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2021年5月15日土曜日

聖火、日本をつなぐ(山口)5月13日~14日

  福島からスタートした聖火は、栃木、群馬、長野、岐阜、愛知、三重、和歌山、奈良、大阪から四国の徳島、香川、高知、愛媛とまわり、九州の大分、宮崎、鹿児島から沖縄まで南下をした後、再び九州に戻り、熊本、長崎、佐賀、福岡と通って、本州の山口に入った。

 山口での聖火リレーの一部は、以下のサイトで見ることが出来る。

「来たチャンスを必ずつかむ」 山口県 東京2020オリンピック聖火リレーデイリーレポート (olympics.com)

 筆者は、昨年、出雲大社にお参りし、コロナの収束祈願を行った後、山口県を訪れ、日本の歴史、文化、教育等の足跡を辿った。1979年以来、実に40年ぶりの訪問だった。

 萩市に着いて驚いたのは、あまりに人が少なく過疎化が進んでいたことである。これは、島根や鳥取、岐阜等を訪問した時にも感じたことだ。東京に住んでいると地方の状況を忘れてしまいがちである。

 そういえば、福岡の聖火ランナーの一人が、築上町がこれ以上過疎化にならないよう人々が幸せに暮らせるようにしていきたいとの気持ちで走ったと語っていた。とても大切なことだと思った。

 「地方創生」という言葉は随分前から聞かれるが、こうして日本の地方各地を訪れると、活性化等は程遠いことを感じさせられる。政府は、より効果的な地方創生戦略を立て実行する必要があるだろう。また、地元でも職が少ない状態で、意外とぽつぽつと若い女性の外国人が働いていることが多く、とても不思議な感じがした(奈良でも岐阜でも山口でも)。

 萩市の武家屋敷を、江戸・明治に思いを馳せながら歩いていると、夏みかんの木がたくさん植わっているのが目に付く。地元の人の説明によると、明治の人達は、生活をつなぐのに、夏みかんの木を植えて、それを大坂商人に売って稼いでいたと言う。「夏みかん」というのは、大坂商人が付けた名前で、萩の人達は、「だいだい」と呼んでいたそうだ。今でも、「だいだい」という名前で、その柑橘類が売られているが、「だいだい」には、代々これをつないで、子孫まで繁栄することを願ったそうだ。そういえば、私達日本人は、「オレンジ色」を「だいだい色」と言う。ここから由来していたのかと初めて知る。

 萩には、松下村塾と明倫学舎という、かつて一種のエリート教育が行わた場所が残る。切磋琢磨して、人格を磨く、文武両道の教育を受けた人々が、日本の近代の国家建設に携わった。その当時の激動する世界の中で、藩同士の対立もあった中で、日本という国を守るために、民をまとめ、国民の将来を考えた国家建設をして行った。

 時代は変わるが、現在も世界の秩序が大転換を起こしている。この中で、日本をどのように動かして行くことが、日本人を幸せにすることになるのか。

 本州の西端の山口県の歴史は、色々教えてくれる。








1 件のコメント:

  1. 山口県萩の話に、岩国の錦帯橋の写真が出るのは唐突でした。
    最近はこの橋の上を思慮の浅い若者がバイクで渡り、木造の橋に傷をつけたニュースが話題にはなりました。
    萩の叡智に対し、常時氾濫していた岩国の錦川に架かるこの橋に、木造建築の知恵を結集したという意味では通じるものがあります。

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