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2021年3月9日火曜日

雪は天からの贈り物(Snow is God's gift)

  雪は天からの贈り物、心の中まで真っ白にしてくれる。


 The snow is God's gift, it also purify my heart.


 


Nobody is perfect, so... (完璧な人なんていないのだから…)

 Nobody is perfect, so, you can be proud of yourself and you should improve yourself at the same time.


完璧な人なんていないのだから、自分に自信をもって、そして悪いところは改善しよう。




今日の一文(令和3年3月8日)One sentence of today (March 8, 2021)

 お金や物は、一時の快楽や満足のため、

心や教えは、一生、そして代々続く。


Money and materials are for joy and satisfaction of yourself,

Love and education are for children and following generations.



2021年2月5日金曜日

介護の現場から

  かつてママ友たちが、「子育てが終わって第2の人生と思うと介護なのよねえ。」と言っていたが、まさか、自分がそういう立場に立たされるとは思ってもみなかった。

 それは、昨年の9月、母(89歳)の入院がきっかけだった。それまで父(91歳)と母は二人暮らしだったが、、突然の母の入院で父は自宅に一人残されることになった。心配で、電話をしたり見に行ったりしたが、父は、「大丈夫だから。それより俺が死んでも泣くなよ。人生は一度しかないから、思いっきり好きなことをしなさい。」と遺言みないなことばかり繰り返し言う。まだ残暑の厳しい中、やや脱水症状から、老衰ぎみであった。

 入院した母への面会は、コロナ禍で週1回1人のみ可能だった。予約をして会いに行き、主治医の先生等にも容態を伺った。母は、自分は病院にいるから大丈夫だから、父を見に行ってほしい、出来れば寝泊りしてほしいと私に頼んだ。

 父に会い、母に言われたことを話すが、話した後には、すぐ忘れている。母が入院したことさえ分かっていないのか、何度も同じことを尋ねる。父は、「私は介護が不要だから、もう帰りなさい。泊まる必要はないよ。」と言うので、私も、それならと思って、帰ろうとすると、父がいきなり、「あれ、貴方誰だっけ?くにこか?そこに何人いるのか。」と聞いてくる。えっ、と驚くが、父の認知機能の低下を目の当たりにし、心配で帰れなくなった。

 そこから、同居生活は始まった。母が入院中、毎朝6時すぎには、母から電話がかかってきて、父がどうしているか聞いてくる。「泊まってくれたの。有難う。」「夜、何かあったら心配だからよろしくね。」と言われた。自宅と両親宅を行き来する生活、掃除も炊事も洗濯、ゴミ出しも、次第に自宅より両親のためにする方が多くなる。母の入院が3週間以上になり、その間、父も母も、自分の生死と相手の死への不安を募らせるようになった。父が往診の先生に、「生活上の不便はないが、あえて不安といえば、自分が死ぬことと、家内が死ぬこと」と述べた時、私は、人間は、いざ死を前にすると誰しも不安になるらしい、という話をまざまざと見せつけられた思いがした。母もしきりに言う。「90と言うのは大きな境、体力も含め色々な面で衰えを感じずにはいられない。もう退院しても今までのようには同じように出来ないから、良かったら同居してちょうだい。ベッドを早く購入し、簡単なリフォームも頼みましょう。」

 このように、母が退院してからも、私の同居生活は続き、両親合わせて180歳を、精神的に背負うことになる。まして、父、母、二人の性格、食べ物の好み等、全く違う。それに応じて行かなければならない。母は、「お寿司が食べたい。」と言い、ほぼ毎日のようにお昼は握りずしを買ってくるように頼む。父は、自分でインスタント・コーヒーに牛乳を入れて、それとお決まりのバターロールを少し焼いて食べるのが好き。父は、朝も昼も、時には夜も分からなくなることがあるので、毎食同じ物を食べたがる。それでは栄養が偏るので、スープを作ったり、細かく野菜を茹でたりしたものを出す。そうすると、「これ何だ?」と聞きながら、歯が悪いので、ペッぺぅと音を立てながら、栄養分だけ吸って、自分が噛めない所は吐き捨てるようにお皿に出す。それが、最初は汚らしく感じていやだったが、次第に慣れた。老いと向き合っているのは本人ばかりではない、周りでお世話している人達もそうなんだ、そんなことを初めて肌身で感じた。経験しなければ分からない。

