2020年4月30日木曜日

昭和天皇を偲ぶ

 4月29日は、「昭和の日」の祝日だった。
 昭和天皇を御偲びて、令和2年(2020年)の4月を考えてみたい。
 
 昭和天皇は、20世紀の始まり1901年(明治34年)にお生まれになった。すなわち、日本国民は、4月29日の祝日を、昭和天皇のお誕生日としてお祝いするのである。
 昭和天皇は明治のお生まれであり、大正時代、さらに昭和64年(1989年)1月7日、満87歳でご崩御されるまで、88年間の人生の中で、第一次世界大戦(1914年~1918年)も、第二次世界大戦(1939年~1945年)も、その間に起きた1918年~1920年のスペイン・インフルエンザの流行も、1923年の関東大震災も、全てご経験されている。
 1945年の終戦の時は、御年44歳。人生の丁度、真ん中、折り返し地点でいらした。
たったお一人で、大国アメリカ合衆国(連合国の代表)のマッカーサー元帥(連合国軍最高司令官)に直談判され、ご自身の首はどうなっても良いから、日本国民の命を守ってほしい、飢えさせないでほしいとおっしゃられた。お蔭で、私達日本国民は、今、このように生きていられる。
 終戦の詔勅では、「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び」と、敗戦後の日本が苦難の道を歩むことを示唆された。
 そして、7年間の連合国軍(実質は米国)の占領を終え、日本が主権回復をして、再び独立国となったのが、1952年の4月28日。昭和天皇が51歳のお誕生日をお迎えになる前日だった。その年、昭和天皇は、戦後初めて靖國神社をご親拝されていらっしゃる。モーニング姿でシルクハットを他の参拝者に向かって高く掲げられた。

 2011年の東日本大震災、そして今年は新型コロナウィルスで、毎日の生活も、命も、今後の世界もどうなるか分からない不安定な時代。
 そんな中、「昭和の日」に、昭和天皇をお偲びしつつ、ご自身のお立場や命よりも、私達日本国民の命を一番に考えて、終戦後の日本社会を考えて下さった歴史に、思いを馳せた。
 実は、この日、久しぶりに書道具を持ち出した。今年の初め、お父様が特攻隊の生き残りだという友人と話をしていて、思い浮かんだ和歌を詠んだ。

 若人ら 尊き命を捧げしは 家族と国への 限りなき愛

 特攻隊員たちは、人を殺すためではなく、家族や国家の未来を守るために旅立った。
そんな気持ちは、世界でも共通に存在する。

 新型コロナウィルスとの戦いでも、医療現場では、患者さんを助けようとして、自らが感染し命を落とした方々もいる。そこには献身的行動と人類への愛がある。

 「昭和の日」、手を合わせずにはいられない。合掌

 薫風の光の中で、たくさんの感謝を込めて

 令和2年(2020年)4月29日 鈴木くにこ

 





2020年4月25日土曜日

出雲大社から世界への祈り

 ひと月前の2020年3月24日、お彼岸が明けた翌日、出雲大社をお参りした。
松江城から宍道湖のほとりを通って、出雲大社に到着すると、真っ先に巨大な日の丸が目に入った。


  元自衛官の方でさえ、こんな大きな日の丸は、自衛隊でも持っていないのではないか、というほどの見事なもの。この日は、ご覧の通りの快晴で、雲一つない。地元の人達も、「八雲立つ出雲」というように、この辺りは常に雲ががっていて、こういう日は珍しいという。
鳥居から拝殿へ。
大きな注連縄(しめなわ)の拝殿で参拝。
普通、神社のお参りの仕方は、「2礼2拍手1礼」だが、
出雲大社では、「2礼4拍手1礼」。
注連縄の大きさにも誘われ、大きく4拍すると、氣も心も大きくなる。
拝殿の先が本殿。神様により近い所で、改めて手を合わせる。

