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2020年10月1日木曜日

十五夜(お月見)

 今日は、中秋の名月、十五夜でした。

 月を見て、思い出すのが、高校生の時、フランスの老婦人から聞いたお話です。

「かつて夫(おじいさん)が戦争に行っている時、ああ、同じ月を見ているのだなあ、と思いながら、帰りを待ちました。」と、歩いて夜の月を眺めながら、私にフランスのおばあさんが語ってくれました。

 「天の原、ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」(阿倍仲麻呂)

 奈良の風景を思い浮かべる、百人一首のこの歌も好きです。

 ♪うさぎ、うさぎ、何見てはねる、十五夜お月さん、見て、はー(ああ)ねる♪

 あれ、うさぎさんは、月の中にいるのでは?

 十五夜に欠かせないのが、お月見団子とすすき。
 東京にいると、ススキはなかなか手に入りませんが、今頃、箱根の仙石原あたり、もうすでに寒くて、すすきの原が秋らしく、風にそよいでいるのかも。

 お月見団子はこの季節だけだけれど、お月見うどんなどは、一年中ありますね。
 そうそう、三笠山と言えば、どらやきも美味しいです。

 やっぱり、食いしん坊の私にとって、秋は、味覚、食欲の秋です。
 今日は、初物の栗を茹でて、頂きました。
 秋の収穫に感謝です。

 

2019年5月6日月曜日

令和元年 端午の節句

令和元年5月5日 端午の節句

 令和元年の最初の節句が端午の節句となった。
 前日の一般参賀の
今上陛下のおことばの力強さと快い響き……。
 それがこの良き端午の節句と結びついているような気さえした。

 鎌倉時代から伝わるこの日本の行事が、今日そのまま引き継がれているのは、素晴らしことだと思う。端午の節句の起源は中国にあるが、柏餅を頂く習慣は、日本独自に発展したと言う。それも、武家社会で、柏の木は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから、子孫繁栄で縁起が良いということで始まったそうだ。いずれにしても美食の国、日本。「花より団子」か「花も団子も」か、食いしん坊の多い国。こし餡、粒あん、味噌、と色々と柏餅を楽しんで頂きたい。

BGMは、♪
やねよりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとうさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる ♬

作詞:近藤宮子

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 都会では、マンションが立ち並び、こいのぼりを見る機会、飾る機会が少なくなってしまった。地方に行くと、大きな川の上や広い公園で、新緑にまぶしいように泳ぐ鯉たち。
 「こどもたち」と、こどもがたくさん賑やかにいる姿が元氣一杯だが、
今の日本は?
 子供の日に総務省が出した統計を見ると、何だか寂しくなる。
以下のサイトを参照してほしい。47都道府県のうち東京のみ「こども人口」が増えたが、それは東京の人口が増えたからにすぎず、こどもの割合は増えていない。こどもの割合は先進国でも最低? 鯉のぼりからそのうち「こどもたち」が少なくなってしまう?

https://www.stat.go.jp/data/jinsui/topics/topi1091.html#aI-1
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気分転換に、もう1つの「鯉のぼり」の歌を聴いてみよう。

♪ 甍(いらか)の波と 雲の波
重なる波の 中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる 朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり
開ける広き 其の口に
舟をも呑(の)まん 様見えて
ゆたかに振(ふる)う 尾鰭(おひれ)には
物に動ぜぬ姿あり
百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
忽(たちま)ち竜に なりぬべき
わが身に似よや 男子(おのこご)と
空に躍るや 鯉のぼり ♬
作詞:不詳/作曲:弘田龍太郎-----------
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 美しい日本の風景で始まる「甍の波」……。
 一番しか知らなかったが、最後は、鯉が竜に変身?
 実は、今時のCGっぽい、凄いお話。きっと、鯉のぼり、宇宙まで、月まで登って行くのだろうなあ……。楽しみである。少し元氣が出た。
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そして、もう1つ、食いしん坊には、ちまきが登場する歌を!
柱のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
計ってくれた 背のたけ

