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2019年1月8日火曜日

七草の思い出

今日は七草でした。
皆さんは、七草粥を召し上がりましたか。
お正月のご馳走の後、。胃を休める、胃をきれいにするために、野菜の入ったお粥は健康に良いと言いますし、昔から、七草がゆを頂くと一年、無病息災でいられるとも伝えられてきました。
春の七草を、「セリ、なすな、ゴギョウ、はこべら、ほとけのざ、
すずな、すずしろ、これぞ七草」と和歌にして覚えた子供時代。
そして、キッチン(お台所)で、母が、「こうやって歌を歌いながら、七草をまな板の上で刻んだのよ。」と、明治の祖母から教わったことを、私にも教えてくれた思い出があります。
🎵「七草なずな 唐土(とうと)の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン」🎵
まな板をたたく音と、歌の調子が、冬の静かな空気に上手く響いていました。
日本の家庭風景……。これを、私は子供達にどれほど伝え残していけるのでしょうか。

七草というともう一つ思い出があります。
丁度30年前の今日、1989年1月7日、雨の降る何となく暗い日でしたが、昭和天皇が崩御されました。激動の昭和を、日本国の元首として、日本国民のことを思い、国家の平和と繁栄を祈り、行動下さいました。太平洋戦争終結の1945年には、44歳でいらっしゃりながら、ご自身の命よりも日本国民の命を守るべく、マッカーサー元帥に直訴されました。
1989年に崩御される前年も、最後まで沖縄に行幸されることをとても望んでいらっしゃいました。昭和天皇の吐血が続かれる苦しい時期、国民もご快復を願い、バブルの真っ最中でありながら、銀座から忘年会時期に明かりが消えました。国民一人一人が、昭和天皇と同じ気持ちになろうと、自粛したのでした。
とても不思議なご縁でした。私は、昭和天皇の崩御の後、外務省に呼ばれました。その年の4月から入省することが内定していたので、外務省内に設置された「大喪の礼準備事務局」で働くことになったのです。2月の大喪の礼の当日は、それまでずっと晴天だった東京の空は、寒い雨の日となりました。大喪の礼が執り行われた新宿御苑、その控えに待機する医務官のアシスタントとして私はその場に居合わせました。2月の寒い雨、各国大使らには、黒い布袋に入れたホカロンを渡しました。
その日の映像を今でも覚えています。降りしきる雨の中、武蔵野陵に向かわれる昭和天皇の棺をお見送りするため、沿道に多くの国民が直立不動でいたことです。
昭和は遠くなりにけり。されど、後世に語りつぐべき事、多し。

1月7日は平成が始まった日でもあります。
本日の武蔵野陵は快晴でした。穏やかな日でした。30年を経て、今年の新しい御代を、
昭和天皇が、お天とう様とともに、見守っていて下さるような希望を感じました。


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