 出雲大社の御祭神は、大国主大神。
大国主大神と天照大御神との関係は、出雲大社の以下のサイトで読むことが出来る。
一部を引用しておく(下線は筆者)。
http://www.izumooyashiro.or.jp/about/ookami

「大神様は国づくりの後、築かれた国を私たち日本民族を遍く照らし治める天照大御神様へとお還し(国土奉還=国譲り)になりました。そこで天照大御神さまは国づくりの大業をおよろこびになり、その誠に感謝なさって、これから後、この世の目に見える世界の政治は私の子孫があたることとし、あなたは目に見えない世界を司り、そこにはたらく「むすび」の御霊力によって人々の幸福を導いて下さい。また、あなたのお住居は「天日隅宮(あめのひすみのみや)」と申して、私の住居と同じように、柱は高く太い木を用い、板は厚く広くして築きましょう。そして私の第二子の天穂日命をして仕えさせ、末長くお守りさせます。」


「大神様は国づくりの最中、農耕・漁業・殖産から医薬の道まで、私たちが生きてゆく上で必要な様々な知恵を授けられ、多くの救いを与えて下さいました。この慈愛ある御心への感謝の顕れが、一つ一つの御神名の由来となっているのです。
今では広く“えんむすび”の神として人々に慕われていらっしゃいますが、この“縁”は男女の縁だけではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄えていくための貴い結びつきです。そして、日本の悠久なる歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守られ、目に見えないご縁を結んで下さっているのが大国主大神様なのです。」 

伊勢神宮(三重県伊勢市、御祭神は天照大御神)と出雲大社は、陽と陰の関係とも言われる。太平洋と日本海という点でもそうである。そして、北海道から沖縄県の西端の与那国島までのほぼ真ん中に位置する。

 上記の引用で驚くべき記述に気付く。私達の古代からの国造りでは、既に、農業のみならず、医療まで考えられていたこと。「古事記」の「因幡の白兎」のお話でも、怪我して苦しんでいた兎(うさぎ)さんに、治療方法を親切に教えてあげて助けてあげたのが大国主大神様であった。
(http://www.izumooyashiro.or.jp/about/inaba を参照。)
 新型コロナウィルスで、日本も世界も苦しんでいる中での参拝。
大国主大神様は、だまされて苦しんでいるものを医療の知恵で助けることを行動でお示しになっていたこと、「生きとし生けるもの」の共存共栄を唱え、見えない「ご縁」という力で見えない世界を司って下さっている。
 とても有難いご存在。日本の国造りの神様は、この悩み、不安な私達の気持ち、心を癒して下さる、と感じた。
 見えない敵には、見えない力が一番効果的かも、そんなことにも気づかされた。
  
 10月のことを神無月と私達は呼ぶが、旧暦の10月、全国の八百萬神様が出雲大社に集まる。出雲では、その月を「神在月」と呼ぶ。その神々のお宿となるのが、下記写真の建物「十九社」。どんな風に御在室されるのか、想像してみた。




本殿を裏から見た所、うさぎさんも手を合わせる

注連縄の大きいことでよくマスメディアで取り上げられるのが、神楽殿。コンサート等で使用されることもある。左下は真下から撮影したもの。どうやって製作したのか、何人がかりで縄をしめたのだろうか。重さ約1トンと聞いたことがあるが、しっかりつるすのも大変だろう。国造りは、それだけ偉業ということだろうか。 




夜、お夕飯を遅めにして、夕日を拝みに行った。午後6時半頃が日の入り。
 神在月に八百萬神様がご到着するという、日本海に面した稲佐の浜に足を速めた。
 出雲の地から、世界の安泰を祈った。特に、新型コロナウィルスの収束を祈願した。



ただただ祈る。静寂。波の音。風の流れ。
往復、「神迎の道」を通った。神在月に、稲佐の浜に着いた八百萬神様が出雲大社まで向かわれる際にお通りになる道らしい。神を迎える道。日本海に向かって道の入り口に、灯篭のようなものが2柱、門のように立っていた。
 


