世界が新型コロナウィルスの感染拡大で不安な毎日を暮らしている状況で、なお身に染みて感じられる。
 この後、李登輝総統は、新渡戸稲造の『武士道』から引用をされる。
 そして、激動の時代に、日本および日本人にとって、「武士道」がいかに大切で尊く、これからも必要であるかを述べている。日本人である私達には、この李登輝総統の誠実なまでの訴えを真剣に受け止め、実行していくノブレス・オブリージュがあるのではないか。

 実は、筆者は、昨年、令和元年5月から「新渡戸稲造の『武士道』を英語で読む会」を主宰し、仲間を募り、難解な原文の英語を、矢内原翻訳(岩波文庫)を片手に読み解いてきた。
 そこで気づかされた事は、日本の道徳的価値観や伝統的習慣に、現在忘れかけている多くの美徳があるということである。
 そもそも、新渡戸の『武士道』を英語で読もうとしたきっかけは、英語能力の向上と、日本文化を知ることにあった。東京オリンピック・パラリンピックを前に、「日本のおもてなし」の心は何か、フェアプレイ精神と武士道の関係は何か、世界中の人々を迎える日本人が持つべき指針を探求していたのかもしれない。
 今回、李登輝総統は、そんな筆者に、大きな自信を与えて下さった。新渡戸稲造の『武士道』を選んだのは間違えではなかった、と。それ以上に、もし日本と日本人が、その武士道精神を取り戻し、世に示すことができれば、それは人類の危機を救う羅針盤になるかもしれないとの発想は、この混沌とした世界に大きな希望を託された思いがする。

 李登輝総統に心からの感謝を捧げながら、尊敬の念とともにご冥福をお祈りしたい。


 その李登輝総統のご遺志に報いるには、私達日本人一人ひとりが自信と誇りを取り戻し、「日本の伝統的価値観の尊さ」を再認識して実行して行くことが大切だろう。
 筆者は、今日から一歩を進めたい。藤井茂・長本裕子著『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』(新渡戸基金、2016年)を活用しながら、毎日、その中の新渡戸の言葉を拝借し、自分達が現在感じることを一言でも表現して、心ある方々と交流して行きたいと思う。そこから、また発展があるかもしれない。

8月1日 「隣家の財は多いもの、隣家の飯は甘いもの、とかく他人を羨みたいは人情だ……、だが羨む心も向けようで、貪り、妬みにもなるし、励み、競いにもなる。」(新渡戸稲造、『帰雁の蘆』)

 「隣の芝生は青い」という表現があるが、他人のものは、何となくよく見える。幸せそうだとか、得しているとか。でも、それは、そう見えているだけで、実は、見えない所では、案外苦労しているかもしれない。わからないものである。だから、見ただけで判断しない方が良いかもしれない。あとは、新渡戸が言うように、あの人が出来るなら自分だってやってみようとか、そうなるために頑張ろうとか、良い意味の負けず嫌い、プラス思考が大切なのだろう。(鈴木くにこ)

8月2日 「我々が恥ずかしいと思うだけにとどまるならば、何の効果もない。早く心を改むることが必要である。しかるに自分の不足を感ずることは案外にやすい。特に頭脳の鋭敏な人は、……自分の短所にもよく気づくものである。」(新渡戸稲造『世渡りの道』)

 人間誰しも、完璧な人はいない。だから、欠点、短所は恥ずべきことではない。ただ、それを隠したり見ないふりで、自分は完璧だと思っているほうが恥ずかしい。「実るほど頭の下がる稲穂かな」、というように、偉大な人ほど、謙虚であり、自分にも厳しい。(鈴木くにこ)


*実は、7月から「新渡戸稲造の至言から学ぶ会」の会合を予定していましたが、このご時世で取りやめました。これからWeb上で意見交換をして行きたいと思いますが、ご興味のある方は、以下にご連絡下さいませ。
NipponIA2020@gmail.com

