2021年6月28日月曜日

聖火、日本をつなぐ(山梨)6月26日~27日

  3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、山形、秋田、青森を通過し、北海道まで北上した後、東日本大震災の被災地、岩手、宮城を周り、そして静岡から山梨に引き継がれた。

 笑顔や元気は、日本一の富士山も駆け巡った。

 山間を走る聖火も、霧の中の聖火も、夜のとばりが下りた後の聖火も、それぞれに趣がある。

 下記で聖火リレーの様子をご覧頂けるが、今(6月28日夜20時半)現在、山梨県内で見られる美しい富士山の姿がレポートにアップされていないのが少し物足りない。

 かつて川口湖畔で見た雄大な富士山、山梨県に近づく車窓からだんだん大きくなってくる富士山、清らかな水を手に取り飲みながら仰いだ富士山、富士吉田のキャンプ場から夏の富士山の登山者の光が見えた思い出等々、筆者の脳裏によみがえってくる。

 今日、たまたま筆者が見つけた言葉に、次のようなものがある。

「みんな、山の頂上に上りつくことを夢見ているが、本当の楽しみも苦労も、実は、山を登っている途中で経験するものである。」

 人生そのものを言ったものだろうが、きっと、オリンピック・パラリンピックで金メダルを競うアスリート達もそうなのだろう。そんな事を思った。

陸上続ける高校生ランナー「地元を走れて幸せ」 山梨県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)


都留・甲州織への想い胸に握ったトーチ「聖火ランナーはやっぱり楽しかった」 山梨県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

2021年6月27日日曜日

聖火、日本をつなぐ(静岡)6月23日~25日

  3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、山形、秋田、青森を通過し、北海道まで北上した後、東日本大震災の被災地、岩手、そして宮城を周り静岡に引き継がれた。

 静岡に聖火が届いた6月23日は「オリンピック・デー」。

 世界中で日本の象徴として有名な、日本一高く美しく神秘的な富士山のある静岡(海外では、「ふじさん」を「ふじやま」と呼ぶことが多い)。筆者は、1985年、「東南アジア青年の船」(日本政府主催)に参加して、約2か月間のASEAN6か国訪問の後、船で帰国する際、駿河湾に入り、真正面に雪の少しかかった富士山を前にした時、大きな感動を覚えた。何と美しい日本だろうか。帰ってきて、とてもほっとした感覚もあった。

 静岡県の聖火リレーは、3日間に及んだ。静岡が自転車競技の場となることも考慮してのことだろう。下記リンクで聖火リレーの様子はご覧頂ける。

ブラジルから来日 歌とスポーツで壁乗り越えたアーティスト「育ててくれたまちに感謝」 静岡県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

コロナ患者と向き合う薬剤師「卓球のイメージ変えた日本代表に感謝」 静岡県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

東京から移住した温泉旅館の若旦那「伊豆が地元になったことをかみ締めた」 静岡県3日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)


 宮城でも、静岡でも、他の地域でも、聖火リレーや聖火セレモニーの時に、太鼓の演奏がなされていた。太鼓は、日本のお祭りに欠かせない。日本文化の一部と言ってもいいだろう。小太鼓、大太鼓、鼓等、それぞれ味わいがある。太鼓を叩くのは、古来から、神との交信と言われたそうだ。日本のお祭りは、秋の収穫への感謝の意味もあり、新嘗祭と言うように、最初に収穫されたお米、穀物等は神に捧げてから、その後に私達は頂く。

 「聖火」が「聖なる火」であると同時に、太鼓の音も「聖なる音」なのかもしれない。

コロナ禍での東京五輪の開催が近づいている。誰しも不安の中で、祈りながら、アスリート達の競い合いを見守りたいと思う。


2021年6月23日水曜日

聖火、日本をつなぐ(宮城)6月19日~21日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、山形、秋田、青森を通過し、北海道まで北上した後、東日本大震災の被災地、岩手、そして宮城に引き継がれた。

 宮城は、東日本大震災で、最も多い犠牲者を出した地である。多くの方が愛する家族を亡くされ、生き残っても家が壊され、仕事を失い、「どうして自分が」「あの子が」「あの人が」と思わざるを得ない日々が続いたことだろう。あれから10年、もし生きていたら何歳で、どんな人生を送っていただろうか…、考えても考えきれない。

 下記のレポートでは、その思いを携えた方々の様子がご覧頂ける。

25歳のご長男を亡くされた方が、ご長男の亡くなった地で、「聖火」(聖なる火)を灯して駆けた。また、最愛の夫を亡くされて10年、やっと前向きに人生を送れるようになった聖火ランナーがインタビューに応じている。「聖なる火」、そこには亡くなった方の霊(魂)を弔う祈りの意味もある。

