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2021年4月30日金曜日

聖火、日本をつなぐ(愛媛)4月21日~22日

  福島、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪の後、四国で、徳島、香川、高知と廻った聖火は、四国の最後に愛媛に到着した。

 松山市のコロナの感染拡大で、市内の沿道での走行は中止となり、別の方法で聖火は繋がれた。それに関する下記のレポート、是非、お読み下さいませ。

 全盲のパラリンピアンの矢野選手が、伴走者の瀧本さんと共に感じ、共に「眺めた」聖火。

 その彼の言葉に、とても感動した。共生社会は、誰しもが助け合って生きている。それぞれに役割があって生きている。みんなが大事。ヘレン・ケラーが歴史に名を残したのも、サリバン先生という恩師がいたから。テレビに出ている有名人や権力者たちだって、それを支えている人達がいるから。縁の下の力持ち、蔭にいる人達にも、もっと光が当たっていいのかもしれない。

 「伴走者もクローズアップされてほしい」 愛媛県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 

 聖火リレーからは、様々なことを学ぶ。各地、津々浦々、普段あまり見聞きしない日本の地方が浮かび上がる。愛媛の二日目の聖火リレーの報告(下記リンク)では、大洲市が2018年の豪雨で被災し、今も復興途中であることを教えてくれた。

 日本は災害大国である。現在のコロナとは別に、地震、水害、噴火等、自然が豊かな反面、自然の怖さも知っている。その中で、日本人は、何百年、いや何千年と、自然と共存して生きながらえて来たのだろう。
 「アリガトウ」を何度も言っていた米国人の聖火ランナー、ディートリッヒさん。私こそ、有難うと感謝の気持ちを返したい。

「アリガトウ、オオズ!」 愛媛県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)


 愛媛県は、瀬戸内海に面した美しい所。温かい気候に恵まれ、かんきつ類が美味しい。宇和島みかんや伊予柑等、土地の銘柄がついた果物、その甘さは、人々の心も表しているような気がする。

 愛媛には、一度だけ訪れたことがある。広島からフェリーに乗って、瀬戸内海を渡って行った。それが四国への初めての旅だった。

 松山市内のみでも、沢山の日本の文化、歴史を感じることができた。

正岡子規の「子規堂」もその一つ。正岡子規が住んでいた家が移築され、駅のすぐ脇のスペースにあった。当時の雰囲気をそのまま感じることが出来た。「坊ちゃん列車」も外に展示されていて、子供も楽しんでいた。正岡子規や高浜虚子の出身地だけあって、今でも松山の人達は、俳句を気軽に詠むらしい。俳句は世界一短い詩の類型とも言われ、今では、世界中で、その土地の言語で、Haikuをたしなむ人達がいる。

 松山市内には、日露戦争を日本の勝利に導いた秋山兄弟の生家もある。

 陸軍大将で教育者として中学の校長先生もした兄の秋山好古。

 海軍中将で、日露戦争時は東郷平八郎元帥の参謀として勝利に貢献した秋山真之。

住宅街の一角にある二人の銅像が迎える生誕地には、復元された立派な家が建っている。

そんな二人の物語を、司馬遼太郎の作品とともに読んで行けるのが、松山城のふもとに2007年に出来た「坂の上の雲ミュージアム」である。

 そして観光地で有名なのが、夏目漱石の『坊ちゃん』の舞台でもある道後温泉。松山駅前から道後温泉まで「坊ちゃん列車」が走っている。

 道後温泉本館は、日本でも唯一、皇室専用の温泉浴室がある所である。

 昭和天皇が、第二次世界大戦終結後、全国を巡幸された際、道後温泉の浴室をご利用されたそうである。昭和25年(1950年)のことである。宿泊は、老舗旅館[鮒屋(ふなや)」だった。本日、これを執筆している4月29日は、折しも

昭和天皇のお誕生日の祝日である。

 この国の行く末を、激動の昭和を生き抜いた

昭和天皇が、じっと見つめてお守りしていて下さるような気配がした。

 