2020年7月24日金曜日

東京2020+1:スポーツの日

 2020年7月24日は、スポーツの日の祝日だった。
 1964年10月10日の東京オリンピックの開会式にちなんで出来た「体育の日」の祝日に倣って、東京オリンピック2020年の開会式が開催される予定だった。
 それが、新型コロナウィルスの世界的感染拡大で、3月24日に東京オリンピック・パラリンピックの1年延期が決まった。
 3月20日には、ギリシアから聖火が宮城県東松山市の航空自衛隊の松島基地に到着し、式典が挙行された。
https://www.youtube.com/watch?v=xLnXnkfh1Lw
ブルー・インパルスも、青空を舞った。
https://www.youtube.com/watch?v=ajLzLuywdek

 そして、この聖火は、宮城県、岩手県、福島県と、東日本大震災の最大の被災地を、「復興の火」として2日間ずつ回り、3月26日から福島県からスタートする聖火リレーを待つばかりのタイミングだった。
 それからちょうど4か月。新型コロナウィルスの感染拡大は、止まない。国によっては、第一波のピークも見えず、日本でも第二波が起きている。
 そんな中、昨日7月23日、来年の東京オリンピックの開会式一年前ということで、新国立競技場にて、静かに、しかし高らかに、世界に向けてメッセージが発出された。
 ただ一人、真っ白の衣装をまとった、白血病と闘いながらオリンピックへの出場を目指している競泳の池江璃花子選手。
https://tokyo2020.org/ja/news/videos/one-step-forward-plus-one-message-ja

 困難な時だからこそ「希望の力」が必要、とても心を打った。
 困難から逃げずに、感染症と闘う医療従事者の態度や精神力は、自らの体力や限界と闘うアスリート達の精神力とも通じるものがあるような気がした。
 池江選手の素直な気持ちが、心に響いた。来年に向けて、私達がするべきことは何だろうか。日本が、日本人が、世界に向けて、希望を発せられるだろうか。真の意味の「おもてなし」は、どういうことだろうか。
 池江選手の一言が、多くの勇気と希望を与えてくれた。
 私達日本人一人ひとりが、世界のアスリート達を、東京オリンピック・パラリンピックの舞台にお迎えしたい。そのために、聖火は、日本の福島で灯っている。
 東京202+1、この「+1」を、世界のために生かしませんか。
 




海の日:「海洋国日本の繁栄」



 今日、2020年7月23日は海の日の祝日でした。
 2003年の「ハッピー・マンデー制度」から7月の第三月曜日が海の日の祝日になっていますが、今年は、新型コロナウィルスの感染拡大がなければ、明日7月24日が東京五輪の開会式でスポーツの日の休日になり、その前日に海の祝日が来ました。
 でも本来、海の日は7月20日なのです。それには意味があります。
 ちょうど10年前の2010年、私は、あるところで、7月20日がなぜ海の日なのかの理由を書いていました。




そして、今から16年前、2004年7月、私は、「政策空間」という当時存在していたネット上の政策提言サイトに、「海洋国家日本の戦略」と題する論考を投稿しました。そこでは、56年前の1964年(初めての東京オリンピックの年でもある)に高坂正尭先生がお書きになった「海洋国家日本の構想」を引用している。今でも示唆に富む内容である。



現在、日本周辺の海洋は、穏やかではない。海の安全も、漁業資源の保護や鉱物資源の開発も、さらには海洋環境も、さまざまは方面から脅かされている。
 そんな海から数々の恩恵を受けて生きながらえてきた日本人。これからは、美しく平和な海を保つために不断の努力をしなければならない、そんなことを考える海の日でした。
 7月20日、日本文化チャンネル桜の「フロント・ジャパン桜」の番組がありました。
「海の日」のこと、尖閣諸島や沖ノ鳥島にも触れました。どうぞ、ご覧下さいませ。