被災地でトーチを握ったサンドウィッチマン「世界で僕しか持っていないんだと感動」 宮城県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 女川や石巻の「頑張ろう、石巻」の様子が、上記リンクでも映し出された。かつて筆者が、被災者の方にお話しを伺いながらご案内頂いた時の景色を思い出した。津波後のだだっ広い荒野、土が積まれた間の道を走ってプレハブの食堂で地元の海の幸を頂いた思い出、まだ建設中だったが、遠くからもすぐ分かった伴茂さん設計の特徴的な白い屋根の女川駅。そして、石巻では、かつて

上皇・上皇后陛下が開館式にご臨席され、

今上陛下も日スペイン国交400周年の際等に必ず触れられる

支倉常長らが大津波復興のために海外との貿易を求めて発った「サン・ファン・バウスティタ号」を訪れた。日本の歴史の中で、この地が何度となく津波に襲われつつも復興してきた人々の逞しさ、そして海外との関わりを感じることが出来る場所である。

そして、もう一つ、レポートでは見られなかったが、日和山公園内の神社の鳥居。この高台からは被災地のかつての市街地が一望できる。

ケンブリッジ公爵殿下(ウィリアム王子)がご訪問された際、「海への祈り」を捧げられた場所である(鈴木くにこ著『オリンピックと日本人の心』(内外出版、2018年)では、写真付きで紹介している)。


日本三景・松島に復興の光灯した聖火 宮城県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 松島を初めて訪れたのは、もう15年以上前。美しい景観は忘れれない。そして海の匂い、風、輝き。「松島や、ああ松島や 松島や」(松尾芭蕉ではなく、狂歌師田原坊作と知った)で有名な松島は、松尾芭蕉はもちろん、アインシュタイン等多くの外国人をも魅了した。

 東日本大震災の数年後、筆者は、震災の被災者の方々に被災地をご案内頂いた時、仙台から東松島を通って、石巻に向かった。その時の殺伐とした風景、人の少ない静かな荒野も忘れられない。その時、昨年(2020年)3月20日に聖火が到着した航空自衛隊松島基地の近くも通った。車のハンドルを握りながら、近くの上空を丁度通過した航空機の音を聞きつつ、被災者のお一人が呟いた。「またブルーインパルスの素晴らしい飛行を見たい」と。昨年、既にコロナ禍で、聖火到着式は規模を縮小して挙行されたが、ブルーインパルスご覧になられただろうか。そんなことを思い出している。


東京2020オリンピック聖火リレー 宮城県

3日目 デイリーハイライト映像 (olympics.com)

 3日目の聖火ランナーの方が、「コロナが落ち着いたら、是非、この地に、自分達が復興させた商店街を訪れてほしい。」と語った。

 東京オリンピック・パラリンピックに際して、最も国内外の人々に、その復興の姿、また復興途上でも頑張っている姿を見て欲しいと思っていたのが、これら被災地の方々ではないだろうか。「コロナ」によってそれが叶わないことを、とても悔しく思う。しかし、その悔しさも見せずに、笑顔で、「コロナが収束したら、是非いらして下さい。」と言える東北の

人々に頭が下がる。


 この原稿を書いているうちに、6月23日になった。1894年6月23日にパリのソルボンヌで開催された国際会議で近代オリンピックを始めることが決まってから丁度127年となる。6月23日が「オリンピック・デー」と言われるゆえんである。そして、今日は、丁度、東京オリンピック2020(+1)の開会式の1か月前である。東日本大震災からも、コロナで1年延期となったので、10周年の節目の年と重なった。

 また、6月23日は、「沖縄慰霊の日」でもある。1945年4月から2か月に渡った米軍の攻撃、激戦が、組織的には終結した日である。その沖縄は、今回、他の都道府県が解除されたにもかかわらず、コロナに関する「緊急事態宣言」が解除されない状況が続いている。

 筆者は、東京五輪2020のために建て替えられた国立競技場のことを調べている時に、そこには46都道府県の杉と沖縄の松(沖縄では気候により杉が生息しないらしい)が使用されていることを聞いた。第二次世界大戦後、日本が1952年に連合軍の占領から独立した後も、沖縄ではさらに20年間占領が続いた。そんな事を思い、以前、

「過ぎ(杉)し日を顧みんとて日本国 待つ(松)とし長き 南の島々」と詠んだ。


 オリンピックは「平和の祭典」と言われる。戦争のない平和、感染症や災害等で苦しむことのない平和、皆が生き生きといられる世界、色々な様々な思いがよぎる。


 感謝、感謝。




2021年6月19日土曜日

聖火、日本をつなぐ(岩手)6月16日~18日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、山形、秋田、青森を通過し、北海道まで北上した後、岩手に引き継がれた。