きのうくらべりゃ 何(なん)のこと
やっと羽織の 紐(ひも)のたけ
柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ

雲の上まで 顔だして
てんでに背伸(せのび) していても
雪の帽子を ぬいでさえ
一はやっぱり 富士の山 ♬
作詞:海野厚
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 これも一番しか歌ったことがなかった。この作詞者の海野厚さん、7人兄弟の長男で妹3人、弟3人いたそう。でも、結核で28歳で亡くなられている。
 今は人生100歳時代。高齢化時代は悪いことではないが、元氣でありたい。
鎌倉時代の武家社会から始まった端午の節句。最後は、花菖蒲(アヤメ科)と葉菖蒲(ショウブ科)をお見せします。葉菖蒲は薬草の効果があるので菖蒲湯に入ると丈夫になるというのはその通りのようだ。もう1つ、「尚武」(しょうぶ)とは、武を重んじるという意味で、武士が好んだそうだ。




2019年1月31日木曜日

皇太子殿下のフランス行啓の足跡を訪ねて(2)

 2018年11月9日、私は、フランスの第2の都市、美食(グルメ)で有名なリヨンにいた。この日の目的は、二月ほど前の皇太子殿下の行啓時に、リヨンの市庁舎で行われた午餐会の担当をされたシェフ、ギ・ラソゼ(Guy Lassausaie)氏にインタビューすることだった。パリ在住の友人Tomokoさんが予約をして、インタビューの承諾も得てくれた。
 ギ・ラソゼ氏のレストランは、リヨンの郊外、車で30分位の田舎町にある。100年以上続く老舗の、ミュシュラン2つ星のレストラン。ユーバー(Uber:ネットで予約し値段も事前に決まるタクシーとハイヤーの間くらいの存在、米国で始まりフランスでも普及)を呼び、車を走らせ、予約時間の1230前には余裕で着いた。村にとって、このレストランの存在は大きい。何と、家族の名前がパス停にも付いていた。



皇太子殿下を歓迎してのリヨン市庁舎での午餐会のメニューは、一部フランスのメディアで報道されたが、全部は出ていなかった。「どんなメニューを、どのように選ばれたのですか。」と伺うと、当日のメニューを出してきて下さった。日本の外交団と相談しながら、あまりこってりしずぎないように、地元の食材を使用して選択されたそうだ。
 当日は、皇太子殿下とも会話を交わしたそうだ。初めは緊張してどうしようかと思ったが、「とても気さくで丁寧な方でした。地元食材のことを聞かれ、ご説明しました。」と話して下さった。私達が、昼食のコース料理を頂いていると、さりげなく、お給仕するスタッフの方が、「シェフから一皿サービスです。」と、
皇太子殿下にもふるまわれた、カエルとセップ茸のお料理が出された。本物の卵の殻を割った中にお料理が詰めてあり、卵の殻を割らずにきれいに切り準備するだけでも「匠」の技だと思った。
 ギ・ラソゼ氏のレストランには、日本のシェフたちも研修に来ると言う。そして、ギ・ラソゼさんは、年に最低2回は日本に行くそうである。彼が監修するレストランが大阪に存在する。こんな美食の日仏交流である。




 そして、もう一つ、ギ・ラソゼ氏のレストランで発見があった。デザートの時に、コーヒー、紅茶が出て来ないので、あれっと思っていた。すると、席を移して、団らんしてお茶はすることになっていた。そのラウンジ的な壁にシェフたちの調理する姿やフランスの風景の絵が飾ってあった。インタビューや素敵なおもてなしへの御礼に、私が拙著『オリンピックと日本人の心』を、「日本語ですが……。」と渡すと、ギ・ラソゼさんからも「家のレストランのことを学んで下さい。」と立派な本を頂戴した。それをめくると、最初のページにFoussaro(フサロ)と、画家フサロのサインが現れた。フサロは、リヨン出身画家で、ご高齢で健在であることは知っていたが、まさか、このレストランで出合うとは思わなかった。ギ・ラソゼさんに伺うと、「古くからの友人。ここに飾ってある絵は、全て彼のもの。」と言われた。
 美食と美術、フランスは日本と通ずる芸術の国である。私の旅は、まだまだ続く。






