2021年7月11日日曜日

聖火リレー、日本をつないだ、心をつないだ

 3月25日に福島を出発した聖火は、全国をくまなく滞りなく、予定通りの日程で回り、最終目的地の東京に、7月9日に無事、到着した。

 これで、日本全国がつながった。一人ひとりの思いが皆の思いとなり、日本の空気、日本の風景、日本人の心を運んでくれた。

 これから7月23日までの15日間、聖火は広い東京都内を駆け巡る。コロナ禍で公道でのリレーは全て中止となったが、それでも人々は、希望の火をつないで行く。

 最近は、コロナ・コロナで、東京オリンピックは中止か、開催なら無観客か等が大手メディアの関心事項になっているが、ふと、以下の聖火リレーに関する動画を見つけた。

 まずはご覧頂きたい。

 東京2020オリンピック聖火リレー特別映像 「想いをのせて、ともに走ろう。」 (olympics.com)

 「いのち」って何だろう。コロナで怖いのは、いのちが危険に晒されること。たとえ感染しても命に別状なければ誰も怖がらない。

 では、10年前に日本に起こったことは何だろう。津波で一瞬にして最愛の家族を亡くし、仕事や住む家まで亡くした方々。そして、いまだに行方不明の方々。

 コロナで苦しみ、死に目に家族と手を取り合えないのも悲しい。

 同様に、あっと言う間に津波に呑まれ、行方不明のままの家族がいるのもやりきれない。

何も語ることも、苦しむ姿も見せないまま、この世から、人々の前から去ってしまった。

 やるせない気持ち、どこに持っていくこともできない。

 「東京オリンピック・パラリンピック」の理念?意義?何のため?

止めたら、無観客なら、何かいいことあるのだろうか。

 コロナ対策なら、もっとやるべきこと、あるはずでしょう。

 日本をつないでくれた聖火、それを運んでくれた一人ひとり、見守った一人ひとり、「聖なる火」とともに祈りたい。

 Hope lights our way. (希望が道を照らす)

 あの笑顔で去ったあの子のために、

 色々な思い出を残してくれたこの人のために、

感謝を込めて、鎮魂の祈りを捧げたい。

 もうすぐ、東京には、新盆がやってくる。

 

2021年7月10日土曜日

聖火、日本をつなぐ(埼玉)7月6日~8日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、山形、秋田、青森を通過し、北海道まで北上した後、東日本大震災の被災地、岩手、宮城を周り、そして静岡から山梨、神奈川、千葉、茨城、埼玉へと引き継がれた。

 最終目的地の東京に至る、最後の地が埼玉県だった。

 3日間にわたる聖火リレーは、公道でのリレーと、公園での点火セレモニーとを組み合わせる形で行われた。その模様は、以下のサイトでご覧頂ける。

スピードスケートに打ち込む中学生ランナー「次は選手として金メダルを獲りたい」 埼玉県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

デフフットサルとデフサッカーの普及願う日本代表「世界一獲ることが目標」 埼玉県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

走り続ける50歳市民ランナー「続けることで自分を育てられる」 埼玉県3日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 埼玉県と言えば、次の新1萬円札に起用された渋沢栄一の生誕地、深谷市がある。

実は、筆者の父の実家のすぐ隣が、その生誕地であった。

(本当かどうかは知らないが)父曰く、「渋沢栄一生誕地」の碑は、渋沢家の敷地に建てる所がなく、父の実家の敷地内に建てられたそうだ。

 筆者の母は、自称「江戸っ子」で、大手メディで言い出した「ださいたま」という言葉で、父をからかうこともあったが、父は、渋沢栄一や実家の両親がしたこと、自分の青年時代などに誇りを持っていて、時々、話をしてくれた。その中でも、印象的だったのが、先の大戦(第二次世界大戦)中のこと。

 父の実家では、軍人さん達に食事をやり、一緒に住まわせることもあった。その中の一人が特攻の藤井中尉だった。ある時、藤井中尉の特攻志願を知った妻は、子供とともに川に身投げして命を絶った。その話をしながら、父は、しきりに「かわいそうだったなあ。」「本当に可哀そうだった。」と何度も言いながら話してくれた。

