2020年8月2日日曜日

李登輝総統と武士道


 

 

2020730日夜、李登輝元台湾総統が97歳でご逝去された。
 李登輝総統は偉大な指導者であった。「台湾民主化の父」等、台湾の政治、国家の発展にご尽力さえた功績は多大なものである。
 が、一日本人として、忘れてはならないのは、
李登輝総統が、武士道精神を教育の中心に据えることの重要性を常に説いていらしたことである。李登輝総統がお書きになられた『武士道 解題』(小学館、2003年)の「はじめに」の一部を以下に引用する(下線筆者)。

「いま、私たちの住む人類社会は、未曾有の危機に直面しています。」  
「世界各地でますます不穏で危険な動きが増大しつつあります。 しかも、政治や軍事 の面ばかりではなく 経済の面でも「大恐慌の再来か」と言われる世界同時不況の予兆 が日増しに高まり、人々の不安や不満は募る一方です。」
 「人類社会全体がこのよう な危機竿頭の大変な状況に直面している時だけに、 世界有数の経済大国であり平和主義国家でもある日本および日本人に対する国際社会 の期待と希望はますます大きなものとなりつつある、と断言せざるを得ませ ん。数千年 にわたって営々として積み上げられてきた日本文化の輝かしい歴史と伝統が、六十億 人余の人類社会全体に対する強力なリーディング・ネーションとしての資質と実力を明確に証明しており、世界の人々からの篤い尊敬と信頼を集めているからです。
 私自身が日本の教育の中で豊富な知育と徳育を授けられ、それを通して知識や知恵に目覚め、「人間いかに生くべ きか」という根本的な哲学や理念を身につけてきた からこそ、なおのこと、この人類史的危局の中において必要とされている「日本の心」 の大切さを、思い起こさずにはい られないのです。
 敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花
これは、私が敬愛する新渡戸稲造先生の名著『武士道』の中で改めて紹介されて いる本居宣長の和歌ですが、この「大和心」こそ、日本人が最も誇りに思うべき普遍的 真理であり、人類社会がいま直面 している危機状況を乗り切っていくために、絶対に 必要不可欠な精神的指針なのではないでしょう か。
 しかるに、まことに残念なこと には、一 九四五年(昭和二十年)八月十五日以降 の日本においては、そのよう な「大和魂」や「武士道」といった、日本・日本人特有の 指導理念や道徳規範が、根底から否定 され、足蹴にされ続けてきたのです。」
「依然として前途に明るい曙光を見いだしえぬ今日のような窮地にあって、 そのような自虐的価値観は日本人ばかりではなく、世界の人々にも大きな打撃と失望を与えずにはおかないのです。なぜなら、国際社会全体が不況と不安に晒されているときに、最も頼りになるべき国のひとつ(日本および日本人)まで混乱と混沌の中を漂流し続けていたら、人類社会そのものが羅針盤を失いかねないからです。いま日本を震撼させつつある学校の荒廃や少年非行、凶悪犯罪の横行、 官僚の腐敗、指導者 層の責任回避と転嫁、失業率の増大、少子化など、これからの国家の存亡にもかかわりかねないさまざまなネガティブな現象も、「過去を否定する」日本人の自虐的価値観と決して無縁ではない、と私は憂慮しています。そして、この傾向をこのまま放置しておけば、日本だけではなく世界全体が不幸になる、と心の底から危惧しているのです。」
「ここであえて、「日本および日本人の醇風美俗」や「敷島の大和心」、もっと単刀直入に言えば「武士道」について声を大にして大覚醒を呼びかけ、この書を世に問わねばならなかったのです。この点にこそ、いま人類社会全体が直面している史上いまだかつて経験したこともないような危機的状況の深刻さがあると言えましょう。」

 李登輝総統の残された言葉は、現在、世界が新型コロナウィルスの感染拡大で不安な毎日を暮らしている状況で、なお身に染みて感じられる。
 この後、李登輝総統は、新渡戸稲造の『武士道』から引用をされる。
 そして、激動の時代に、日本および日本人にとって、「武士道」がいかに大切で尊く、これからも必要であるかを述べている。日本人である私達には、この李登輝総統の誠実なまでの訴えを真剣に受け止め、実行していくノブレス・オブリージュがあるのではないか。

 実は、筆者は、昨年、令和元年5月から「新渡戸稲造の『武士道』を英語で読む会」を主宰し、仲間を募り、難解な原文の英語を、矢内原翻訳(岩波文庫)を片手に読み解いてきた。
 そこで気づかされた事は、日本の道徳的価値観や伝統的習慣に、現在忘れかけている多くの美徳があるということである。
 そもそも、新渡戸の『武士道』を英語で読もうとしたきっかけは、英語能力の向上と、日本文化を知ることにあった。東京オリンピック・パラリンピックを前に、「日本のおもてなし」の心は何か、フェアプレイ精神と武士道の関係は何か、世界中の人々を迎える日本人が持つべき指針を探求していたのかもしれない。
 今回、李登輝総統は、そんな筆者に、大きな自信を与えて下さった。新渡戸稲造の『武士道』を選んだのは間違えではなかった、と。それ以上に、もし日本と日本人が、その武士道精神を取り戻し、世に示すことができれば、それは人類の危機を救う羅針盤になるかもしれないとの発想は、この混沌とした世界に大きな希望を託された思いがする。

 李登輝総統に心からの感謝を捧げながら、尊敬の念とともにご冥福をお祈りしたい。


 その李登輝総統のご遺志に報いるには、私達日本人一人ひとりが自信と誇りを取り戻し、「日本の伝統的価値観の尊さ」を再認識して実行して行くことが大切だろう。
 筆者は、今日から一歩を進めたい。藤井茂・長本裕子著『すべての日本人へ 新渡戸稲造の至言』(新渡戸基金、2016年)を活用しながら、毎日、その中の新渡戸の言葉を拝借し、自分達が現在感じることを一言でも表現して、心ある方々と交流して行きたいと思う。そこから、また発展があるかもしれない。

81日 「隣家の財は多いもの、隣家の飯は甘いもの、とかく他人を羨みたいは人情だ……、だが羨む心も向けようで、貪り、妬みにもなるし、励み、競いにもなる。」(新渡戸稲造、『帰雁の蘆』)

 「隣の芝生は青い」という表現があるが、他人のものは、何となくよく見える。幸せそうだとか、得しているとか。でも、それは、そう見えているだけで、実は、見えない所では、案外苦労しているかもしれない。わからないものである。だから、見ただけで判断しない方が良いかもしれない。あとは、新渡戸が言うように、あの人が出来るなら自分だってやってみようとか、そうなるために頑張ろうとか、良い意味の負けず嫌い、プラス思考が大切なのだろう。(鈴木くにこ)

8月2日 「我々が恥ずかしいと思うだけにとどまるならば、何の効果もない。早く心を改むることが必要である。しかるに自分の不足を感ずることは案外にやすい。特に頭脳の鋭敏な人は、……自分の短所にもよく気づくものである。」(新渡戸稲造『世渡りの道』)

 人間誰しも、完璧な人はいない。だから、欠点、短所は恥ずべきことではない。ただ、それを隠したり見ないふりで、自分は完璧だと思っているほうが恥ずかしい。「実るほど頭の下がる稲穂かな」、というように、偉大な人ほど、謙虚であり、自分にも厳しい。(鈴木くにこ)


*実は、7月から「新渡戸稲造の至言から学ぶ会」の会合を予定していましたが、このご時世で取りやめました。これからWeb上で意見交換をして行きたいと思いますが、ご興味のある方は、以下にご連絡下さいませ。
NipponIA2020@gmail.com

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