2021年4月29日木曜日

聖火、日本をつなぐ(高知)4月19日~20日

  福島、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪まで10都道府県、そして、聖火は四国に渡り、徳島、香川と来て、高知に入った。

 高知の空港が龍馬空港と呼ばれるように、さすが高知の聖火リレーは、龍馬像の前からスタートしたそうだ。筆者も一度、高知県を訪れた時に、坂本龍馬の足跡を辿りながら、龍馬像が立つ浜辺まで行った。こんな浜辺で龍馬はお姉さんと剣道の稽古をしたのだろうか…思いを馳せた。

 高知といえば、吉田茂の故郷、選挙区でもあった。吉田茂は、第二次世界大戦後、敗戦から日本を経済大国にまでしようと復興させた首相である。

 この文章を執筆している今日4月28日は、日本の主権回復の記念日でもある。1951年9月8日に米国サンフランシスコで平和条約が署名され、翌年1952年4月28日に、そのサンフランシスコ講和条約が発効し、日本は主権を回復し、すなわち連合国軍(GHQ,実質的に米国)の占領が解け、独立国家としての歩みを始めたのである。吉田茂は、サンフランシスコで平和条約に署名した同日、場所を移して日米安保条約にも署名している。たった一人で署名し、日本の平和に対する責任を背負ったのである。ただ、その条約は日本の土地を米軍に施設提供することは記されていても、米軍に対して日本を防衛する義務は課していながった。それを改正し、米軍に日本の防衛を義務づけたのが、1960年の岸信介首相の日米相互協力及び安全保障条約で、これが今日まで有効である。

 四国の四万十川には行ったことがないが、清流を見て、そこで取れる鰻を頂いてみたい。

また、かつて四万十檜で作られた日本製のベッドで寝たことがあるが、爽やかな檜の香りが眠りを誘った。

 私は眠るとよく夢を見るが、これは夢ではなく現実だった。

 高知からスポーツ分野で偉業を遂げた「偉人」が誕生した。

 それも、この聖火が高知に届く、ほんの数日前のことである。

 2021年4月13日、高知の明徳義塾高校のゴルフ部出身の

松山英樹が、日本人初、米国の最高峰のゴルフ・トーナメント「マスターズ」で優勝したのである。4月16日の日米首脳会談でも話題になったのか、会談後の記者会見において、米国のバイデン大統領は、松山英樹のマスターズ優勝を讃えた。

 この瞬間は、以下のサイトでご覧頂ける。多くの人々に感動を与えた。

 Every Shot From Hideki Matsuyama's Final Round | The Masters - YouTube

 

 高知で初日に聖火ランナーとして走った一人は、女性の地方競馬の騎手、濱尚美さんだった。ジョッキーの女性は、全国でも数少ない。その先駆的騎手の一人。体力もそうだが、男の世界で弱音を吐かない精神的強さも求められる。

 競馬の女性騎手と言えば、今年(2021年)3月にデビューした古川奈穂さんは、既に新潟競馬で優勝するという活躍ぶりだ。実は、筆者は彼女の小学生の頃を知っている。細くて小さくて、とにかく足が速い。誰も寄せ付けない速さだった。いつも運動会ではリレーの選手。2000年生まれで、今年成人式を迎えた古川騎手は、競泳の池江璃花子選手と同じ年。

 池江選手は白血病から奇跡的復活を遂げ、再びオリンピックへの切符を手にした。それも東京オリンピックは諦めていたのが、間に合った。古川選手も、注目される光の前には幾つも試練を乗り越えてきた。けがによる留年や落馬による故障等。それでも諦めなかった精神と行動が彼女たちを強くし、人々の眼、いや心をひき付ける。

 偶然、下記のサイトで紹介された聖火ランナーはお二人とも女性でスポーツで活躍中ないし活躍してきた方である。

「応援が何よりも力になた」 高知県1日目デイリーレポート 東京2020オリンピック聖火リレー (tokyo2020.org)

