2021年5月25日火曜日

聖火、日本をつなぐ(兵庫)5月23日~24日

 福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取を経て、兵庫に引き継がれた。

 兵庫県では、「緊急事態宣言」の下、聖火のセレモニーのみ行われた。

 兵庫県といえば、姫路城が世界的に有名である。筆者も、なかなか行く機会がなかったが、外国人の友人のリクエストで2015年に初めて姫路城の天守閣に上った。夏休みで混雑が予想され、週末を避けて訪れた。

 兵庫県での1日目の聖火セレモニーは、その姫路城で行われた。以下のリンク等をご参照下さい。

2018年R-1ぐらんぷり王者 「この経験を漫談で笑いに変えていきたい」 兵庫県 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 兵庫県2日目に行われた聖火セレモニーの第一走者の方々が印象的だった。どなたの計らいか分からないが、57年前の1964年の東京五輪の聖火ランナーのうち台風で走れなかった方々にトーチを翳して走ってもらったそうだ。57年前のランナー達を探して集めることも容易ではなかったことと想像する。

 兵庫県と言って忘れられないのが、1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災である。今回の東京五輪では、復興五輪として2011年3月11日の東日本大震災からの復興が主である(2013年のIOC総会で東京五輪が決定されたので、その招致の背景にあった)。が、あの阪神・淡路大震災も大きな衝撃であり、日本政府が危機管理の重大性を認識し、「危機管理監」を設置し、24時間の危機管理センターを設けたのは、それがきっかけだった。

 筆者は、1995年の大震災の1-2年前、貿易会社に勤務をしていた。その時、兵庫県の六甲アイランドの伊藤ハム工場に新しい生ハム製造機器を導入し、そのために来日するフランス人技師の通訳をするため、兵庫県の甲子園近くに長期出張をしていたことがある。

 あの大震災の当日、倒壊しかけた高速道路の真下を、毎朝、車で通勤していた。もし、1ー2年違っていたら、自分もその場にいたかもしれない。そう思うと他人事ではいられない。震災直後、当時お世話になった方々には、すぐお電話を差し上げたり、お手紙を書いたりした。その後も、この阪神・淡路大震災の復興については、仕事で、何度か現場を訪れる機会を頂いた。1つは、中山太郎元外務大臣が衆議院議員として、世界の医系出身国会議員を束ねた国際医師国会議員機構(IMPO)の会長として関西で国際会議を開催した際、兵庫の復興現場(病院等)を視察することにし、それに同行した事である。もう1つは、東京大学先端科学技術研究センターの御厨貴研究室の「安全・安心プロジェクト」の特任助教授として、受講生とともに、「人と未来防災センター」を見学し、被災者のお話を聞いたり、いかに一瞬にして建物が倒壊するかの恐ろしさを体感したりした。

 現在は、コロナばかりが強調されているが、人の命は1つ。病気で亡くなる方もいれば、津波、建物の倒壊、交通事故等、様々な形で、人の命は失われる。

 兵庫県では、毎年1月17日、その日の犠牲者を追悼して、火が灯される。それも寒い冬の朝5時台、まだ日が昇らぬ暗いうちに…。

 聖火、「聖なる火」が兵庫を通過した。

 そんな時、そっと慰霊の気持ちで、祈りたい。

 聖火をつないだ兵庫県の人々は、笑顔もつないでくれた。

 災害大国の日本、歴史的に多くの災難を乗り越えてきた。

 きっと今回も乗り越えられる。そんな希望をつなぐ笑顔である。


 

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