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2018年12月22日土曜日

師走の静けさ

 平成30年(2018年)師走の一日(19日~20日)、東京の雑踏、雑務から逃れた。
家事、会合等から離れて、溜まっていた書き物、読み物を進めるために、静かな所に身を置いた。本を読みながら、PCに向かって筆を進めた。
 静かな夜。シーンとした冬のきれいな空気を一生懸命に吸った。澄み切った空を見上げていたら、自然と一句、詠めた。

平成に めでる 呉竹 のびやかに
    名残の紅葉湯 照らす月かな

 美しい夜だった。宇宙に感謝する。そして、自然の営みに、有難う。


 


 


 
 

2018年12月18日火曜日

Just one week before the Christmas Eve

Just one week before the Christmas Eve,
I've just finished the decoration of our Christmas tree at home.
Usually, children do this job, but this year, they are busy for preparing the entrance exams of Universities which start in January next year 2019.
So, I was alone setting up our Christmas tree and putting different ornaments on it ;
some I had bought in the Christmas market in Salzburg several years ago,
one special of the White House I had received from one friend having worked in the US Embassy, etc......lots of memories...
When I finished the decoration, I found an e-mail coming from friends in Italy, saying:
We wish you a Merry Christmas!!

On December 8, I was listening to the piano concert for Christmas, and a pianist, Madame Nishikawa played the Spruce of Sibelius. She explained that people believed the fairies living in the spruces.
Spruces are green all the time, even in the winter time, so it symbolize the eternal life.
I spent the New Year's Day of 2017 in Helsinki, Finland where Sibelius comes from.
The temperature was  -18 C and los of snow in a short time, dark until noon, and dark after 1400pm.
The Spruce of Sibelius was harmonizing the landscape and people in Finland.
I loved it.
A spruce candle arranged by Kuniko


クリスマスの準備

クリスマス・イブまで1週間。
やっと掃除を終えて、家のクリスマス・ツリーを飾った。
いつもは子供がしてくれるが、今年は受験生と準受験生。
静かに、一人で飾り付け。お手製のリースを一年振りに出したり、
かつてザルツブルクのクリスマス・マーケットで求めた木製の飾りを眺めたり、
昔米国大使館に勤めていた友人から頂いたホワイト・ハウスのオーナメントを取り出したり……懐かしい時間だった。
そして、そんな最中に飛び込んできたのが、イタリア人の友人からのメール:
Wishing you A Merriy Christmas!
何というタイミング。
そう言えば、12月8日、シベリウスの「樅木」(もみの木)を演奏されるピアニストの西川さんのお話を聞いた。樅木にようなは、木の妖精が宿る、生命が宿ると、人々は信じていたそうである。今でも、一年中、冬でも青々している樅木は、そう思われている。シベリウスは、フィンランド出身の作曲家。2017年の元旦、私は、そのフィンランドのヘルシンキにいた。摂氏マイナス18度で、あっと言う間に雪が積もり、昼まで暗く、午後2時には夕方の景色。そんな所でのクリスマスと樅木。キャンドルの明かりが温かさを増し、永遠の生命を象徴する樅木。シベリウスの調べが心地よい。

2018年12月13日木曜日

音楽の力

 本ブログ2018年8月21日付で、私は、「芸術はなぜ必要か」ということを書いた。
今日は、音楽の力について述べたい。
音楽の醍醐味は、芸術の1つの表現として、美しい音楽を聴くと、心が癒されたり、元氣が出たりする。が、その他に、音楽にはそれ独自の力がある。その主なものを2つ挙げたい。
 1つは、音楽には人と人とをつなげる力がある。普遍的言語とも言えるが、それ以上に、同じ音楽を聴いた人同士で共感したり、音楽を話題にして自然と会話が弾んだりする。
 私が20代の後半の独身時代、パリで一人暮らしをしている時に、よく音楽会に行った。サル・プレイエルという音楽ホールでパールマンのヴァイオリンを聴きにコンサート当日に思い立って行ったり、シャンゼリゼ劇場にチャイコフスキーの交響曲を聴きに行ったりした。音楽会が引けてパスで帰宅する途中、プログラムを持っている私に、知らないフランス人のおば様が声をかけてきた。「あら、あなたもこれ聞いたの。素晴らしかったわね。」すると、そばにいた紳士も、「良かったねえ。そういえば、日曜の朝にもコンサートやっているよ。今度はヨーヨーマが出るよ。」とか、音楽談義が、知らない人同士でも盛り上がる。音楽の好きな人に悪い人はいない気がした。
 また、ある時は、パリでヴァイオリンを持ってバスに乗っていたら、隣の老婦人が話しかけてきた。「あら、、ヴァイオリン弾かれるの。私のところに、ある知り合いから託されたストラスヴァリウスがあるのよ。」と。ストラスヴァリウスはヴァイオリンの名器で高価な貴重なもの。それを有するなんてすごい話だが、私はヴァイオリニストでも何でもない。ふうんと頷いて聞いているしかなかった。
 でも、音楽がなければ、こんな見知らぬ人々との会話もない。音楽は心の垣根をなくしてしまう魔法のようなものかもしれない。
 もう1つの音楽の力は、音楽は、言語で表現できない人の感情や心の中を表すことが出来る。例えば、一言で悲しいと言っても、それは、悲劇的な悲しさか、虚しさか、儚さか、ぽろぽろ涙が出るものか、しくしく泣きたくなるものか、わーんわーん叫びたくなるものか、その間の微妙な感情は、言葉ではなかなか語れないことがある。しかし、音楽では、それが表現できるような気がする。私には、そのような才能はないが、音楽を聴いていると、その響きから、何か人々の感情や思い、叫び、うねり等々を感じることが出来る。
 そういう音楽が人の心に響き、感動を与える。2011年3月11日の東日本大震災の後もそうだったし、第二次世界大戦中、廃墟になった欧州の街の広場で近衛秀磨が指揮したオーケストラもそうだった。
 生の音楽は、その時の一瞬しか聴けない。やり直しもきかない。だからこそ、その時、その音を共有することの親近感、共鳴のようなものがあるのだろう。
 
