3月25日に福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡を通って、本州の山口、島根、広島、岡山、鳥取、兵庫、京都、滋賀を経て、北陸の福井に引き継がれた。
福井でも、老若男女が各々のペースで走って、笑顔で聖火をつないだ。その模様は以下のリンクでご覧頂ける。
鯖江市JK課出身の旅館女将「福井を出た子が戻ってきたいと思えたらいいな」 福井県1日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)
女将さんになった聖火ランナーの栗田もも乃さんの思い、とても共感する。日本の地方を訪れると、個性豊かで、人々が親切で、美味しい物、美しい景色、良い伝統や歴史があるのに、経済的に疲弊して行って、商店街に活気がなくなり、若い人々が出て行ってしまう。それを、もっと地元に居続ける、または戻ってきたい場所にする、大事なことだと思った。
単に全国どこにでもあるようなお店を展開させて経済的発展をさせるのではなく、その土地の良さ、個性、多様性を残して、経済も繁栄させたいものである。それには、市場原理のみならず、適切な支援、協力が欠かせない気がしている。
伴走ランナーで視覚障がい者サポートし続ける28歳「人と接することを大切にしたい」 福井県2日目 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)
2日目の村上豪佑さんは、普段は視覚障碍者の伴走ランナーをされている。「障がいは個性の一つにすぎない」との言葉は、その通りだと思った。普段、私達が「当たり前」だと思っていることは、実は当たり前ではないのかもしれない。
ある夜、停電になって、皆が「あれ?」と作業ができずに慌てていたところ、そこに一緒にいた視覚障碍者が、「目の見える人は不便じゃのう。」と言って、淡々と作業を続けたという話を聞いたことがある。
また、点字や手話、車いすが当たり前の社会(場所)では、逆に、それらの出来ない「健常者」が障碍者となるのである。東京オリンピックのヴォランティア研修では、そんなヴィデオを見せ、話をする。それは、ヴォランティアのみならず、全ての人に見て、考えてほしい内容だ。
筆者は、長年、北陸に行く機会がなかなかなかった。数年前、初めて金沢を訪れ、
福井県には、行ってみたかった曹洞宗大本山の永平寺の座禅に、今年、伺った。鉄道やバスを乗り継いで、人気の少ない永平寺町へ。前日まで比較的温かい日が続き、当日も雨模様であった。「雪の永平寺も見てみたいけれど、こればっかりは…」と、自然に任せるしかない。冷たく清らかな水でしめた永平寺そばゴマ豆腐が塗りのお椀に盛られたお昼を済ませて、お参りをしながら座禅の時間を待つ。手がかじかむほどに冷たくなって、外を見ると、雪が降っている。「天からの贈り物」、そう思った。
なかなか無心になれず煩悩も除けないが、ほんの短い時間、無心を体験できた座禅だった。静かな空気に包まれた。
帰り道、外は、一面の雪景色。人里離れた奥まった修行の場、永平寺周辺のみが雪だった。バスに乗ると、もう雪は雨に変わっていった。
自然の賜物を大切にしようと思った。コロナ禍であろうとなかろうと、春には桜が咲き、
今は、紫陽花が咲いている。朝には日が昇り、夜には日が沈む。そんな毎日の暮らしの中で、私達は、生きているし、生かされているのである。
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