 岩手は、東日本大震災(2011年)で 最も被害の大きかった3県の一つであり、「復興オリンピック・パラリンピック」の理念のもと、聖火リレーは、3日間に渡って行われた。

 下記のレポートをご覧頂ければわかるが、大震災で多くのもの、ことを失いながらも、諦めずに生きてきた方々、車いすや義足の方、悩みのない苦労のない人生の中で、明るく自分なりに一生懸命生きている方々の姿を拝見して、どれほど多くの人々が勇気づけられるだろう。

 今まで、聖火を追いながら、1年延期になったことで、聖火ランナーの姿を見て欲しかった家族等が亡くなり、それが叶わなかったと打ち明けていた方が、少なからずいらした。

 岩手の1日目の動画でお話された聖火ランナーの方も、脳梗塞で倒れたお父様に見せたかったが、この3月に他界された。お父様の脳梗塞をきっかけに始めたマラソンで、今回、聖火ランナーを務めた。お母様は13年間、お父様の介護をされていて、この6月16日、初めて、自分が走る姿を見てもらえたと、感激の涙を堪えながら笑顔で話されていた。筆者の方が、思わず、涙してしまった。

 また、三陸鉄道の途中駅で、横断幕に感謝の言葉(東日本大震災のみならずこの地域は台風19号でも被災されていた)を日本語と英語で記し、日の丸の小旗を振った住民の方々、高齢者も多いように見受けられるが、その清らかな心に、こちらが頭が下がる思いだった。ご自身の被災の苦労よりも、他者への感謝を表現される東北の方々には、尊敬の言葉しかない。

被災地でウニ養殖に挑む経営者「岩手が確かな一歩を踏み出していると発信したい」 岩手県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)


 下記の2日目のレポートで、筆者が特に感動した一場面がある。

それは、動画の中で、夕方の光の中、二人の聖火ランナーが、海に向かって、聖火を掲げて、拝礼している姿である。今まで、笑顔で走ったり、ポースをとったりする場面が多い中で、この背中しか見えないお二人の姿は、特に印象的だった。

 天皇皇后両陛下が、かつて被災地を行幸啓された際になされたお姿、そして英国王室の方がされた「海への祈り」等が、筆者の脳裏に浮かんだ。

 天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后陛下)がサイパンやペリュリュー島(パラオ共和国)をご訪問された際も、海に向かってお祈りを捧げられた。

津波に耐えた「奇跡の一本松」をオリンピック聖火が照らす 岩手県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com

 「奇跡の一本松」に関しては、筆者が岩手県庁で、達増県知事を表敬訪問した時のエピソードがある。それについては、2018年10月12日の当ブログで書いている(以下のリンク参照)。

未来を築く Building Our Future : 10月10日体育の日(オリンピック散歩道) (kunikosuzuki.blogspot.com)

 また、それを英訳して、Suzuki Kuniko ”The Olympics and the Japanese Spirit" (The 22nd Century Art)にも掲載した。

The Olympics and the Japanese Spirit | Suzuki Kuniko |本 | 通販 | Amazon


   コロナ禍の東京オリンピック・パラリンピック開催となり、命の大切さが問われているが、その命の尊さを一番感じているのが、実は、被災地の方々ではないかと思う。

 彼らが、一番、どうしたら良いか、分かっているのかもしれない。

 昨年、日本全国に新型コロナウィルス(Covid-19)が拡大した時、「最後の砦」となったのが、岩手県だったのも、偶然でないのかもしれない。


 3日目の聖火リレーの模様は以下のサイトでご覧になれる。

世界遺産・平泉に聖火再び「平和への思いはオリンピックに通じる」 岩手県3日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 筆者は、岩手県には何度か訪問している。小学校、中学校での八幡平林間学校。大学でのゼミ合宿。そして、2018年の盛岡市の訪問では、(財)新渡戸基金の藤井茂理事長、岩手県の達増拓也県知事等を表敬の後、先人記念館を訪れた。

 しかし、以前から訪れたいと思っている平泉にある中尊寺金色堂にはまだ行ったことがない。6月18日(昨日)、聖火は、再び中尊寺を照らしたそうだが、今年の3月11日には、東日本大震災の10周年で、同じ聖火が、復興、平和、いのち等への希望を、中尊寺で灯されたそうである。オリンピック・パラリンピックでは、選手たちが金メダルを目標に競い合う。「金色堂」の金色の光は何を映すのだろうか…。

希望を照らす一筋の光、

五輪の輪に降り注ぐ平和の光、

そして太平洋の海、日本の森林に射す日の光…。

 一年間、東京オリンピック・パラリンピックが延期になったことで、それは、東日本大震災から丁度10周年の年となった。「復興五輪」の理念と、コロナ禍の五輪、どこか重なるところがある。それは、いのちの大切さ、人の絆、助け合い、思いやり、勇気、力、愛情等々…。