 もう一つは、終戦の1日前、8月14日のこと。当時15歳の中学生だった父は、毎日、溶接作業のため工場に通っていた。熊谷市には、中島飛行機の工場があった。父は、田んぼのあぜ道を歩きながら「勤務」していた。中学生の先輩も同級生も皆、同様だった。

 その日、8月14日には、既に、明日何か重大発表があるらしいという噂は立っていた。皆、何だろうとそわそわしながらも、通常の生活をして、父は工場に出かけた。その時、米軍による熊谷空襲が起きた。空襲がおさまってから、父が工場への道を進むと、傍らに、先輩が倒れて亡くなっていた。そんな姿を見ながら、父は、工場へ行き、溶接作業を行っていた。

 父は、世界大恐慌が起きた1929年(昭和4年)生まれで、今年で92歳になる。昨年から急に脳の認知機能が低下して、いわゆる典型的「認知症」の症状が出ている。そんな父でも、短期記憶は苦手でも、若き18歳頃に覚えたフランス語の文章や詩は、すらすら暗唱できる。

(当ブログ「介護の現場から」を参照)

  埼玉とオリンピックの関係で特記しておきたいのは、1964年の東京オリンピックの聖火台を製造した川口の鈴木家のお話。命を懸けて出来た聖火台の話は、鈴木くにこ著『オリンピックと日本人の心』(内外出版)の中でも書かせて頂いた。書きながら、涙が出た。本当に苦労に苦労を重ねて、人々の協力と信念と丹念の賜物が、あの1964年の聖火台だった。それを今も大切にしている、現スポーツ長官の室伏選手や石巻の皆さんの事も書かせて頂いた。是非、お読み頂きたい。

オリンピックと日本人の心 - 内外出版株式会社 (naigai-group.co.jp)


 埼玉を聖火が通過した時は、ちょうど七夕だった。

 「七夕に夢と感謝を」、そんな気持ちで聖火は天高く翳されていた。

 さあ、いよいよ聖火は東京へ。





 


2021年7月8日木曜日

聖火、日本をつなぐ(茨城)7月4日~5日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、山形、秋田、青森を通過し、北海道まで北上した後、東日本大震災の被災地、岩手、宮城を周り、そして静岡から山梨、神奈川、千葉、茨城へと引き継がれた。

 コロナ禍で、多くの地域で公道での聖火リレーが中止になり、代わりに公園等での聖火リレーやセレモニーになって、聖火は、日本全国をつないできた。

 この茨城は、公道での聖火リレーが2日間にわたり行われた。雨にも負けず、聖火ランナー達は、それぞれの思いを胸に、元気に笑顔で聖火を繋いでくれた。

その様子は、以下のリンクでご覧になれる。

鹿嶋の地で仲間と聖火つないだジーコさん「アスリートとして最後の仕事を完結できた」 茨城県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

全盲の津軽三味線演奏家「自分発揮するには積み重ね大事」 茨城県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 2日目に聖火ランナーとして宇宙飛行士の野口聡一さんが走った。丁度、その後、野口聡一宇宙飛行士のインタビュー番組を見る機会があった。

 コロナ禍での皆さんにどんなメッセージを投げかけますかと問われた野口さんの言葉は次のようなものだった。

 「私達、宇宙飛行士は、宇宙空間で、常に隔離された状態が普通です。

食べたい物も食べられない、会いたい家族とも会えない、そんな時、何をしているか。

窓から、美しい景色、美しい地球を見ています。そして、その美しいものを皆と共有したいと思います。」

 宇宙での生活、それも人類がどうなるか分からなかった船外活動という未知への挑戦を何度も経験された野口宇宙飛行士。極限状態を知っている方の一言は、とても重いものでした。(物理的には、宇宙は重力がないので、軽いはずですが…笑)


 コロナ禍での東京オリンピック・パラリンピック。

何だかスッキリしないお天気そのものですが、

野口さんの言葉のように、

私も、「美しいもの」、特に、「美しい心」を皆様と共有したいと思っております。

七夕から一夜明けて

鈴木くにこ


2021年7月5日月曜日

聖火、日本をつなぐ(千葉)7月1日~3日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、山形、秋田、青森を通過し、北海道まで北上した後、東日本大震災の被災地、岩手、宮城を周り、そして静岡から山梨、神奈川、千葉へと引き継がれた。

