2019年5月6日月曜日

憲法記念日と日本の独立

令和元年5月3日 憲法記念日の祝日

 現在の日本国憲法は、1946年11月3日(11月3日は現在、文化の日の祝日)に国会で成立し、翌1947年5月3日に施行された。だから、5月3日が憲法記念日となった。
 思えば、1945年8月15日に昭和天皇が終戦の詔勅をお読みになり日本は敗戦し、GHQの占領下に入った。法的には、同年9月2日、ミズーリ号上で、ポツダム宣言の受諾を示した降伏文書に署名して、正式な休戦となった。
 1945年から始まったGHQによる日本の統治(占領)であったが、日本国民にその意識が希薄なのは、GHQによる占領が直接統治ではなく、間接統治だったからだ。天皇制も国会も温存したまま、それらの「装置」を通して、GHQは、日本の占領を効率的に行なった。敗戦後に多少くすぶったゲリラ戦も拡大することなく、日本は比較的平穏に統治された。
 その間に、日本の国会で審議され(もちろn事前、事後にGHQとのやりとりがあり)、国会の手続きを経て成立したのが現在の日本国憲法である。1947年から既に72年が過ぎている。
 日本はGHQの占領から独立するために、GHQの実質的指導国の米国と外交交渉をしてきた。東西冷戦の始まり(1946年のチャーチルの鉄のカーテン演説や1947年のトルーマンのマーシャルプランの発表)、1950年の朝鮮戦争の勃発もあり、米国は日本の良い形での再軍備と独立を求めた。元海上保安庁の経理局に勤めていらした川崎氏(89歳)は、当時を振り返り語った。1946年の平和憲法で武装解除を言われながら、米国からダレス国務長菅が来日して再軍備を迫った。吉田茂首相も3度目には断れなくて、我々が海上保安制度を創設するために予算を組んだ、と。そして出来た海上保安制度、2018年(昨年)創立70周年を迎えた。
 日本は、1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約を、米国を始めとする連合諸国と締結し、正式に第二次世界大戦を終結させ、占領を解かれることになった。翌1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効すると、日本は主権を回復し、各国と外交関係を再開することができるようになった。サンフランシスコ講和条約と同時に締結された日米安保条約は、その後の日本外交の基軸となる日米同盟の基礎となり、米国にとって、冷戦期を始め国際情勢の展開において日本における軍事施設の重要性を固定化することになった。
 日本が主権を回復して、すなわち戦後の独立を果たして、今年で67年となった。この間も、我々日本国民は、72年前、占領期に出来た日本国憲法をそのまま享受してきた。
 そろそろ自分達で真剣に議論し、時代に即した憲法改正をしても良いのではないだろうか。そんな歴史に思いを馳せた憲法記念日であった。
 ちなみに、日本が戦後の独立を果たした1952年、昭和天皇は、敗戦後初めて、靖國神社に御親拝された。その時居合わせた国民に向かって高らかにお帽子を掲げお応えになった。

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