 おそらく、私達日本人、そして特に被災地の方々にとっては、一生忘れられない東京オリンピック・パラリンピックになるのではないか。

 そんな事を岩手の人々が教えてくれた気がする。





2021年6月16日水曜日

聖火、日本をつなぐ(北海道)6月13日~14日

  3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、山形、秋田、青森を通過し、日本最北端の北海道に引き継がれた。

 毎日、聖火を追いかけながら、各地を訪問する旅をオン・ラインでしているが、

今回、以下のレポートを見て、少し、寂しさを感じた。

アイヌ文化を世界に発信する職員「つないでいく聖火が1つの灯となる」 北海道 東京2020オリンピック聖火リレー開催レポート (olympics.com)

 コロナ禍であるとは言え、立派な舞台に、聖火ランナーはただ一人。周囲に、関係者は多数見受けられるのに。たとえ「緊急事態宣言」中と言っても、大阪、兵庫、沖縄、岡山等でも、これほど寂しいことはなかった。まして、北海道の緊急事態宣言は、6月20日に解除の方向で調整中ということである。

 北海道は、東京オリンピックの最後を飾るマラソン競技が札幌で開催される場所でもある。札幌冬季オリンピックのレガシーもあるし、最近の冬季オリンピックで活躍した多くのメダリスト達を輩出している所でもある。日本が世界に発信すべき北方領土問題もある。これら全てを切り捨ててしまった聖火セレモニーに戸惑いを持った北海道の方々、日本国民の方々も少なくないのではないだろうか。

 北海道は、筆者も大好きな所で、何度も数えきれないほど訪問している。北海道には、日本一と言っても良いほどの豊かな自然、森林、山脈、海、そしてその中で暮らす人々や動物たちがいる。そういう自然の恵みにより、お食事も美味しい、スイーツも美味しい。

 北海道の歴史を刻んできた人々は、様々である。それは、北海道の自然、動植物を見ても分かるように、多様性に富んでいる。道南から道東へは、筆者も足を運んでいるが、まだ道北、礼文島等には行ったことがない。この離島には、特別の自然があり、訪れた人からは、山歩き等をして、その美しさに感激したと写真等を見せてもらったことがある。道東をドライブした時は、根室の近くから、北方領土は見えるだろうかと、想いを馳せたことを思い出す。北方領土は、今や70年以上もロシアに不法占拠されているが、道南の函館に行けば、そのロシアの文化、宗教も受け入れていた人々の歴史に触れることも出来る。札幌農学校(北海道大学の前身)は、新渡戸稲造らがいた100年以上前は、東京大学よりも教養、英語のレベルが進んでいた。新渡戸は、卒業後、北海道の荒野の開拓や文化の継承にも尽力した。

 アイヌ民族に関しては、政府が巨額の資金を投じて国立の博物館を建設し、今回、そこで聖火セレモニーが行われた。

 筆者が、北海道の過去の旅でアイヌ民族の文化に触れた記憶は、阿寒湖を訪れた時の事である。アイヌコタンと呼ばれる集落を歩くと、不思議な空気に包まれた。木彫りの民芸品がたくさんあり、熊や梟など、北海道の自然を感じさせる見事な作品だった。木彫りの小さな梟の置物の他、日常的に使用できるものとして、木のふくろうの靴ベラを求めた。今でも、玄関で愛用していて、裏を見たら、「2004.8.1. 阿寒湖 SUZUKI」と彫ってあった。もう17年も前の出来事だった。

 最近は国立施設のことばかりが話題になるので、自分の記憶違いかと調べたら、そうではなかった。下記のサイトが詳しい。2019年に更新された情報である。

 阿寒湖アイヌコタンでアイヌ文化を知る・触れる・食べる旅 (hokkaido-labo.com)

 それによると、「アイヌコタンとは、アイヌの人々が暮らす集落のこと。北海道内にあるアイヌコタンの中でも、戸数36・約120名と北海道で一番大きなアイヌコタンが、ここ阿寒湖アイヌコタンなのです。」との記述があった。

 ということは、筆者が訪れたアイヌコタンは本物だった。「博物館」ではなかったわけだ。そのせいか、とても素朴、しかも独特の雰囲気を醸し出し、それを肌で感じることができた。

 自然が好き、そこに住む人と触れ合うのが好き、地元生産の物を味わうのが好き、歴史を感じるのが好き、それらが旅の楽しみである。

 コロナで限られた旅、オン・ラインや記憶の旅になってしまう事もあるが、それでも、聖火の旅は続く。少し寂しかった北海道だったが、聖火は、本州に戻り、あの「奇跡の一本松」が待つ岩手に入る。











