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2020年6月13日土曜日

日本文化から見る新型コロナ対策

 新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、日本では4月8日に緊急事態宣言が発出され、5月26日に解除された。日本の外出制限は、他国のような強制的禁止ではなく、自粛、協力要請という緩いもので、当初は、その効果が疑われたが、幸い、医療崩壊を起こすことなく、全国民の一致団結した努力により、感染爆発を防ぐことができた。
 もちろん、新型コロナウィルス感染者は収束したわけではないので、まだ油断はできない.
が、気を引き締めてばかりいて息切れしてしまってもいけないので、次の第二波の到来に備えて、気を引き締めなおすためにも、一瞬息抜きの時間が必要だろう。
 そこで、日本文化の諸要素が、新型コロナウィルス感染防止に役立ったのではないかということを、少し元気づけのためにも語ってみたい。
 第一は、日本人のきれい好きが功を制した。家に入る時は、靴を脱ぐ等、外部の汚いものをなるべく内に入れないようにする。小さい時から、帰宅したら、すぐ手を洗いましょうと教えられている。レストランなどに入ると、すぐお手拭きと水かお茶が出て来る。小学校から高校まで、お掃除当番があり、毎日、自分達のお教室は、自分達で掃き掃除、拭き掃除等をする。あるミッション系の学校では、お手洗いまでお掃除させるそうである。お寺さんや神社でも、毎朝の修行?はお掃除から始まる。庭を掃いたり、廊下をぞうきんがけする。与謝野晶子が、總持寺を訪れた時、その床のピカピカのを見て、お堂に足を踏み入れるのを躊躇したと言われ、その時、「胸なりて われ踏みがたし 氷より すめる大雄 宝殿の床」と詠んだ。

  この事は、拙著『オリンピックと日本人の心』でも紹介した(132頁)。その中では、羽生結弦選手が競技前に、部屋をきれいに整えてから出かけること(133頁)、能楽師は能舞台を稽古前に磨くこと等も紹介した。
 日本人のきれい好きは、その衛生観念にも表れている。小学校や中学校では、時々、「衛生検査」があり、きちんとハンカチとちり紙を持ってきているか、爪が伸びていないかをチェックさせられた。お風呂には毎日入る習慣がある。水が豊富な国だからとも言えるが、湯船への入り方としては、たとえかけ流しの温泉であっても、必ずまず全身をきれいに洗ってから入る。最近では、海外からの方が温泉旅館等に宿泊することも多くなったが、身体を洗わずに湯船に入ってしまう人もいるらしく、英語や中国語、韓国語等で、大浴場の入り方の説明がしてある。
 この日本人の衛生観念については、かつて明治の頃、新渡戸稲造が台湾に赴任した時、農業政策や産業復興政策とともに、衛生観念をも教育したと、新渡戸基金の藤井茂理事長が、2020年3月15日号の『太平洋の橋』で書かれている。
 その台湾は、今回、新型コロナウィルスの感染防止対策を、日本よりも上手くやり、世界のお手本になった。日本国内では、今回、最後まで唯一感染者が出なかったのが岩手県だった。その岩手県は、偶然にも、新渡戸稲造の故郷である。
 日本文化が功を奏した第二の要素は、「間」の取り方である。今や世界で、感染防止に、Keep the social distance(人と人との間をあけて)と言われるが、こういう意識は、昔から日本にあった。日本人は、挨拶する時、抱き合ったり握手したりぜず、お辞儀で済ます。遠くから目が合うと、会釈だけして過ぎ去ることもある。「付かず離れず」の人間関係を大事にする。
 もう何年も前にあるが、今上陛下が皇太子時代にタイ王国をご訪問された際、長年タイに住んでいらした日本人の方が、現地の状況を説明されることになった。その時、宮内庁のお付の方から、何メートルも離れてご進講をするように言われ、理由を尋ねると、「唾が殿下にかかってはいけないから。」と言われたそうだ。その方は、ご自身は声が大きいからと納得されていらした。そういえば、日本には、「沈黙は金」という言葉があり、通常、おしゃべりする時でも、あまり大声は出さない。飛沫感染のウィルス予防には、このことはプラスに作用するだろう。咳エチケットも、特別なことではない。約40年前(1982年~1983年)のことであるが、フランスの中学校の社会科の教科書に、東京の写真が載っていて、マスクをしている人は、「公害がひどいから」と説明されていた。それを見せられた私は、すぐさま、「それは違う。マスクは、風邪を人に移さないようにしたり、移されたりしないように、している。」と訂正を求めた。
 「距離を取る」ことを、「空間を取る」と言い直しても良いが、これは、日本文化の様々な所に生きづいている。日本画や書道や生け花等、一つの空間にたくさんのことを詰め込まない。白い部分を残して、それこそ「空間」を大切にする。ごちゃごちゃと賑やかに書いたり、配置したりしない。華やかさに欠ける、「侘びさび」の文化と形容できよう。「蜜集」、「近蜜」は好まれないのである。
 そこから、第三の要素、「風通しの良い」文化にもつながる。日本語の「風通が良い」という言葉は、物理的に空気の通りが良いという意味の他に、人間関係が良い、透明性が確保されていると言う意味もある。前者では、例えば「風通しの良い家」と言えるし、後者では、「風通しの良い組織」ということが挙げられる。日本では、古くから、「家は夏をむねとして立てるべし」と言われてきた(拙著英語版" The Olympics and the Japanese Spirit"135頁)。

縁側があり、外に開かれた家屋を建て、家の中は畳敷きで家具はほとんどなく、部屋の仕切りも、厚い壁ではなく、障子で影や光が透けて見える。固い煉瓦や石で閉ざされた空間はなく、「密閉」されていなかった。木の文化は、水も風も通す。
 「令和」の御代に生きている私達、日本人だが、令和の元号のもととなった出典の万葉集の歌は、「初春の令月にして、氣淑く(よく)風和ぎ」である。ここにも「風の文化」が登場する。そして、今上陛下が、令和2年4月10日、新型コロナウィルスについて述べられたお言葉は次のようなものだった。
「この度の感染症の拡大は、人類にとって大きな試練であり、我が国でも数多くの命が危険にさらされたり、多くの人々が様々な困難に直面したりしていることを深く案じています。今後、私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、この感染症を抑え込み、f現在の難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています。」
 この「心を一つにして力を合わせながら」とのお言葉から、筆者は、新渡戸稲造の'Union is Power'という揮毫を想い出した。
 日本人が、そして世界の人々、人類が、心を一つにしてこそ、力が発揮でき、猛威を奮う感染症に打ち克つことが出来るのではないか。そんなことを思った。

 上記のこと、その他のこと、令和2年5月25日の日本文化チャンネル桜の番組「フロント・ジャパン桜」で語っています。是非、ご覧下さいませ(1時間3分~1時間25分位)。


 
 

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