「頑張る日本代表を応援したい気持ちが強くなった」 高知県2日目デイリーレポート 東京2020オリンピック聖火リレー (tokyo2020.org)


 四国の中でも、太平洋に面した広い海岸線を有す高知は、名物のカツオのたたきに代表されるように、美味しい食べ物が豊富である。筆者はよく高知産のなすを購入し、お味噌汁からスパゲッティ等、色々に使用している。それから何と言っても大好物が土佐文旦。土佐という名前がついているだけでも、龍馬の時代を彷彿させる。

 そして、この紫と黄色のコンビネーションは、芸術的な自然の色合いである。

 


2021年4月28日水曜日

聖火、日本をつなぐ(香川)4月17日~18日

  福島、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪のあと、四国に渡り、徳島の次に聖火が渡ったのが、香川である。

 香川と言えば、丸亀製麺やさぬきうどん等、うどんで有名だが、筆者も、一度香川県の金毘羅さんを訪れた際、まずはうどんで舌鼓を打った。

 それから参道の階段をひたすら上る。両脇にお店が並んでいるのと、階段と階段の間に踊り場があるので、785段もそんなにきつくはなかったが、結構な距離はあった。また、途中のお店にふらふら寄ってしまうと、それなりに時間がかかってしまう。本宮は立派。さすが海の神様。海にまつわる展示などもあった。

 地味な道ではあるが、奥社に通じる方に行ってみる。森林の中のハイキングのような気持ちで静かに歩いていたが、最後の方の坂がきつかった。それもそのはず、奥社までは1368段あるそうだ。厳魂神社と呼ばれる奥社は天狗で有名と言うが…と、ふっと崖の上の方を見ると天狗がいた。意外と目立たない存在だが、山の上から密の天狗の神様が見ていてくれている気がした。 

 香川県には、四国と本州を結ぶ瀬戸の大橋があるが、そのふもとも含め、数々の島が存在する。オリーブで有名な小豆島もそうだが、今回、下記のサイトでは、直島や岩黒島の聖火ランナーが紹介された。たった一人の中学生が元気に活動していたが、卒業してしまうと中学校は休校になってしまったと言う。こういう島々が過疎にならないような何らかの施策も必要な気がした。

 瀬戸内海等、海に面した映像、緑に囲まれた自然の中を走るランナー、日本の地方の美しさに感動している。それは地方の人々の心の美しさでもある気がした。純真で、素直で、ありのままで…美しい自然そのものである。

 海外に行くことの比較的多かった筆者だが、海外に行かれないコロナの時代、もっと日本の地方の美しさ、素朴さ、ありのままの日本の姿を発見したいと思った。

 そういえば、かつてフランス人の友人が、高松市に素晴らしい日本庭園があって感動したと話してくれた。私はまだそこを訪れたことがない。いつか行ってみたい。

「聖火リレーをきっかけに観光客が戻ったら最高」 香川県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)

「学校があった時みたいに笑顔の絶えない島に」 香川県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)

2021年4月27日火曜日

聖火、日本をつなぐ(徳島)4月15日~16日

  福島、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪と、本州を南西に10都道府県通った後、聖火は四国へ渡った。四国最初が、徳島県である。

 徳島県とオリンピックの関係で、一つ特筆しておきたいことがある。

 それは、長野オリンピックで小澤征爾が指揮したべートーベン第九交響曲「歓喜の歌」が日本で最初に演奏されたのが徳島県であったということである。

 それも、板東俘虜収容所という第一次世界大戦で日本が戦った相手、ドイツ兵がいた所である。捕虜といっても、その待遇は良く、ソーセージやハムの工場ができたり、第九の演奏をする楽団ができたりした。それも収容所の所長が、「たとえ敵だとしても、お互い母国のために戦った者たちであり、罪人ではない。」との考えだったからだと聞いた。