2021年6月13日日曜日

聖火、日本をつなぐ(青森)6月10日~11日

  3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、山形、秋田、そして本州の最北端の青森に引き継がれた。

 聖火リレーによって、聖火が繋がれたのみならず、人をつなぎ、想いを繋ぐ、そんな事を聖火ランナーの一言一言から学んだ。それは、ギリシャから聖火が灯された時から、そうであるし、もっと長い目で見れば、オリンピックの歴史を繋いできたのも、聖火なのかもしれない。

寿命革命に情熱燃やす大学教授「全世界に貢献できる」 青森県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーolympics.com)

 上記のレポートの動画には、青森のねぶた祭りに関わる方も聖火ランナーに加わった。

それも、一年延期となったお蔭で、生まれた赤ちゃんにも見てもらえた、とのこと。

この一年に亡くなった方にも感謝して聖火リレーをしたという方も各地にいらしたが、

このように、新たな命も生まれている。

 人の命の誕生、素晴らしいことだと思う。

 すくすく育つ子供たちに明るい未来を繋ぐ、バトンタッチするのも大人の務め。

 筆者は、青森で「ねぶた」を観たことはないが、以前、靖國神社(東京)の「みたま祭り」で、ねぶたを観たことがある。大きなねぶたは迫力あり、運行させる人々の熱気も、迫力を増す原動力になっていた。

地域の救急医療支える脳神経外科医「コロナで頑張る人たちにエールを送りたい」 青森県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 聖火ランナーには、地域のために尽している方々が多く選ばれている。同時に、病気や障害等の様々な困難を乗り越えて元気に生きている姿を見せたいという思いで走る方もたくさんいらっしゃる。その両方を兼ね備えているのが、青森県の2日目に走った藤田聖一郎先生。地域内でたった一人の脳外科医をされていながら、がんを患って手術を受けたこともあると言う。そして、この藤田さん、何と1964年の東京オリンピックの年に生まれ、「聖火リレー」の「聖」がお名前についている。

 命や健康といえば、日本では、「柿が赤くなると医者が青くなる」という諺があるが、アメリカでは、「An apple a day keeps the doctor away」(一日にリンゴを一個食べれば医者いらず)と言うそうである。

 青森と言えば、リンゴの産地。美味しいリンゴを頂いて、皆が健康になれば良いと思う。











2021年6月10日木曜日

聖火、日本をつなぐ(秋田)6月8日~9日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、山形、そして秋田に引き継がれた。


 下記のリンクの写真や動画を見ると分かるが、秋田の人々は、コロナに関わらず、とても元気である。公道で応援する人達が、他の地域より賑やかな様子で、日の丸の小旗を振る人達も見られた。既に、オリンピック・パラリンピックがまるで始まっているような感じだ。

秋田でスケートボード普及に努める俥夫「新競技を知ってもらいたい」 秋田県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 一日目、聖火は角館を走った。筆者は、40年以上前、中学生の時、その地を学校行事で訪れた。少人数で武家屋敷の残る静かな街並みを散策したのを今でも思い出す。

 秋田のはまはげに会いに行ったことはないので、いつか行きたいと思っている。が、実は、海外で、なまはげに会っている。一度は、2018年秋、フランスのリヨンに行った時、日仏国交160年記念の文化交流で、「妖怪」の展覧会をやっていて、そこに、「なまはげ」が登場していたのである。大勢のフランス人の関心をひいていた。もう一回は、オーストリアのザルツブルグで、クリスマス・シーズンの12月、近くのクリスマス・マーケットに、地元の「なまはげ」が出現したのである。日本と似たような文化が西洋にもあることを知り、何だかとても面白く親しみを感じた。


ひいおじいちゃんは元アメリカ代表オリンピアン「オリンピックに平和のありがたみをた」 秋田県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 2日目の画像、動画を見ながら、驚きの嬉しい発見があった。1964年東京大会、1972年ミュンヘン大会、1976年モントリオール大会のメダリストたちが、秋田県を走ったのである。すでに、それなりのお年のように見受けられるが、それはオリンピアン(それもメダリスト!)、とてもお元気そうである。こんなに多くのメダリスト達を、秋田の地から、半世紀以上も前から輩出していたとは、驚きである。

 上記サイトで紹介された日米の平和と愛情から生まれた聖火ランナーの里稲さん。お名前の由来を聞いて、とても素敵だと思った。美しいみずほの国、日本。毎日の命の糧でもある。急に、「あきたこまち」を頂きたくなった。

2021年6月9日水曜日

聖火、日本をつなぐ(山形)6月6日~7日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟、そして山形に引き継がれた。