 父は目や耳が悪いが足はまだ動く。母は目や耳は悪くないが、足が悪い。朝、父が新聞を取りに行くと、母がそれを声に出して読んだり、テレビ欄に赤ペンで記しをつけたりする。そして、食事をして、テレビを見て、母が本を読み、父が昼寝をし、一日が過ぎて行く。母は、夏目漱石や芳賀徹、池波正太郎の本を出して来ては、何度も何度も同じ個所を読む。父は、若い時に覚えたフランスのマラルメやモーパッサンの文章を自慢して暗唱する。フランス国歌マルセイエーズも歌い出す。姉は、父を病院に連れて行くタクシーの中で大声で歌われて困ったそうだ。

父は、昔から整頓が上手な方ではなかったが、最近はさらにひどくなった。ベッドの周りには、開けかけの目薬が何十個も散乱していた。入れ歯洗浄剤ポリデントも、使いかけの物が何十個もあり、まだ足りないと買い足す。熱中症予防用に姉が差し入れたポカリスエット等も、そこら中に飲みかけのペットボトルが置いてある。飲み薬も、なかなか管理出来ない。声かけしても、「もう飲んだ。」とか、「まだ飲んでなかったか。」とか曖昧な答えをしていたが、毎日習慣化させて行くと、次第に食後に飲めるようになっていた。介護マネージャーさん達が、高齢者の方々にして下さっているのは、些細な事もあるが、実はその些細な事に、とても神経を使う。人間相手の仕事はとても大変である。コロナ禍、病院、高齢者施設、障碍者施設等で感染があるが、それらは人を相手にし、リモートでは出来ない仕事である。まして、食事等に介助が必要であれば、マスクを外さないわけには行かず、対面を回避することも難しい。そういう人達への理解を忘れずにいたい。

 母は、退院後、ベッドを置く準備に、リフォームを業者さんにお願いした。母は私との同居を喜び、友人や業者さん達にも、「娘が一緒に住んでくれることになったのよ。」と話していた。業者さんは、少し前に母に頼まれて括り付けた本棚やクロゼット等を、今度は取り外してほしいと言われ、やや困惑していた。両親は、自分達の近い過去に何をやったか、やって頂いたかを部分的に忘れていることがある。母は、私が病院にお見舞いに行ったことも忘れていた。普段は普通に話しているが、繰り返しは昔から多かったとしても、最近は、話していて、突然、ぽっと穴が開いたように記憶がなくなっている。思い出すかのように、確認するかのように、「ええっと、あなたがくにこで、子供の名前は…。」と唱える。これが老化現象か、認知症か、ママ友たちが言っていたことに、しごく納得する。

 ママ友たちは、「そちらは大丈夫?うちは認知症、大変。」と深刻な顔をしながらも、鬱にならないように、明るくふるまっていた。確かに、経験した人でないと分からない苦労は多い。

 父が一人きりで脱水症状から立ち直りかけた時、外に出かけたがった。足が動くといっても、よろよろ、機能低下とコロナ禍もあるので、私が仕事から帰るまで待つように伝えた。昼過ぎ、父が一人で出かけないように、足早に帰路につくと、道の向こうから、おかしな格好をした父が歩いてくる。慌てて、「お父様、どちらに?」と聞くと、「お蕎麦を食べに。」と言う。私が言ったことも、私が寝泊りしていることも、何も分かっていないか、忘れている。父に同行してタクシーを拾いに出ると、「あれ、どこに行くんだっけ?」と聞いてくる。「お蕎麦屋さんでしょ。」と言うと、「あ、そうだった。」と。そして、タクシーに乗ると、また、「どこに行くんだっけ?」と再び尋ねる。お蕎麦屋さんに着くまでに何度か同じやりとり。どこに行く時も、この調子。気を付けないと騙されやすい。

 色々と経験しながら、ママ友たちの気持ちがとてもよく分かった。自分の仕事もあり、子供たちの将来もあり、それらの生活の中で、自分達の両親(夫側と自分の方と多ければ4人)のことも心配しなければならない。四六時中、一緒にいるわけにはいかないので、そこで介護をして下さる方のお助けが必要になる。多くの友人から介護認定を両親のために取ることを奨められた。困ったことに、介護認定制度を両親が理解できない。介護申請をして、区役所の方がいらしても会おうとしない。会ってしまうと、自分達は施設等に入れられてしまうと思っているようだ。説明してもしても分かってもらえない。

 足して180歳の両親との経験を通じて、ほんの一握り、介護の大変さを肌身で知ったと思う。同居しなければわからないこと、沢山ある。夜暗い中、サイレンが鳴ったり、隣で寝ている母の息が荒くて気になったり、知らない間に朝2時か3時に父がアイスクリームを食べていたり…いろいろなことがあった。

