福島、栃木、群馬、長野、そして岐阜に聖火はつながれた。
岐阜では、何と、岐阜県中津川市出身の島崎藤村の子孫が、聖火をつないだ。明治、大正、昭和、平成、令和と時代が変わる中でも、同じ道を走る、若い藤村の子孫。おそらく、島崎藤村も、お墓の中から喜んでいることだろう。
「暗い顔だった地元の人たちの希望になれたら」 岐阜県1日目 東京2020オリンピック聖火リレー デイリーレポート (tokyo2020.org)
藤村は、9歳で既に学問のために上京している(明治の新渡戸稲造とも似ている)。
そして、人生の中では、子供を亡くしたり、妻を亡くしたり、悲しい思いをたくさん経験している。それでも、希望を失わない、そんな校歌を、母校の明治学院大学に残している。
島崎 藤村 | 明治学院大学 “Do for Others” (meijigakuin.ac.jp)
聖火ランナー、一人ひとりが、命をつないでいる。生きている人も、生きていない人から、命をつないでもらっている。そんなことを感じている。
「人生を懸けるアスリートのことを思って走りました」 岐阜県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)
岐阜県は、なかなか行く機会がなかった。が、近年、機会を得て、2度ほど訪れた。1度目は、岐阜市で、名古屋から通勤圏、電車で20分くらいの近さに、実は、意外と来やすい場所なのだと実感した。駅は立派で、駅前広場には、金ぴかの信長像が立っていた。新開発地区と古くからの商店街が共存していて、不思議な感じがした。
今回、聖火は行かなかったようだが、岐阜といえば、、世界遺産の白川郷のある所である。多くの外国人が訪れ、とてもよかったと聞いていたので、日本人の自分も、一度は行ってみなければと思っていた。それが2度目の訪問である。
本当に、都会から離れた古き良き日本を発見した。
ある旧家に入り、「立派はお家ですね。」と言うと、住民兼受付のおじさんが、「ご先祖様のお蔭です。」と答えられた。自然と今なきご先祖様に感謝する心を、ほんの一言の会話から学んだ気がした。
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