 聖火ランナーの渡部留美子さんが作った歌詞「踏まれた草でもきっと花々が咲き乱れる」、とても勇気が出る素敵な詞だと感じた。何度でも噛みしめたい。また、渡部さんは、高齢者は様々な人生の苦労を乗り越えて今生きているのだから、そういう事が若い人達にも伝われば良い、と語った。

軽運動指導30年続ける聖火ランナー「アスリートはオリンピックで花を咲かせて」 山形県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 聖火ランナーのお一人は、地元の商店街の方だった。「コロナの前から暗かったけど、オリンピックのような明るい事もないとねえ。」とおっしゃった。地方の商店街は、疲弊して活気のない所が多い。もっと地元の特徴を生かした地方活性化が出来ないか、官民協力も必要だろう。

けん玉道大切に日本一目指す14歳「オリンピックに関われて光栄」 山形県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 けん玉も、「道」になると、礼を重んじ、武士道精神を継承しているようである。

E-ゲームも良いが、けん玉道を世界に広げるのもありだと思った。

 山形県では2日とも晴れ、皆が元気に公道を走って聖火をつないだ。1980年のモスクワ五輪を日本はボイコットしたが、その時ボクシングに内定していた選手が、41年ぶりにその時に履くはずだったシューズを履いて走ったのも感動したし、3年前から車椅子生活になった女性が「元気な姿を見せて前向きに生きて行ってほしい」と語ったのにも感動した。

 毎日聖火を追いかけているだけで、不思議な空気に包まれる。皆の気持ちが、魔法のように降ってくる。「聖なる火」の光は、ますます強く、大きくなって行く。そんな印象を受ける。

 山形県を筆者が訪れたのは、記憶にある限り、蔵王でのスキー学校を除けば、一度のみ。もう15年位前になるだろうか、宮城県から列車で山形県に入った。山寺でサクランボ狩りをして上山温泉で宿した。ちょうど今頃の季節だっただろうか。

 松尾芭蕉の句「閑けさや 岩にしみいる 蝉の声」や童謡♪山寺の和尚さんが、毬を蹴りたし毬はなし…♪の歌は、小さい時から知っていたが、それらが、山形県の立石寺のことだと意識したのは、ずっと後になってからだった。この山形の山奥深い所の文化が、実は日本の文化に直接に深く結び付いていたのである。

 そして、山寺には、「不滅の法灯」がある。1200年前に比叡山延暦時から分灯されたものである。今回、聖火は、この山寺も通過した模様である。「聖なる火」が、「不滅の法灯」と共にある時、その炎は、より力を増し、深く強く、私達を照らし、導いて下さるのだろう。

 


  

 

2021年6月7日月曜日

聖火、日本をつなぐ(新潟)6月4日~5日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井、石川、富山から、新潟に引き継がれた。

 新潟は、初日が土砂降りだった模様。それでも、聖火ランナーの皆さんは笑顔で聖火をつなぎ、「雨が冷たくても、火や人の心の温かさを感じた」「応援の熱気を感じた」等と語っていた。以下のサイトで、詳細を是非ご覧頂きたい。

災害医療チーム立ち上げた整形外科医「走らせてもらう分自分も頑張る」新潟県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 日本は災害大国。新潟中越地震もあった。その被災者であるお医者さんが立ち上がる姿勢も、オリンピック・パラリンピックと同様、世界の人々に感動を与えると思う。コロナでも医療従事者は大変な思いで患者さん達に接して治療している。それを忘れてはいけない。

林業携わる地元ランナー「公道で聖火リレーができてうれしかった」 新潟県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 新潟と林業と雪というと、筆者には、一つの想い出がある。2011年は、3月11日に東日本大震災が起こり、日本にとって災難の年となったが、筆者にとっても、家族にまつわる2つの災難に見舞われた。人生の中でも、なかなか経験できない事が、同時に起きてしまった。

 そんな中、以前から探していた木の八角形のテーブルに出合った。少し小さめだったので、もう一回り大きいのを頼んだのが、2011年の暮れだった。新潟の糸魚川の工房で作成され、テーブルが届いたのが、2012年のお正月。朝早く新潟を出て、車で東京に届けてくれた。東京は雪と無縁の穏かな冬だったが、新潟から着いた軽トラックには雪が積もっていた。寒い朝に、丁寧にテーブルを毛布にくるんで運んで下さったのだと想像して感謝した。

 その木のテーブルを使い始めてから、家族の災難は解決し、より良い方向に人生が進んだ。木のぬくもり、そこには新潟の人々の温かさが感じられた。有難い。

 筆者は、一度、林業の間伐の森林体験をしたことがある。ヘルメットを被って、長袖長ズボンで軍手を付けて、山の中に入って行った。その時に林業をされている方から聞いて忘れられないのが、「魚は一日漁に出れば釣れる、作物は半年か一年で実る、しかし木が育つには何十年、何百年もかかる。自分が生きているうちに育ったのが見られない事も多いのだ。」というお話である。