 四国と言えば、お遍路さん。八十八か所の一番が、実は、徳島県鳴門市にある霊山寺である。四国八十八か所を全て歩いた友人が、最後に再び一番に戻った時に、筆者にお札を贈って下さった。そして、辛い巡業の中でも、四国の人々の温かさに励まされ、歩くことができたと語ってくれた。彼女は言う。「きっとそういう土地柄、風土だから、板東俘虜収容所でも、ドイツ人に対して親切にできたのだろう」と。

 2019年に私たちは令和元年を迎えた。

その御代替わりの大嘗祭に欠かせないのが、服(あらたえ)」という麻の織物である。

それが徳島の山奥で作られていることを、以前、私は徳島の友人から聞いていたが、

それを栽培し紡いでいる方が、このほど、聖火ランナーでいらしたことを以下のサイドで知った。こういう文化、歴史は必ず支えなければいけないと思った。

「この歴史だけは、次世代に

引き継ぎたい」徳島県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)


「世界と地域を結ぶ架け橋になる役割をしたい」 徳島県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)

 徳島県は、四国の中で、唯一まだ訪れたことがない県である。

 たくさん訪ねたい所があるので、いずれ機会を作りたい。

 とりあえず、鳴門産の若芽を頂きながら、夢を抱く。



トーチに見えてきた徳島県産の人参


2021年4月26日月曜日

聖火、日本をつなぐ(大阪)4月13日~14日

 福島、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良のあと、第10番目の都道府県として、聖火は大阪にわたった。

 コロナ禍で、特に変異株による感染拡大中の大阪で、一時中止との話もあったが、

聖火ランナーたちは、1970年の大阪万博に際し岡本太郎がデザインした「太陽の塔」の前で、元気に聖火をつないだ。皆さんの笑顔は、以下のサイト等でご覧いただける。 

走る男「オリンピックに参加する重みを感じた」 大阪府1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)

2人あわせて171才の夫婦ランナー「挑戦することの大切さ伝えたい」 大阪府2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)


 この太陽の塔、筆者もよく覚えている。まだ幼稚園児だったが、家族と大阪Expo’70に行ったことを。可愛いチューリップの迷子札を付けてもらい、とにかく混んでいて待って、やっと1つパビリオンに入れるくらいだった。当時まだ珍しかった「動く歩道」に乗っていた最中、大きな雷、激しい雷雨で、この電気で「動く歩道」は止まってしまい、途中で降ろされ、家族にレインコートを着せてもらったことを思い出す。

  今回、聖火を見つめた太陽の塔。それは、過去、現在、未来をつなぐ生命を表わしたものだそうだ。

太陽の塔とは – 「太陽の塔」オフィシャルサイト(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所) (taiyounotou-expo70.jp)

 実は、拙著『オリンピックと日本人の心』も、いのち(命)の話から始まる。

胎動、そして若き生命、そういうものを大切に、勇気づける、そんな要素がオリンピック・パラリンピックにはあるはずだ。

 「芸術は爆発だ」と言った岡本太郎には幾つもの名言があるが、一つ、人々を勇気づける言葉を見つけたので引用する。

 「自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければなおいい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ。」(岡本太郎)


 何でもいい。自分で出来ること、やれること、やってみよう。きっと、誰かがどこかで見ていてくれる。Never give up. 