2020年7月1日水曜日

香港よ、永遠に―――。

 本日2020年6月30日は、香港基本法で2047年まで保証されるはずだった「一国二制度」が終焉した日と、世界は記憶するだろう。
 香港で民主化を推進してきた人々は、涙を呑んで、民主派政党を解散させ、そこからの脱退を公に宣言して、明日からの新たな社会で、生活の生き残りをかける。「生きている限り、希望がある。」「絶望の先にも、きっと希望が。」、淡々と語る彼らの姿勢と、今までの行動に敬意を表したい。そして、彼らの生きる今後の世界が、より自由で民主主義的かつ思いやりのある社会になるよう、私達1人1人が努力すべきだろう。
 私が初めて香港の地を踏んだのは、丁度40年前の1980年の12月。ガール・スカウト(香港では、「女童軍」と記していた)の国際行事、International Gatheringに参加するためだった。テーマは、東西文化交流、East-West Encounter。当時の香港は、英国の統治下で、至る所で異国情緒を感じることができた。島にある大きなキャンプ場で、世界各地から集まったガールスカウト、ガール・ガイドの友人達と寝泊りし、仲良くなった。香港の友人が、きれいな英語で、寝る前に「清しこの夜」Silent Night, Holy Niightを歌ってくれたのを覚えている。朝起きた時の挨拶、「ゾウ(早)サン」は、発音が「象さん」と似ていて、すぐ覚えた。それから、有難うを示す「多謝(トウチェイ)」も好きでよく使った広東語である。北京語の「謝謝(シェイシェイ)」よりも、もっと感謝がたくさん多くある意味合いで気に入った。キャンプ場で食べた朝ごはんの御粥の味と雰囲気も忘れられない。チキンの骨を取り出しながら、鶏だしのきいたお粥を外で頂いた。12月だが温暖だった。香港人の友人とたくさんと過ごし、とにかく楽しかったが、キャンプ場で、ふっと英国統治を感じることがあった。閉会式が開催された広い運動場にヘリコプターで降り立ったのが、西洋人のシルバー・グレーの紳士。行事のスポンサーや主催者等「お偉さん」も、生粋の香港人ではない方が殆どだった。
 2度目の香港訪問は、1995年。第二次世界大戦後50周年の年。そして、翌1996年夏にも、香港を訪問した。偶然、終戦記念日のパレードにあたった。一緒に見学していた中国専門家の友人が、「来年からは、人民解放軍がパレードするようになるのかなあ。やな感じ。」とつぶやいていたのを思い出す。
 1997年7月の香港返還。ユニオン・ジャックが下された。そこから「一国二制度」が始まった。サッチャー英首相と鄧小平主席が交渉した香港基本法。本当は、英国は香港全土を返還する義務はなく一部は維持できたが、当時の英国は景気が良いとは言えず「小さい政府」で香港の維持費も節約したかったのだろう。長い交渉の後、サッチャー首相は、鄧小平主席のことを「タフ・ネゴシエーター」と呼び、ふらついたと言う。香港の民主制度と経済上の特別な地位は、50年間、すなわち2047年まで続くはずだった。国際社会は、中国も改革開放で資本主義を導入すれば民主化されると幻想を抱いた。結果は、逆だった。中国は外国資本や技術を導入し、資本主義の市場を相手に、著しい経済発展をし、それをもとに軍拡も推進し、共産党の力を増強した。1989年6月4日の天安門事件に見るように、中国内でも若者を中心に民主化運動はあったが、その都度、弾圧されてきた。1989年の天安門の時、弾圧から逃れ西側に亡命しようとする中国人たちを助け、その出口となったのは香港だった。
 2011年12月、香港返還から約15年たった香港を再訪した。空港に到着した途端、すぐに中国化したことがわかった。近代化した大きな建物で出迎えてくれたのは、大陸の舞踊団の舞。入管の人の態度も何となく冷たかった。j街中もすっかり変わってしまった。異国情緒というよりも開発、開発。とにかく建物が乱立し、ブティック等が入った近代建築が所狭しと並んでいる。一方、意外と英語が通じづらくなっていたり、夜になるとバス停前で大陸から来た人が新聞を売ったり、公害や通りのごみ等が目立ったりした。香港では、何年か先まで、病院の出産予約がいっぱいだと聞いた。大陸の人達が、何とか「香港ステータス」を得て、いざという場合に備えたいのだろう。
 そして2014年の香港の雨傘運動。民主化、「一国二制度」崩壊の危機を、香港の人達は、6年前に分かっていた。それでも中国の共産党は強硬姿勢を変えるどころか強めた。昨年2019年、香港人の為の香港人による司法制度が瓦解されることへの反発から、平和的デモは始まった。香港人の団結は長く続いた。しかし、共産党中央政府は、たがを緩めず、国際的には不評の「香港国家安全法」を通し、とうとう「一国二制度」は終焉した。
 香港の人々は、民主派政党を解散し、表向き共産党制度を受け入れる選択をした。生き残るための知恵、苦渋の選択だっただろう。国際社会は、民主的香港を助けることは出来なかった。
 今から約150年前、1873年に書かれたアルフォンス・ドーデの「最後の授業」が思い出される。フランスのアルザス地方がドイツに割譲されることになった時、授業の最後、先生は黒板に、フランス語で、Vive la France(フランス万歳)と大きく書いた。
 この23年間の香港の「一国二制度」の歴史を、私達は忘れない。
 香港よ、永遠に―――。
 多謝