 友人達の中には、大変な介護生活をしながら家族との別れをされた方々もいる。食事は全て離乳食という難病を抱えたお母様を家族で支えながら最期まで家で看取った友人、不治の病のご主人を勇気づけ車椅子生活を続けながら見送った友人、自ら大病を抱えながら100歳近いお母様のそばに居続けた友人、築地の食材でお料理し車椅子でお母様を散歩に連れて行っていた友人……それぞれに家族愛と、並々ならない苦労がある。私は、これらの友人達を尊敬している。それは、単に友人達が苦労をしているからではなく、その苦労を外にはあまり見せず、いつも朗らかで、さもなければ慈悲の心で、前向きに人生を歩んでいるからである。全く偉ぶることをしない「普通の人」の中に、尊敬すべき人達がいる。

 「高齢化社会」と一言で簡単に言うが、その言葉の奥深く、奥底に、どれだけの人々の苦労や支えがあるのだろうか。皆が元気で健全な精神でいられれば良いが、世の中、なかなかそうは行かない。医療や科学技術がこれほど発達しても、コロナ禍で経験しているように、思うように状況はコントロールできないし、人生に不条理はつきものである。まして、人の弱みにつけこむ人達も多い。高齢者詐欺が一向に減らないのも、そうした背景があろう。

 「皆がいきいきした社会」、「豊かな社会」とはどういうことか。言うは易し、行うは難し。高齢者でも病人でも、それを介護する方々は、家族でも仕事でも、本当に大変でストレスが溜まることが多いだろう。細かい配慮が必要になり神経も使うだろう。そして、そういう仕事に携わるのは、圧倒的に女性が多い。そのような女性の声が、もっと政策に反映されても良いのかもしれない。そうしたら、日本社会、もっと良くなって行くだろう。

明日、未来への希望を失わず、元気に進んで行きたい。

2021年1月22日金曜日

バイデン大統領の就任式と日本

  2021年1月20日(日本時間1月21日未明)、バイデン第46代米国大統領の就任式が首都ワシントンの議事堂(The Capitol)で行われた。寒いワシントンだが、お天気が味方してくれた。青い空の議事堂からワシントン・モニュメントまで、きれいな映像が世界中に中継された。穏かに、しかし華やかに、アメリカらしい大統領就任式だった。1月6日の議事堂乱入事件や新型コロナウィルスの最大の犠牲国であることを忘れさせるかのように、つつがなく挙行された。

 しかし、バイデン大統領の就任演説では、これらの事に触れずにはならなかった。

そして、今も続くコロナ禍の犠牲者たちに黙祷が捧げられた。

 


 バイデン大統領は、2020年11月の勝利宣言の時から、米国の分断を憂い、自分は、自分に投票しなかった人達も含め全ての米国人の大統領であると述べた。そして、この度の就任演説では、何度となくUnitiy、すなわち一つになることが言われた。

 これは、何も米国のみの問題ではない。今、世界で、そして日本でも重要なことである。右翼も左翼もない、みんな仲良く、心を一つにして、人類とウィルスの世界戦争に打ち克たなければならない。
 本年の初詣で拝んだ明治天尾の御製、
「国のため いよいよはげめ ちよろづの 民もこころを ひとつにはして」
 心を一つにして、未来に向かって取り組むことで、この国難を乗り切れると思う。
 

 米国の大統領は、政教分離にかかわらず、就任式では、聖書に手をおいて、国家を守ることを誓う。
「神のご加護が国家にありますように。」

 この思いと信仰は、日本も同じである。
 毎年お正月の始めに、日本国総理大臣は、伊勢神宮に参拝される。
日本国の起源となる神様に、国家の安寧を、平和と繁栄をお祈りするのである。
 本年、菅総理は、コロナを理由に伊勢神宮に参拝されていないと聞いた。
 コロナ禍だからこそ、参拝頂きたいものである。
 お正月は1月中をさすと聞いた。まだ間に合う。きっとお参り頂けるのだろう。


 

2021年1月1日金曜日

謹賀新年 令和3年 A Happy New year 2021

  あけまして おめでとう ございます。

 コロナ禍でも、負けずに、気を付けながら、前に進んで行きたいと思います。

 本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 朝、家族でおせちとお雑煮を頂き、散歩がてら、靖國通りが空いていたので、初詣に行こうとした。空は快晴、風は冷たいが、美しい日の丸と冬の紅葉。