2021年4月25日日曜日

聖火、日本を繋ぐ(奈良)4月11日~12日

 福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山を経て、奈良に渡った。

 奈良と言えば、710年に平城京が遷都されたいにしへの都。

 奈良時代は、天平文化等、今でも残る世界に誇る仏教美術が生まれた時代でもある。

 その中でも、東大寺の大仏は、今日、奈良の主要な観光地として世界中から人々が訪れるが、大仏建造の背景には、大地震や飢饉、そして疫病があった。

 聖武天皇は、疫病等の厄から国民を守るために祈り、その一つの方法として大仏が創建された。今も昔も、同じ思い。1300年以上前のいにしへの奈良の都に思いを馳せながら、その同じ場所に、今日、聖火が届いたことには大きな意味を見出す。

 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂いぬるかな(伊勢大輔)

 東京で満開の八重桜を愛でつつ、ふっと上記の短歌が浮かぶ。

 かつて修学旅行で訪れた奈良。吉野山の月明り、後醍醐天皇のゆかりの地、

文化功労者、犬養孝先生のお話を伺いながら歩いた明日香村、世界最古の木造建築で聖徳太子ゆかりの法隆寺、鑑真の唐招提寺、薬師寺の塔、興福寺、猿沢池の亀、若草山の鹿たち、

そして、東大寺大仏殿、正倉院、二月堂、三月堂…。

 1300年前の大和の地を歩き、その当時の文化をそのまま感じることができる幸せを、改めてかみしめている。時のつながりに感謝しつつ、今日も祈る。

 「ふるさとのことを知ってもらえ 奈良県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)


「仲さん、今から行ってきます」 奈良県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)




2021年4月24日土曜日

聖火、日本をつなぐ(和歌山)4月9日~10日

  福島、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、そして和歌山へ、聖火のたすきは引き継がれた。

 和歌山は、みかんや柿がたくさん採れる所。山とともに海も豊かで、広い太平洋を泳ぐ鯨が打ち上げられることもある。

 筆者は、平成元年に外務省に入省した時、同期の数名と、日本の地方を訪れようと、東京を夜、サンフラワー号とか何とかいう船で出発し、翌日、朝早くの光の中、和歌山の勝浦あたりの港に着いた時の感動が忘れられない。それから、那智の滝を拝み、熊野那智大社を参拝したり、南紀白浜の方まで足を延ばしたりした。


 今度、和歌山に行く機会があれば、是非、熊野古道をゆっくり歩いたり、高野山にお参りし宿坊に泊まり朝のおつとめの祈りの空気に包まれたりしてみたい。

 今回の以下の聖火ランナーの方々のレポートを拝読し、本当に感動し、勇気を頂き、日本人の心の美しさを感じることが出来た。

 命の大切さ、神様(自然)崇拝、感謝、子供たちへの思い、諦めない精神、人に伝えること等々、たくさん教えて頂いた。

 そういえば、和歌山の人々の素晴らしさは、トルコとの友情の歴史でも引用される「エルトゥ―ル号」の話にも表れている。

「世の中には神様がいると思った」 和歌山県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)


「じいじ、夢を叶えたよ」 和歌山県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)

2021年4月23日金曜日

聖火、日本をつなぐ(三重県)4月7日~8日

  福島、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知に次いで、聖火は、三重に届いた。

 三重県といえば、天照大神を祀る伊勢神宮がある所である。筆者も、大事な人生の節目(海外に行く前、お嫁に行く前等)には、何度か参拝している。五十鈴川の水のように、心も清らかになる感じがする。

 日本の起源でもある場所。お正月に、日本国のトップ、内閣総理大臣が伊勢神宮に参拝するのも、国家の平和と繁栄を祈願するためである。

 2016年には、G7(主要先進諸国)の首脳会議(サミット)が開催された。通称、伊勢志摩サミットと呼ばれる。伊勢市は、伊勢神宮やその参道に「赤福」の本店がある。そして、志摩市といえば、小高い賢島から美しい英虞湾の真珠の養殖場が見える。筆者は、昭和時代、年に一度の家族旅行で、両親に連れられ行った時のことを、今でもよく覚えている。夏の夕方の薄日の中で、英虞湾を遊覧し、その後、頂いた伊勢海老の豪華で美味しかったことを。

 家族旅行では、帰りに鳥羽市のミキモト真珠島で海女さんのショーを見て、感動したのを覚えている。海女さんは、何もつけずに、何分も素潜りして、海の深い所から様々な恵みを採ってくる。今、調べていたら、その歴史は、1500年以上前にさかのぼるらしい。
みひらき.indd (city.toba.mie.jp)