 今日6月30日は、日本では、「夏越の大祓い」にあたる。今年前半の天下万民の罪や厄を御祓いして、今年2020年の後半を健康、清らかに過ごせるようにする。新型コロナウィルスの感染も止まないが、まずはお祓いして、明日から、新たな気持ちで生きよう。

  
 

2020年6月23日火曜日

6月23日は何の日? ~「沖縄慰霊の日」、日米同盟条約発効、「オリンピック・デー」~

 2020年6月23日、本日は、1945年の沖縄戦が組織的に終結した「沖縄慰霊の日」75周年であった。毎年、この日は沖縄では休日となり、県民皆が平和を考え、祈る日となっている。
 丁度10年前、沖縄を訪問した直後、私は、次のようなことを記していた。

<沖縄は日米同盟の棘か光か>
 「沖縄問題は日米関係の棘である。」と言われることがある。何故か。それは、在沖縄米軍基地にまつわる事件・事故が大きな反米・反基地運動につながり、それが良好な日米同盟関係を揺るがすきっかけになることがあるからである。1995年の少女暴行事件しかり、2009年の民主党政権誕生後の普天間基地移設問題しかりである。
<棘の背景:二つの歴史>
 沖縄と米国との関係には、本土とは異なる二つの歴史がある。一つは、太平洋戦争末期、沖縄本島で繰り広げられた米軍との沖縄戦である。数か月(1945年4月1日~6月23日)にわたる激戦は、沖縄県民に多くの犠牲をしいた(役20万人の戦没者のうち半数以上が沖縄県出身者)。想像を絶する戦いである。今でも、島のあちらこちらに、その跡があり、自然と手を合わせたくなる。
 もう一つ、本土と異なる歴史は、1952年に日本が米国(GHQ)の占領から独立した後も、沖縄は、米国の統治下に置かれたことである。それから沖縄が日本に復帰するには、1972年まで20年かかった。終戦後の1945年から1972年までの27年間に、沖縄の米軍基地が固定化してきたことは否めない。
<沖縄県民と米軍との良好な関係>
 「沖縄は日米関係の棘」と言うと、まるで、沖縄が日米関係のマイナス要因になっているような印象を与える。しかし、沖縄は、逆に、「日米関係の光」として、プラス要因として考えることも出来るのではないか。筆者は、今回の沖縄訪問を終えて、そんなことを思った。
 2010年3月29日、筆者は、那覇で、春の選抜高校野球で、沖縄の甲南高校がベスト8に進出する瞬間をテレビで視た。そして、「もしかしたら優勝するかも」と思っていたら、それが現実となった。現在、米国の大リーグでは、イチロー、松井、松坂等、日本の野球選手が活躍しているが、実は、沖縄の高校が野球に強いのは、米具の存在と無関係ではない。嘉手納基地近くの嘉手納高校も有名である。そして、キャンプ・シュワブの初代中隊長のテイラー大尉が少年野球チームを結成したこともあった。甲南高校に関しては、米軍がヘリコプターを提供して、練習試合のある石垣島(那覇から約400㎞)まで送迎したこともあるそうだ。