 日本は海洋国家でもあるが、国土は森林、山で覆われている。それ故、美しくもあり、水が豊富である。水か豊富できれいであるから、清潔も保たれるし、お風呂も毎日入る習慣がある。こういう自然の恵みにあずかって生きていることに、改めて感謝したい。

 新国立競技場が日本の47都道府県の木を利用して建設されたことは、Suzuki

Kuniko "The Olympics and the Japanese Spirit" (The 22nd century Art)でも書いた。

 木は風を通す。木は、空気を通す。きっと、コロナ禍を吹き飛ばす魔法が、木には隠されているのではないだろうか。それを期待したい。

 


2021年6月5日土曜日

聖火、日本をつなぐ(富山)6月2日~3日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井から石川、そして富山に引き継がれた。既に2か月以上が経ち、33番目まで府県を通過した。


 たとえコロナ禍で公道を走れなくても、聖火を繋いで行った一人ひとりの思いは伝わる。

下記リンク中の動画も2日分ある。是非、ご覧頂きたい。

南砺市五箇山から民謡を未来に「子どもたちに伝承していく」 富山県 東京2020オリンピック聖火リレー開催レポート (olympics.com)

 筆者が富山県の五箇山を知ったのは、最近の事である。多くの外国人が世界遺産の白川郷(岐阜県を聖火が通った時の本ブログでも触れた)を訪れて感激したのを聞いていたが、筆者はなかなか訪れる機会がなかった。それで、訪れる機会を得て調べていたら、世界遺産になった合掌造りは、岐阜県の白川郷のみならず富山県の五箇山にもあることがわかり、それも2箇所あると知り、両方行ってみることにした。

 そして、ガイド・ブックに、小さな「こきりこ」という文字を見つけ、まさか、小さい時に習った歌、♪こきりこのお竹は…♪が、この世界遺産の五箇山のものだったのか、と不思議な幼少時代の懐かしい音の想い出が脳裏に浮かび、思わず口ずさんだ。

 五箇山にはバスを乗り継いで行った。富山県南砺市城端町で一度バスを降りると、遠くに日本アルプスの山並みが見えた。晴れた空に、水色の山肌と雪景色の白が美しく光って見えた。城端の町は、田畑が周りに広がり、穏やかな日差しで、雪も積もっていなかったが、そこからバスで山を登って行くと、次第に険しい道になり、ふっと気づくと、窓の外の山林には雪が深く積もっていた。この景色の変わり身に驚き、興奮するとともに、自然の偉大さを感じずにはいられなかった。そして、奥深い雪山に入りながら、私が口ずさんだのは、やはり、あの「こきりこ節」、♪まどのさんさもででれこでん、はれのさんさもででれこでん♪だった。

 五箇山は白川郷より小さな集落であり、より静かで素朴だった。民俗館で丁寧にお話をして下さったおばあさん、何だか箱から大事そうに棒を取り出して、くるくる回しながら歌い出した。♪こきりこのお竹は7寸5分じゃ、長いは袖のかなかいじゃ♪「棒の長さはこの長さ、これ以上長いと着物の袖のじゃまになるのよ。」と説明下さる。ああ、やっぱり、子供の時に習った歌の原点は、ここにあったのだ。何だか、日本の「心のふる里」を見つけたような気がした。現地では、今でも「こきりこ節」を小学校等で習うそうだが、もはや東京等では、筆者が昭和時代に習ったように各地の民謡を習うことはあまりしていないようだ。とても残念である。

 富山県の聖火ランナーの中谷真也さん、民謡や合掌造り等、ご先祖様が残してくれたものを、そのままの形でつないで行きたいと語る。とても大事なことである。「ふる里」があるから人々はそこに集まる、そこに戻ってくる、そして、そこを心の拠り所にするのである。そこは、なぜか、とてもとても懐かしい場所なのである。だからこそ、故郷と呼ぶ。

 今年の北陸地方の豪雪で、合掌造りの家が、雪で埋まりそうになったくらい山奥深い世界遺産の村。ちょうど、どこかの麓の町の若いお医者さんが、車で巡回に来たところだった。「何か変わりはありませんか。」、そんな何気ない明るく静かな訪問が、人と人とをつないで行くのかもしれない。

 五箇山の夜は暗い。だからこそ、「聖火」のような灯は、より暖かく、より明るく感じるのだろう。

 




2021年6月3日木曜日

聖火、日本をつなぐ(石川)5月31日~6月1日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井から石川に引き継がれた。