 そんな海女さんの日本文化、歴史を知ってもらおうと、聖火リレーに参加された方もいる。海の女と書く海女さん、海洋国家の日本にとっては、海と一体となって、美しい海や文化を守ってくれる女神みたいな存在かもしれない。

「海女を知ってもらうのが自分の役目」 三重県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)


「私はくノ一、忍者の魅力 少しでも知って」 三重県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)



2021年4月22日木曜日

聖火、日本をつなぐ(愛知)4月5日~6日

  聖火は、福島、栃木、群馬、長野、岐阜を経て、愛知に渡った。

 日本列島、本州のほぼ中央に位置する名古屋がある愛知県。

 オリンピックの大スポンサーであるトヨタが作った豊田市もあれば、

東京と京都、大坂を結ぶ東海道新幹線のJR東海の本社もある。

 愛知県には、こういう日本の先端技術を誇る企業が存在すると同時に、

歴史的に、古きよきものもたくさん残っている。

 一日目のコースで通る犬山城は、室町時代(1537年)に創建され、現存する日本最古の様式の天守閣で、国宝に指定されている。名古屋から犬山までは電車で少し距離があるが、筆者は、2016年3月、名古屋に用事があった際、足を延ばして犬山城を訪れた。

 そんなに大きなお城ではないが、歴史に思いを馳せて、天守閣の上から、木曽川の流れる景色、そして城下町の景色を眺めたのを覚えている。

 その時、犬山駅からバスに乗って明治村まで行った。幼い時から、明治の建築物がそのままあるテーマ・パークがあると聞いていて一度訪れたいと思っていた所だ。広々とした敷地内で、明治時代に使用されていた洋館、病院、そして初代帝国ホテル等に入って見学し、タイム・スリップした気分だった。

 名古屋市の聖火の出発点の一つが熱田神宮だった。筆者は、2016年3月、名古屋で最初にしたことが熱田神宮への参拝だった。三種の神器の一つの剣を泰安している神宮と知り、大変な興味を持った。訪れると、太平洋戦争の末期、日本に来た米軍に接収されないように、一時、秘密裡にどこかに避難させたという話も聞いた。自然と引き込まれた本殿の裏の静かな道(後で、「こころの小径」という所と知った)を歩いて、平景清が目を治癒させたという湧き水にも遭遇した。すがすがしい空気をたくさん吸った。

「若い人と隔たりを持たないシニア世代でいたい」 愛知県1日目 東京2020オリンピック聖
火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)


 愛知県の聖火リレーのフィナーレは、豊田市。トヨタの本社工場を、筆者も見学したことがある。外務省では、海外研修に出発する前に、必ず、トヨタと京都御所、奈良等を研修旅行で訪れる。世界のトヨタと、日本の歴史、文化を学んで、海外に行くようにとのことなのだろう。日本人としての誇りを持って。

「人とのつながりが大事だと再認識した1年だった」 愛知県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)



2021年4月17日土曜日

聖火リレー 日本をつなぐ(岐阜)4月3日~4日

  福島、栃木、群馬、長野、そして岐阜に聖火はつながれた。

 岐阜では、何と、岐阜県中津川市出身の島崎藤村の子孫が、聖火をつないだ。明治、大正、昭和、平成、令和と時代が変わる中でも、同じ道を走る、若い藤村の子孫。おそらく、島崎藤村も、お墓の中から喜んでいることだろう。

「暗い顔だった地元の人たちの希望になれたら」 岐阜県1日目 東京2020オリンピック聖火リレー デイリーレポート (tokyo2020.org)

 藤村は、9歳で既に学問のために上京している(明治の新渡戸稲造とも似ている)。

 そして、人生の中では、子供を亡くしたり、妻を亡くしたり、悲しい思いをたくさん経験している。それでも、希望を失わない、そんな校歌を、母校の明治学院大学に残している。