 野球のみならず、沖縄駐留の米軍が沖縄県民等のために尽くした例は少なくない。今回、沖縄を訪問して、幾つかの美談を聞いたので紹介する。一つは、臓器移植の話である。2000年11月、キャンプ・キンザー(海兵隊基地)のパケット司令官が、脳梗塞で倒れ、脳死と判定された。パケット大佐は、かねてから、「万一の時は、沖縄を愛した証として、臓器沖縄県民および日本人に提供したい」と話していたことから、遺族は、大佐の臓器提供を申し出た。その結果、大佐の腎臓と角膜は、福岡、熊本及び沖縄の患者さんに提供された(恵龍之介「尖閣、沖縄が危ない!」『諸君』2006年5月号参照)。)この大佐の遺志を継ぐ米軍関係者は多く、彼らの中には、自分の子供が亡くなった時に、日本で、その臓器を提供したものもいたと聞いた。心に響く話である。
 もう一つ、米軍兵士が沖縄県民の命を助けた話も聞いた。ショッピング・センターの前で、心臓麻痺で倒れた沖縄県民を、通りがかりの海兵隊の将校が蘇生をして命を救ったという話である。このような例は一件ではない。交通事故で瀕死の重傷を負った若者を、救命隊員が来るまでの間、米軍兵士が蘇生をして、一生を取りとめたこともある。この若者の父は、反基地運動家であったが、この出来事以来、反基地運動を止めたそうである。この他にも在日米海兵隊は、海岸の清掃等のボランティア活動、地域との交流事業(年1500回以上)を行ない、地元の「良き隣人」になろうとしている。また、アメリカ婦人福祉協会は、ギフトショップの売り上げを、10年間で200万ドル(約2億円)、沖縄の慈善事業に寄付している。
 このように、沖縄県民と米軍との関係は、決して負の側面(棘)ばかりではなく、プラスの側面(光)もある。
(以上2010年4月記)

 また、沖縄訪問で、何人かの方々にインタビューをさせて頂いたメモの中に、次のような記述を見つけた。
 「沖縄戦の慰霊の日には、米軍基地内でも慰霊祭が挙行される。その際には、米軍の犠牲者のみならず、沖縄そして日本人の犠牲者も追悼する。牧師の祈りの他に、必ず、日本国歌「君が代」が吹奏される。1968年、ある沖縄県民が父に連れられ参列した時も、米陸軍音楽隊が最初に「君が代」を演奏したのを記憶する。それは、沖縄県民及び日本軍が立派に戦ったことへの崇敬の念である。」

 この日本人の戦いぶりへの「崇敬の念」は、筆者が、2014年12月、パラオ共和国の激戦地ペリュリュー島を訪問した時にも感じた。圧倒的に優位だった敵の米軍に対して、一生懸命、家族や国を守るために戦った日本人の生き様は、相手への伝わったのだろう。

  本日、沖縄慰霊の日には、糸満市摩文仁の平和祈念公園で式典が挙行される。戦没者の氏名が刻まれた「平和の礎」の前方に広がる海は青く美しいが、何故かとても切なくも感じられる。祈りの手を合わさずにはいられない。