 石川県では、金沢城公園と和倉温泉で、それぞれ聖火をつなぐセレモニーが行われた。

 下記のリンクで様子を見る限り、お天気に見舞われて良かった。聖火ランナーそれぞれが、「感動した」とか「緊張した」とか、「人生で最高の想い出」とか、たとえ公道で走れなくても、聖火を手にした思いを語っている。

350年続く人形浄瑠璃を伝承「次の若い世代にリレーできたら」 石川県 東京2020オリンピック聖火リレー開催レポート (olympics.com)


 筆者は、金沢に3度程行ったことがあるが、「加賀百万石」その他様々な伝統や歴史を感じさせてくれる場所、そして現代の「金沢21世紀美術館」等、いつ行っても楽しめる。そして、日本海の魚やお茶と一緒に頂くお菓子等、食事も美味しい。

 和倉温泉にも数年前に行ったが、日本は良いお湯が至るところにある。石川の前に聖火が走った福井のあわら温泉も良い。日本人の温泉好き、お風呂好きが、長寿の一つの秘訣かもしれない。最近、温泉に行っていないし、なかなか行けないので、また是非、のんびりお湯に浸かる旅に出かけてみたいものである。♪♨いい湯だな、あはは、いい湯だな、あはは♨♪

 そうそう、金沢の地名は、金が発見されたことから付いたそう。その金が発見された場所も市内にある。オリンピック・パラリンピックと言えば、選手は、金メダルを目指して挑戦する。そういう意味では、金沢は、オリンピアンの聖地?

 筆者は頂いたことがないが、金沢の名物の一つが金箔をまぶしたソフトクリーム。びっくりするほど、きらきらしている。






2021年6月1日火曜日

聖火、日本をつなぐ(福井)5月29日~30日

 3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井に引き継がれた。

 福井でも、老若男女が各々のペースで走って、笑顔で聖火をつないだ。その模様は以下のリンクでご覧頂ける。

鯖江市JK課出身の旅館女将「福井を出た子が戻ってきたいと思えたらいいな」 福井県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 女将さんになった聖火ランナーの栗田もも乃さんの思い、とても共感する。日本の地方を訪れると、個性豊かで、人々が親切で、美味しい物、美しい景色、良い伝統や歴史があるのに、経済的に疲弊して行って、商店街に活気がなくなり、若い人々が出て行ってしまう。それを、もっと地元に居続ける、または戻ってきたい場所にする、大事なことだと思った。

 単に全国どこにでもあるようなお店を展開させて経済的発展をさせるのではなく、その土地の良さ、個性、多様性を残して、経済も繁栄させたいものである。それには、市場原理のみならず、適切な支援、協力が欠かせない気がしている。

 伴走ランナーで視覚障がい者サポートし続ける28歳「人と接することを大切にしたい」 福井県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 2日目の村上豪佑さんは、普段は視覚障碍者の伴走ランナーをされている。「障がいは個性の一つにすぎない」との言葉は、その通りだと思った。普段、私達が「当たり前」だと思っていることは、実は当たり前ではないのかもしれない。

 ある夜、停電になって、皆が「あれ?」と作業ができずに慌てていたところ、そこに一緒にいた視覚障碍者が、「目の見える人は不便じゃのう。」と言って、淡々と作業を続けたという話を聞いたことがある。

 また、点字や手話、車いすが当たり前の社会(場所)では、逆に、それらの出来ない「健常者」が障碍者となるのである。東京オリンピックのヴォランティア研修では、そんなヴィデオを見せ、話をする。それは、ヴォランティアのみならず、全ての人に見て、考えてほしい内容だ。


 筆者は、長年、北陸に行く機会がなかなかなかった。数年前、初めて金沢を訪れ、

福井県には、行ってみたかった曹洞宗大本山の永平寺の座禅に、今年、伺った。鉄道やバスを乗り継いで、人気の少ない永平寺町へ。前日まで比較的温かい日が続き、当日も雨模様であった。「雪の永平寺も見てみたいけれど、こればっかりは…」と、自然に任せるしかない。冷たく清らかな水でしめた永平寺そばゴマ豆腐が塗りのお椀に盛られたお昼を済ませて、お参りをしながら座禅の時間を待つ。手がかじかむほどに冷たくなって、外を見ると、雪が降っている。「天からの贈り物」、そう思った。

 なかなか無心になれず煩悩も除けないが、ほんの短い時間、無心を体験できた座禅だった。静かな空気に包まれた。

 帰り道、外は、一面の雪景色。人里離れた奥まった修行の場、永平寺周辺のみが雪だった。バスに乗ると、もう雪は雨に変わっていった。

 自然の賜物を大切にしようと思った。コロナ禍であろうとなかろうと、春には桜が咲き、

今は、紫陽花が咲いている。朝には日が昇り、夜には日が沈む。そんな毎日の暮らしの中で、私達は、生きているし、生かされているのである。