島崎藤村について (toson.jp)

島崎 藤村 | 明治学院大学 “Do for Others” (meijigakuin.ac.jp)


 聖火ランナー、一人ひとりが、命をつないでいる。生きている人も、生きていない人から、命をつないでもらっている。そんなことを感じている。

「人生を懸けるアスリートのことを思って走りました」 岐阜県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)

 

 岐阜県は、なかなか行く機会がなかった。が、近年、機会を得て、2度ほど訪れた。1度目は、岐阜市で、名古屋から通勤圏、電車で20分くらいの近さに、実は、意外と来やすい場所なのだと実感した。駅は立派で、駅前広場には、金ぴかの信長像が立っていた。新開発地区と古くからの商店街が共存していて、不思議な感じがした。

 今回、聖火は行かなかったようだが、岐阜といえば、、世界遺産の白川郷のある所である。多くの外国人が訪れ、とてもよかったと聞いていたので、日本人の自分も、一度は行ってみなければと思っていた。それが2度目の訪問である。

 本当に、都会から離れた古き良き日本を発見した。

 ある旧家に入り、「立派はお家ですね。」と言うと、住民兼受付のおじさんが、「ご先祖様のお蔭です。」と答えられた。自然と今なきご先祖様に感謝する心を、ほんの一言の会話から学んだ気がした。







 



聖火リレー、日本をつなぐ(長野)4月1日~4月2日

  福島、栃木、群馬の次は、長野に渡った聖火。 

 長野といえば、1998年の冬季五輪の開催地。

 また、1964年の東京五輪の際も、総合馬術競技が行われた軽井沢は長野県である。

風越公園オリンピック記念館|夏季・冬季のオリンピックが開催された世界で唯一の都市|軽井沢町 | 長野県の情報【E-CURE】 (i-turn.jp)

 2日間のリレーの模様は、以下のサイトで読める。一人一人の思い、家族愛、命へのいたわり等、共感、共有できるものがたくさんある。

 「将来弟に今日の経験と感謝を伝えたい」 長野県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)

「人生で一番の親孝行ができた」 長野県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (tokyo2020.org)


 長野オリンピックのレガシーについて、一筆しておきたい。2018年の平昌オリンピックで羽生結弦選手が金メダルを獲得した時のフリー演技の曲が「SEIMEI」だったが、その曲の中で龍笛を演奏されていたのが芝祐靖先生だった。芝先生は、長野オリンピックの開会式で君が代を演奏されていらっしゃる。そのお姿は、以下のサイトの中でも拝見できる。

芝祐靖先生、安らかに。 | まどでんきがかり。羽生結弦選手全力応援 (ameblo.jp)

 実は、拙著『オリンピックと日本人の心』の英語版を執筆中の2019年、芝先生の訃報を、

親しい友人から聞き、驚いた。英語版”The  Olympics and the Japanese Spirit" は、米国人の親友の支援を得ながら、どうにか2020年出版にこぎつけた。

 芝先生への哀悼の意も込めて、英語版には、「音楽の力」を加筆し、先生のお名前も掲載させて頂いた。

 もう一つ、長野五輪と「音楽の力」について、述べておきたいことがある。それは、長野五輪の開会式で小澤征爾が指揮したベートーベンの「歓喜の歌」。ご大陸をつないで、世界が音楽で一つになった。下記で、映像と詳細がご覧になれる。

 長野オリンピック開会式ブルーインパルス ハイビジョン版 Nagano Olympics Opening Ceremony - Blue Impulse - YouTube

5大陸つなぐ歓喜の歌 【1998年 長野】:平昌大会:読売新聞(YOMIURI ONLINE)





  そして、今回、4月2日の長野県内の聖火リレーの最終ランナーは、2018年平昌オリンピックのスピード・スケートの金メダリストの小平奈緒選手だった。
 小平選手の日本風の体幹トレーニングについては、拙著『オリンピックと日本人の心』でも書かせて頂いた。
まだお読みでない方には、是非、読んで頂けたら嬉しい。