2018年11月1日木曜日

美食外交

 今日はハロウィーン。カボチャ・パイに、パンプキン・スープ、それともかぼちゃの煮物?「Trick or Treat」(いたずらかおもてなしか)、もちろん、「おもてなしを」と言って、子供達がもらうのがキャンディーやお菓子。やっぱり食いしん坊、誰でも美味しいものが好き、食欲の秋です。
 先日、アラン・デュカス(Alain Ducasse)のドキュメンタリー映画、「宮廷のレストラン」を観た。アラン・デュカス氏は、今年亡くなったジョエル・ロビュション(Joel Robuchon)と並ぶ世界最高峰のフランス料理のシェフ。世界中に星付きのレストランを有す。彼がヴェルサイユ宮殿内に新しいレストランを開店する過程が映画化された。

 私は、アラン・デュカス氏の行動の様々な側面い感動し、感激し、元氣をもらった。
1 まず、彼は、徹底的に素材にこだわる。それも、自然を大切にする。「自然な美食」(la gastronomie de la naturalite)を追求し、自ら畑に出て、その場で野菜でも何でもかじる。
2 世界中、地球の果てまで行って探求する。映画では、日本に始まり、米国、ロンドン、中国、モンゴル、フィリピン、ブラジルと渡り歩くDucasse氏の姿があった。中国では、イランの技術を取り入れたキャビア養殖場を訪ね、ブラジルでは、チョコレートの素ととなるカカオの森林に入る。徹底した現場主義である。
3 人を大切にする。各地で、かつての教え子、弟子たちと会う。アメリカ人も、イタリア人も、フィリピン人も、皆、彼を尊敬し、彼に感謝する。フィリピンでは、スラムにも行く。料理人育成学校では、毎年、恵まれない若い人達に奨学金を出している。そして、全員、一定期間、パリで研修させる。メセナ(CSR)の一環かもしれないが、若い人達と肩を並べるグランド・シェフには愛情が感じられた。
4 妥協をしない。どこの国に行っても、どのレストランに行っても、すぐ厨房に入り、味見をして、チェックを欠かさない。各レストランのショフは、デュカス氏が現れると緊張している。気を抜けない。でも、真剣勝負。褒められると嬉しい。
5 アランは日本がお好き。毎年、4-5回来日すると言う。自分のレストランに寄るのはもちろん、日本食の小さなお店も訪れる。京都も好きだ。カウンターで気さくに食事をする。卵丼に山椒をかけたり、吟味した材料(なまこ?)を見ながら天ぷらを食したり……。カウンター越しに、日本人の料理人と会話を楽しむ。
6 アラン・デュカス氏は、レストランで一般客に美食をふるまうだけでなく、VIPや大きなパーティで外交を支える。オランド大統領の時には、気候変動の国際会議COPが開催されるのを聞き、いかに食事を倹約してリサイクルして提供できるかを会議の晩餐会で試したいと提案する。実現はしなかったが、ヴェルサイユ宮殿での晩餐会では、各国大使を相手に、自らも外交をする。
 ビジネスでも外交でも、空腹で交渉するものではないと言う。人間、空腹では不機嫌、やはり美味しい物を食べたり、美しい物を見たりすれば、誰しも幸せ気分である。
 外交にとって、食文化は非常に重要な要素。だからこそ、気も遣うが、フランス人や日本人は、口にうるさいだけに、美食外交は得意とするところだろう。
 美食は、外交の1つの武器である。
外務省のサイトに面白いページを見つけた。「公邸料理人」、外交を蔭から支える縁の下の力持ちである。Japan is Delicious! 「日本は美味しい!」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/zaigai/ryourinin.html