 今日6月23日は、偶然にも、1960年1月に岸信介総理がアイゼンハワー大統領と合意した「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障に関する条約」が発効した日でもある。本年は60周年にあたる。一般に「日米安保約」と呼ばれるが、正式な条約名にもあるように、条文の記載でも、この条約は、安全保障のみならず、日米両国民の福祉の向上や経済協力も謳っている。

 「昨日の敵は今日の友」。75年間、日米間の絆が育まれてきたからこそ、そして60年間、日米同盟が安定に発展してきたからこそ、日本はある程度平和と繁栄を享受できたのだと思う。英霊に、先人に、そして皆々様に感謝する。

 6月23日は、「平和の祭典」と呼ばれる古代のオリンピックを、近代復活させることが1894年にパリのソルボンヌで決まった日でもある。これについては、拙著『オリンピックと日本人の心』(内外出版)又は "The Olympics and the Japanese Spirit"(22世紀アート、英語版)をお読み頂きたい。


  

2020年6月13日土曜日

日本文化から見る新型コロナ対策

 新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、日本では4月8日に緊急事態宣言が発出され、5月26日に解除された。日本の外出制限は、他国のような強制的禁止ではなく、自粛、協力要請という緩いもので、当初は、その効果が疑われたが、幸い、医療崩壊を起こすことなく、全国民の一致団結した努力により、感染爆発を防ぐことができた。
 もちろん、新型コロナウィルス感染者は収束したわけではないので、まだ油断はできない.
が、気を引き締めてばかりいて息切れしてしまってもいけないので、次の第二波の到来に備えて、気を引き締めなおすためにも、一瞬息抜きの時間が必要だろう。
 そこで、日本文化の諸要素が、新型コロナウィルス感染防止に役立ったのではないかということを、少し元気づけのためにも語ってみたい。
 第一は、日本人のきれい好きが功を制した。家に入る時は、靴を脱ぐ等、外部の汚いものをなるべく内に入れないようにする。小さい時から、帰宅したら、すぐ手を洗いましょうと教えられている。レストランなどに入ると、すぐお手拭きと水かお茶が出て来る。小学校から高校まで、お掃除当番があり、毎日、自分達のお教室は、自分達で掃き掃除、拭き掃除等をする。あるミッション系の学校では、お手洗いまでお掃除させるそうである。お寺さんや神社でも、毎朝の修行?はお掃除から始まる。庭を掃いたり、廊下をぞうきんがけする。与謝野晶子が、總持寺を訪れた時、その床のピカピカのを見て、お堂に足を踏み入れるのを躊躇したと言われ、その時、「胸なりて われ踏みがたし 氷より すめる大雄 宝殿の床」と詠んだ。