2021年4月6日火曜日

聖火リレー、日本をつなぐ(群馬)

  聖火は、福島、栃木の次は群馬へと渡った。(3月30日~31日)

 

 実は、栃木で私の講演「オリンピックと日本人の心」をアレンジ下さった方は、

 群馬館林市にお住まいの方。

 群馬県館林といえば、分福茶釜の茂林寺がある所。

 かつて新渡戸稲造が、「分福茶釜」のお話は、福を分かつ、分け与えること、と述べていた。すなわち、皆が幸せになること。Sharing Happiness.

日本と世界をつなぐ NipponIA: 新渡戸稲造の至言から(4月4日) 分福(share happiness) (nipponia2020.blogspot.com)

 先日、都内で、群馬県の素材を使った、群馬県に本店のあるおうどん屋さんを見つけて入った。出て来たのが、たぬきの器。思わず、「分福茶釜」を思い出した。





 今回、聖火は、世界遺産にもなった富岡製糸場も通った。(3月31日)

 【終了】 東京2020オリンピック聖火リレー | しるくるとみおか 富岡市観光ホームページ (tomioka-silk.jp)

 富岡製糸場は、明治から最先端の技術を取り入れて運営され、全国の士族の娘など、

500人働く製糸場を、明治時代、皇后陛下、皇太后陛下が行啓されたこともある。





聖火リレー 日本をつなぐ (栃木)

 福島を出発した聖火は、そのバトンをつなぎ、

3月28日と29日は、栃木県で走った。

 栃木県の出発地は足利市。昨年(2020年)2月、私が、「オリンピックと日本人の心」と題し、足利大学で講演をさせて頂いた所。



 日本最古の学校、「足利学校」、足利氏ゆかりの鑁阿寺(ばんなじ)のある所である。





 


足利を訪問した際、「武士道精神」(フェアプレイや礼儀等)を持った素晴らしい、強いテニスの選手が高校生にいることを聞いた。きっと、こういう子たちが、聖火を元気につないで行ってくれるのだろうと、そんなことを思った。




 2020年+1(2021年)花吹雪を浴びながら

鈴木くにこ

2021年4月3日土曜日

聖火リレー、日本をつなぐ(福島)

  聖火が、人々の笑顔、涙、汗とともに、日本列島を走り始めた。

 是非、皆様も、下記サイト等で、フォローして下さい。

 聖火リレールート情報|東京2020オリンピック聖火リレー (tokyo2020.org)

 

 日本の美しい村々、町々、豊かな自然の中を、走り、一人が、また一人につないで行く。


 福島(A Happy Island):3月25日~27日

 10年前の東日本大震災で大きな原発事故が起き、見えない放射能物質が人々を襲った。

 ゴースト・タウンだった所にも、少しずつ人々が戻ってきた。

 福島では、東京五輪開会式(7月23日)に先駆けて、最初の競技ソフトボール大会が開催される(7月21日~22日)。ソフトボール・チームの皆さんは、福島の復興を支援してきた。

 今回、福島の聖火リレーの出発の第1走者となったのは、2011年の世界女子サッカー大会で優勝した「なでしこジャパン」の選手たちだった。

 サッカーもソフト・ボールもチーム・プレー。一人がみんなのため、みんなが一つのチームの為にプレーする(One for All, All for One)。リレーもそう。日本選手は個人の陸上競技ではメダルに届かなくても、チーム・プレーのリレーでは、メダルに届く。皆が協力すると、力が何倍にもなる。


未来を築く Building Our Future : ソフトボールの検索結果 (kunikosuzuki.blogspot.com)

上記ブログは、「皇后陛下とソフトボール、そして福島」と題して、コロナ前の

2019年9月13日に投稿されたブログである。こちらもお読み頂きたい。