夕食時、「神様と同じものを召し上がって頂きます。」と出されたのが、下記の御膳。海の幸、山の幸、豪華というより質素である。
 昨年の大嘗祭の報道で見たものと似ている印象。
 感謝して頂いた。出雲にいると、どこでも、「神様」「神様」と言われる。
 「八雲立つ」出雲。雲に隠れていつも見守っていて下さるのかも。w

こんな偶然があって良いのだろうか。いつもあまり見ることのないテレビ。
 この夜、スイッチを付けたら、NHKで、出雲出身の竹内まりやが昨年の紅白で歌った「いのちの歌」の特別番組がやっていた。
 今、この時、この場所で、涙が出た。忘れられない。
♬本当に大事なものは、隠れて見えない♪
♪この命に、ありがとう♬
もう一つ、不思議な偶然が起きた。このブログの3月20日付で、私は、「東京オリンピックは、中止でなく、延期されるべきだ。」と書いた。日本側とIOcで延期が正式に決まったとのニュースがこの3月24日に流れ、出雲で知った。
 私が多くの人の気持ちを記した『オリンピックと日本人の心』(内外出版)は、生命(いのち)で始まり、感謝でおわる本である。「いのちの歌」が主題歌となった出雲を舞台にした連続テレビドラマ「だんだん」は、出雲方言で「ありがとう」の意味と聞いた。何か見えないご縁を感じた。

「オリンピックと日本人の心」は、本年、一部内容を変えて、‛The Olympics and the Japanese Spirits’(The 22 Century Art)として英語で出版された。
 そこで新たに追加したのが、「音楽とオリンピック」についてだが、その中で、私は、ヴァイオリニスト吉田美里さんについて触れた。
 今日、このブログを書きながら、出雲大社のサイトに、吉田美里さんを見つけた。
http://www.izumooyashiro.or.jp/hounous/7308
 彼女は、昨年、(一般にコンサートは神楽殿で行われるが)より神様に近い拝殿で、日墺国交150周年を記念した奉納コンサートを行なった。

2020年4月15日水曜日

米FBIも指摘する、新型コロナウィルスで急増したズームの危険性

【Front Japan 桜】デマに惑わされないために -新型コロナお役立ち情報- / FBIも指摘する、
コロナで急増したズームの危険性[桜R2/4/13]


最近問題続発のzoom。zoomの社長もこれを認め、改善には90日以上かかるという。
危険を知ったうえで子供達に使用させたり、部下や大衆に使用させたりして何か起きた場合、どのように責任をとるのだろうか。暫くは別のアプリにした方が良いのでは?
54分頃からです。