 千葉では、幕張メッセ等でオリンピック競技が行われるため、聖火リレー(ただしコロナ禍で公道では中止)は3日間にわたって行われた。その模様は、下記のリンクでご覧頂ける。

JAXAで宇宙飛行士支える医師「美しい日本に生まれてありがたい」 千葉県 東京2020オリンピック聖火リレー開催レポート (olympics.com)

 千葉は広い。野菜も美味しいし、魚も取れる。九十九里浜に立つと、海岸線の長さと太平洋の海の大きさがよくわかる。東京ディズニーランドとディズニーシーがあり、成田国際空港もある。自衛隊の基地もあるので、ある千葉県民の方は、「千葉はいつでも独立できる」と言っていたことがある。

 7月に入り、いよいよ東京五輪・パラリンピックまで3週間を切った。コロナ禍でありながらも、粛々と準備は進んでいるようである。

 アスリート達は真剣だ。コロナ・リスクを抱えながらも、一生に一度になるかもしれない機会に向けて努力を続けている。それも自分の人生そのものを懸けて。

 「中止すれば良い」とただ述べるのは易しい。が、コロナのリスクを最小化しながら開催することは難問である。その難問と葛藤している日本。

 その中で、聖火は、淡々と、人々の思い、願い、祈り、笑顔、希望、勇気等々をのせて、

日本をつないでいる。


2021年7月2日金曜日

聖火、日本をつなぐ(神奈川)6月28日~30日

  3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、山形、秋田、青森を通過し、北海道まで北上した後、東日本大震災の被災地、岩手、宮城を周り、そして静岡から山梨、神奈川へと引き継がれた。

 東京でじわじわとコロナの感染が拡大する中で、神奈川では、公道リレーを取りやめ、3日共、聖火の点火セレモニーが開催された。その模様は以下でご覧頂ける(ただし、7月1日現在、3日目のレポートは未掲載)。参加者は、皆笑顔で、トーチからトーチへとギリシアから日本に届き、日本全国を回ってきた聖火を繋いだ。「聖なる火」、この困難な時だからこそ、祈りとともに、夜に静かに灯される火が神聖で、神秘的でさえある。

障がい者スポーツ支援のドクターランナー「練習続けるアスリートに深く敬意」 神奈川県 東京2020オリンピック聖火リレー開催レポート (olympics.com)

 眼科医の先生が、インタビューで述べている。コロナで聖火セレモニー参加も迷ったが、何か自分が希望を届けられればと思ったそうだ。コロナ患者の治療にあたる同僚もいる、目が見ななくなった患者さんもいる、そういう中で、皆が幸せになるにはどうしたら良いか考えていると言う。

 筆者は、昨夏、コロナ第二波の最中、東京のみが感染拡大のためにGo To Travelから除外された時、ある都内の総合病院に勤める眼科医の先生が述べた言葉を思い出した。

「地方から東京に治療に来られる患者さんから、東京は大丈夫ですかと聞かれるが、自分は毎日、この東京の病院に通って治療をしている。大丈夫も何も、自分が出来ること、すべきことをするしかない。」

 医療従事者が向き合うのは、コロナ患者ばかりではない。難病を抱える患者さんの手術をしたり、治療をしたりするのも、それぞれ大変である。感染対策をしながらなので、より気を遣って対処しなければならない。その歩みを止めるわけにもいかない。

 アスリート達も同様だろう。東京五輪があってもなくても、とにかく自分の能力、記録を更新するために、日々努力する。オリンピック・パラリンピックは1つの目標である。

 だからこそ、政府のコロナ対策が問われるし、一人ひとりが注意して生活することも求められる。

 神奈川の横浜は開港162周年を迎えると言う。海外と繋がる港は、海の玄関口である。

昔から、海外から私達の生活の必需品が届くのも港であり、昨年のタイヤモンド・プリンセス号のように、疫病が入ってくるのも港である。その重要な場所で、いかに良いものを国内に入れ、悪いものを入れないようにするか、的確に判断し実行することが、今こそ求められている。