  この事は、拙著『オリンピックと日本人の心』でも紹介した(132頁)。その中では、羽生結弦選手が競技前に、部屋をきれいに整えてから出かけること(133頁)、能楽師は能舞台を稽古前に磨くこと等も紹介した。
 日本人のきれい好きは、その衛生観念にも表れている。小学校や中学校では、時々、「衛生検査」があり、きちんとハンカチとちり紙を持ってきているか、爪が伸びていないかをチェックさせられた。お風呂には毎日入る習慣がある。水が豊富な国だからとも言えるが、湯船への入り方としては、たとえかけ流しの温泉であっても、必ずまず全身をきれいに洗ってから入る。最近では、海外からの方が温泉旅館等に宿泊することも多くなったが、身体を洗わずに湯船に入ってしまう人もいるらしく、英語や中国語、韓国語等で、大浴場の入り方の説明がしてある。
 この日本人の衛生観念については、かつて明治の頃、新渡戸稲造が台湾に赴任した時、農業政策や産業復興政策とともに、衛生観念をも教育したと、新渡戸基金の藤井茂理事長が、2020年3月15日号の『太平洋の橋』で書かれている。
 その台湾は、今回、新型コロナウィルスの感染防止対策を、日本よりも上手くやり、世界のお手本になった。日本国内では、今回、最後まで唯一感染者が出なかったのが岩手県だった。その岩手県は、偶然にも、新渡戸稲造の故郷である。
 日本文化が功を奏した第二の要素は、「間」の取り方である。今や世界で、感染防止に、Keep the social distance(人と人との間をあけて)と言われるが、こういう意識は、昔から日本にあった。日本人は、挨拶する時、抱き合ったり握手したりぜず、お辞儀で済ます。遠くから目が合うと、会釈だけして過ぎ去ることもある。「付かず離れず」の人間関係を大事にする。
 もう何年も前にあるが、今上陛下が皇太子時代にタイ王国をご訪問された際、長年タイに住んでいらした日本人の方が、現地の状況を説明されることになった。その時、宮内庁のお付の方から、何メートルも離れてご進講をするように言われ、理由を尋ねると、「唾が殿下にかかってはいけないから。」と言われたそうだ。その方は、ご自身は声が大きいからと納得されていらした。そういえば、日本には、「沈黙は金」という言葉があり、通常、おしゃべりする時でも、あまり大声は出さない。飛沫感染のウィルス予防には、このことはプラスに作用するだろう。咳エチケットも、特別なことではない。約40年前(1982年~1983年)のことであるが、フランスの中学校の社会科の教科書に、東京の写真が載っていて、マスクをしている人は、「公害がひどいから」と説明されていた。それを見せられた私は、すぐさま、「それは違う。マスクは、風邪を人に移さないようにしたり、移されたりしないように、している。」と訂正を求めた。
 「距離を取る」ことを、「空間を取る」と言い直しても良いが、これは、日本文化の様々な所に生きづいている。日本画や書道や生け花等、一つの空間にたくさんのことを詰め込まない。白い部分を残して、それこそ「空間」を大切にする。ごちゃごちゃと賑やかに書いたり、配置したりしない。華やかさに欠ける、「侘びさび」の文化と形容できよう。「蜜集」、「近蜜」は好まれないのである。
 そこから、第三の要素、「風通しの良い」文化にもつながる。日本語の「風通が良い」という言葉は、物理的に空気の通りが良いという意味の他に、人間関係が良い、透明性が確保されていると言う意味もある。前者では、例えば「風通しの良い家」と言えるし、後者では、「風通しの良い組織」ということが挙げられる。日本では、古くから、「家は夏をむねとして立てるべし」と言われてきた(拙著英語版" The Olympics and the Japanese Spirit"135頁)。

縁側があり、外に開かれた家屋を建て、家の中は畳敷きで家具はほとんどなく、部屋の仕切りも、厚い壁ではなく、障子で影や光が透けて見える。固い煉瓦や石で閉ざされた空間はなく、「密閉」されていなかった。木の文化は、水も風も通す。
 「令和」の御代に生きている私達、日本人だが、令和の元号のもととなった出典の万葉集の歌は、「初春の令月にして、氣淑く(よく)風和ぎ」である。ここにも「風の文化」が登場する。そして、今上陛下が、令和2年4月10日、新型コロナウィルスについて述べられたお言葉は次のようなものだった。
「この度の感染症の拡大は、人類にとって大きな試練であり、我が国でも数多くの命が危険にさらされたり、多くの人々が様々な困難に直面したりしていることを深く案じています。今後、私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、この感染症を抑え込み、f現在の難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています。」
 この「心を一つにして力を合わせながら」とのお言葉から、筆者は、新渡戸稲造の'Union is Power'という揮毫を想い出した。
 日本人が、そして世界の人々、人類が、心を一つにしてこそ、力が発揮でき、猛威を奮う感染症に打ち克つことが出来るのではないか。そんなことを思った。

 上記のこと、その他のこと、令和2年5月25日の日本文化チャンネル桜の番組「フロント・ジャパン桜」で語っています。是非、ご覧下さいませ(1時間3分~1時間25分位)。