2020年4月11日土曜日

人類とウィルスの第二次世界戦争



現在の新型コロナウィルスとの戦いを、「人類とウィルスの第二次世界戦争」と名付けたい。では、「人類とウィルスの第一次世界戦争」はいつか。それは、丁度100年前に起こったスペイン・インフルエンザの猛威である。
 速水融先生(慶應義塾大学名誉教授)が2006年に著した『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店)の副題が、「人類とウィルスの第一次世界戦争」だった。速水先生は、昨年12月に90歳でご逝去されたが、まるで今年の新型コロナウィルスを予言して「第一次」の後、「第二次世界戦争」が来ることを示唆していた。
 100年前のスペイン・インフルエンザがなぜ「戦争」だったかは、その死者数が、それを表している。1914年~1918年の第一次世界大戦では、1000万人の犠牲者を出したが、スペイン・インフルエンザの死者数は、その約4倍、4000万人と言われる。また、日本だけ見ても、例えば、大正の関東大震災では、約10万人が亡くなったが、スペイン・インフルエンザでは、約45万人が亡くなった。当時の日本の人口は5500万人程だったかと思うと、その半数が感染し、感染者の2%が亡くなったことになる。
 私達は、歴史の授業で、第一次世界大戦や関東大震災のことは習ったり聞いたりするが、その4倍以上の犠牲者を出したスペイン・インフルエンザの事を知る人は多くない。
速水先生も、関東大震災の写真はたくさんあるのに、スペイン・インフルエンザについては奇妙な程ない、とおっしゃる。「見えない敵」との戦争は、見えるようには残らないのだろうか。
しかし、「賢者は歴史に学ぶ」というように、その歴史をしっかりと残して下さったのが、速水先生である。現在進行形の「人類とウィルスの第二次世界戦争」において、私達は、その教訓から学ばなければならない。
速水先生は、幾つかのことを教えて下さった。
①ウィルスというものは、遺伝子がRNAで、不安定であり、変異しやすい。だから、侮れない。知ったつもりの敵が、別物になって表れるかもしれないのだ。
 実際、スペイン・インフルエンザの場合、日本には、3回に分けてやってきた。第1波目が、1918年5月~7月くらいで、発熱した感染者はいたが、死者は出ずに済んだ。しかし、第2波、1918年10月~1919年5月は、11月に感染者が急増し、休校や交通・通信障害があり、翌1月には、死者が多くなり、葬儀場が混雑した。感染者の数の割には致死率は高くなかったが、死者数は26万6千人に上った。第3波の1919年11月~翌1920年5月では、死者数は18万7千人で、合計は第2波より少ないが、ウィルスは猛毒化し、致死率は5%にも達したと言う。世界中で4000万人もの人が亡くなり一定の免疫力がついて、やっとスペイン・インフルエンザは収まった。3年かかった戦争である。
②薬やワクチンは万能ではない。
 現在も新型コロナウィルスに対して、アビガン等の新薬の投与やワクチンの開発がなされているが、専門家も指摘しているように、それには時間がかかる。その間にも、感染は拡大してしまう。副作用等の危険もある。
③「手洗い、うがい、人混みに行かない」はいつの時代も有効である。
④新幹線や飛行機は即座にヒトとウィルスを運ぶ。
 科学技術の発達は、新薬やワクチンの開発等感染症の対策にプラスの作用をもたらすが、一方、交通網の発達は、。感染を拡大するように働いてしまう。100年前のスペイン・インフルエンザの時は、今のような人の移動はなかったが、ウィルスは世界に伝播した。現在は、グローバル化が進み、100年前の比ではない。恐ろしい拡散力である。
⑤ 「空気感染」は「接触感染」より怖い。
 ウィルスは飛沫感染と言われると同時に、空気中や固いモノの表面に数分間残ると言われる。だから、たとえエレベーターにヒトがいなくても、直前に乗ったヒトから感染することもあるらしい。
⑥「人間同士が争っている暇はない。」
速水先生は、2006年の段階で、警告を発していて下さった。人類共通の敵への備えが出来ていなかったのが、現在の状況である。
 通常の戦争よりウィルスとの戦争の方が恐ろしいと警笛を鳴らしたのは、ビル・ゲイツや中山太郎先生とも共通する(拙者ブログ'What human beings can learn from COVID-19'参照)。
 いずれにしても、感染症の基本対策は、隔離政策と移動制限。この新型コロナウィルス
は、世界同時に、鎖国と自宅待機等の移動制限をしないと、なかなか収束しないかもしれない。そんな危惧を抱いている。
 新渡戸稲造は、Unioin is Powerと揮毫したが、まさに世界がまとまって新型コロナウィルスに対処することが必要だろう。
参考:https://www.amazon.co.jp/日本を襲ったスペイン・インフルエンザ―人類とウイルスの第一次世界戦争-速水-融/dp/4894345021
*是非、このレビューもお読み下さい。当時も、日本の軍医さんが、自分の体調も顧みず、最期まで患者さんの治療にあたりました。今も、そんな状況があるのではないでしょうか。医療現場の皆様に感謝しつつ、負担の軽減も考えましょう。それには、感染防止と健康管理が重要です。