 
  が、甘かった。靖國神社の境内に入ると、人、人、人。初詣を諦めた。出直すことに。

  遠方からいらした方は、並ぶのだろうな。大変だな。コロナ、大丈夫かな。


 帰路の、靖國通り沿いの老舗(明治元年創業)の[寶(宝)来屋」さん。

 混雑していたらやめようと思っていたら、意外とすっと入れた。

 花びら餅を始め、迎春、初春、若竹、福梅、干支のお菓子等々、季節感、日本の文化、行事を感じさせる品々が美しく並んでいた。子供から大人まで、楽しんで選んでいた。

 感謝を込めて、初春を吟味した。

 より良い一年となりますように。

 令和3年元旦




2020年(令和2年)を振り返り (風と愛)

  今年は、世界中の多くの人達にとって、コロナ(Covid-19)で始まり、コロナで終わる年になりそうである。

 今日、大晦日に、東京では、初めて一日の感染者が1000人を超え一気に1337人となった。

 国内全体でも新規感染者が過去最多の4519人。4、5月の緊急事態宣言時より状況は悪いのに、危機感は薄くなっている。

 常に忘れずにいたいのが、コロナ禍でも毎日、人と触れ合い命をつないでいる医療従事者らのこと。これからの季節、コロナ感染者のみならず、心筋梗塞や脳梗塞も起こりやすく、救急で治療が必要になることも多いだろう。

 新年のお祝いの中でも、そんな人達のことを忘れずに、そっと心を寄せていたい。

 

 今年、コロナ禍で、風通しの良さが重視された。

 密閉空間が良くないということで、ドアや窓を開けて換気を良くすることだ。

 風通しをよくするとは、別の意味で、コミュニケーションが上手く行き、オープンで明るい人間関係が存在することを言う。

 また、風力発電など、自然の力の存在も認識させられた年でもあった。

 日本の歴史では、時々、「神風」が吹くが、風神(風の神様)が、今年は、色々な所で、様々なことを教えてくれた。

 2月に栃木県の足利大学で講演をさせて頂いた時、理事長の牛山泉先生には、風力エネルギーについて教えて頂いた。

  新国立競技場の設計に携わった隈研吾先生は、次のようなことを述べられた。

「 オリンピックが1年延期になるということは、その「風通しのよい幸福」に気づきなさい、目覚めなさいというメッセージであるようにも感じられる。気づいてから、集い、祝いなさいと諭されたようでもある。この1年間を、その新しい幸福の学習のために使いたいと思う。」

 11月の秋の地域の文化蔡の書展に出した今年のお題が、偶然にも、「恵風和暢」。

 来年には、恵みの風が吹いてくれるだろうか。


 その文化祭の直後に、ある佐賀県の尊敬する方から届いたパッケージの表にあった言葉が、「みどりの風を贈ります」だった。文化祭の作品の色紙を、書道の豊田先生とともに、緑色を選んだのも、偶然。
 「みどりの恵みの風」が吹いて、心地よいお日和をもたらしてくれるのが来年ではないだろうか。そんな期待、希望を持っていたい。

 そして、豊田九華先生ご自身は、「強い、賢いものではなく、変化に対応できるものが生き残るのだ」とのダーウィンの言葉をお書きになった。

  風の変化を感じて、それに乗る、自然にさからわない、そんなことが大事なのかもしれない。 



 「順風も逆風もあり 走馬燈」、同じ書展で、これも出合った一作品。
  どんな風も、人生の一場面。追い風も、向かい風も、上手く利用すれば良い。
 いよいよ2021年(令和3年)は、東京オリンピック・パラリンピックの、「2020+1年」の年。この「+1」をどう捉えるか。
 そして、令和3年は、東日本大震災からちょうど10年。この10年、日本では、世界では、どれほどの災害、テロ、そして感染症と、無常(無情)にも、人々の命が失われてきたのか。でも、命は失われても、いのちは繋がれ、生きてきた人々の生きた証、精神は残る。
 来年、明日、将来への希望をつないで、行きたいと思う。
 拙著『オリンピックと日本人の心』、英語版’’The Olympics and the Japanese Spirit''、
是非、読んで頂きたい。題字をそれぞれ書家の大家の先生お二人に書いて頂いた。
表紙絵は、フランス在住の若手日本人に描いて頂いた。翻訳・編集は、「青い目のサムライ」にして頂いた。多くの人の心の入った2冊。感謝を込めて、改めて紹介する。