福島、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪の後、四国で、徳島、香川、高知と廻った聖火は、四国の最後に愛媛に到着した。
松山市のコロナの感染拡大で、市内の沿道での走行は中止となり、別の方法で聖火は繋がれた。それに関する下記のレポート、是非、お読み下さいませ。
全盲のパラリンピアンの矢野選手が、伴走者の瀧本さんと共に感じ、共に「眺めた」聖火。
その彼の言葉に、とても感動した。共生社会は、誰しもが助け合って生きている。それぞれに役割があって生きている。みんなが大事。ヘレン・ケラーが歴史に名を残したのも、サリバン先生という恩師がいたから。テレビに出ている有名人や権力者たちだって、それを支えている人達がいるから。縁の下の力持ち、蔭にいる人達にも、もっと光が当たっていいのかもしれない。
「伴走者もクローズアップされてほしい」 愛媛県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)
聖火リレーからは、様々なことを学ぶ。各地、津々浦々、普段あまり見聞きしない日本の地方が浮かび上がる。愛媛の二日目の聖火リレーの報告(下記リンク)では、大洲市が2018年の豪雨で被災し、今も復興途中であることを教えてくれた。
日本は災害大国である。現在のコロナとは別に、地震、水害、噴火等、自然が豊かな反面、自然の怖さも知っている。その中で、日本人は、何百年、いや何千年と、自然と共存して生きながらえて来たのだろう。
「アリガトウ」を何度も言っていた米国人の聖火ランナー、ディートリッヒさん。私こそ、有難うと感謝の気持ちを返したい。
「アリガトウ、オオズ!」 愛媛県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)
愛媛県は、瀬戸内海に面した美しい所。温かい気候に恵まれ、かんきつ類が美味しい。宇和島みかんや伊予柑等、土地の銘柄がついた果物、その甘さは、人々の心も表しているような気がする。
愛媛には、一度だけ訪れたことがある。広島からフェリーに乗って、瀬戸内海を渡って行った。それが四国への初めての旅だった。
松山市内のみでも、沢山の日本の文化、歴史を感じることができた。
正岡子規の「子規堂」もその一つ。正岡子規が住んでいた家が移築され、駅のすぐ脇のスペースにあった。当時の雰囲気をそのまま感じることが出来た。「坊ちゃん列車」も外に展示されていて、子供も楽しんでいた。正岡子規や高浜虚子の出身地だけあって、今でも松山の人達は、俳句を気軽に詠むらしい。俳句は世界一短い詩の類型とも言われ、今では、世界中で、その土地の言語で、Haikuをたしなむ人達がいる。
松山市内には、日露戦争を日本の勝利に導いた秋山兄弟の生家もある。
陸軍大将で教育者として中学の校長先生もした兄の秋山好古。
海軍中将で、日露戦争時は東郷平八郎元帥の参謀として勝利に貢献した秋山真之。
住宅街の一角にある二人の銅像が迎える生誕地には、復元された立派な家が建っている。
そんな二人の物語を、司馬遼太郎の作品とともに読んで行けるのが、松山城のふもとに2007年に出来た「坂の上の雲ミュージアム」である。
そして観光地で有名なのが、夏目漱石の『坊ちゃん』の舞台でもある道後温泉。松山駅前から道後温泉まで「坊ちゃん列車」が走っている。
道後温泉本館は、日本でも唯一、皇室専用の温泉浴室がある所である。
昭和天皇が、第二次世界大戦終結後、全国を巡幸された際、道後温泉の浴室をご利用されたそうである。昭和25年(1950年)のことである。宿泊は、老舗旅館[鮒屋(ふなや)」だった。本日、これを執筆している4月29日は、折しも
昭和天皇のお誕生日の祝日である。
この国の行く末を、激動の昭和を生き抜いた
昭和天皇が、じっと見つめてお守りしていて下さるような気配がした。
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