 今日、こんなことを綴ったのには、わけがある。島根県松江市出身で、ウィーン音大で長年学んだヴァイオリニスト、吉田美里さんと出会ったからだ。まだ彼女の演奏は聴いたことはないが、目がくりくりして明るく華やかな雰囲気が印象的だった。お母様も素敵な方だった。吉田美里さんは平和を奏でたいという。そして日墺交流150周年の来年、故郷の島根県出雲大社で、コンサートを行うそうである。どんな響きで神々を驚かせるか、今から楽しみである。♪♬♡
 

2018年12月2日日曜日

第一次世界大戦終結100周年をパリで迎えて

 2018年11月11日11時、パリで第一次世界大戦100周年記念式典が開催された。
100年に一度の行事、日本も戦勝国の一員、私はパリに赴き、凱旋門のふもとで、その時間と空間を、世界70か国の首脳達と共有した。


 パリに行って初めて気づいた。この日の主役は、マクロン大統領でもトランプ大統領でもない。それは、100年前のその日、フランスの首相を務めていたジョルジュ・クレモンソ(Georges Clemenceau)だった。
 
 11月11日の前夜祭10日と当日の二日しかやらないミュージカルの題名は、「クレモンソ」。フランス国家に尽くした軍人や文豪、偉人等の棺が安置されているパンテオンに行くと、そこではクレモンソの特別展が開催されていた。
 10日のミュージカルは、よくコンサート等も開催されるパレ・デ・コングレで行われた。大きなホールがフランス人の家族、友人等でいっぱいだった。若い人も多かった。周りを見る限り満席。歌の上手い人気の格好いい俳優も出演していた。フランスは、第一次大戦では第二次世界大戦以上の犠牲者を出している。その戦争をミュージカルに仕立てたわけだ。愛する人に、若い将校が、「戻ってくる。約束するよ。」と歌いながら語るシーンは、日本も同じだったと思いながら、ジーンときた。そう言いながら、激しいドイツとの戦いで、戻ってくることがなかった青年たち。フランスの「14-18戦争」は、日本の「大東亜戦争」か。ドイツ軍が初めて毒ガスという化学兵器を使用した戦争と、米国が初めて原爆という大量破壊兵器を使用した戦争……。

 ミュージカルの最後は、米国の参戦で勝利し、明るく終わる。フィナーレで、役者さん達が出て来ると、観客の大きい拍手。一部の人は立って拍手。その後、アンコールのように、舞台からかどこからか、フランス国歌「マルセイエーズ」が歌われ始めると、座っていた観客も、一人残らず総立ちとなり、皆でマルセイエーズを合唱し始めた。その心の団結は、1つの方向を向いていた。フランス人としての誇り、歴史、国家に尽くした人への哀悼と尊敬、そして希望をもって前に進む自信。愛国心が湧き出た会場となった。
 翌11月11日は雨だった。100周年の記念式典は11時からだったが、フランス大手メディアは8時から実況中継するという。私と友人も、8時半すぎにはホテルを出て、凱旋門に向かった。既に、式典に参列する軍人さん達が到着して、整列して凱旋門の方に進んで行った。それを目の前に観て、感激。



雨の中、多くのフランス人、外国人たちも集まってきた。子供を前に行かせる等、譲り合った。私の右隣に、勲章を付けているフラ
ンス人がいたので尋ねてみた。フランスで長年ジョンダルムリ(la Gendarmerie、警察と軍の間のような組織)に勤めていて大統領に表彰されたそうだ。
 左隣には、小さな子供がヘルメットをかぶって兵隊さんの格好をして式典を見ていた。後ろにいたフランス人の背の高いおじさんは、「ほら、トランプ大統領が来たよ。」、「マクロン大統領だよ。」とか「フランス国歌が歌われている。」等、傘をさしながら、私をつついて教えてくれた。 

 マクロン大統領の演説の後、オーケストラからチェロの音が厳かに聴こえてきた。秋の凱旋門に雨の中、美しい音色を響かせた。それから歌……。

Tomoko撮影
とにかく濡れて寒かった。後ろの人の傘の雫が袖に入ってしまった。足早に凱旋門を後にした。厳戒態勢のもと、地下鉄にろくに動いていなかった。が、降りた駅の目の前がギメ美術館。ちょうど、明治時代の特別展をやっていた。それから、外国人が多く住む13区ああたりにあるベトナム人のお店でフォーを頂いて温まり、クレモンソ展をしているパンテオンの向かった。



クレモンソは、第一次世界大戦時の首相としてフランスでは有名だが、日本では意外と知られていない。が、実は、日本の歴史上重要な人物と親交があった。西園寺公望がフランス留学中、クレモンソと同じ下宿にいたと言われる。そして偶然にも、第一次世界大戦の終結に関するパリ講和条約締結の会議では、クレモンソが議長を務め、西園寺は日本の代表団の全権の一人だった。また、クレモンソは、多くの日本人が好む印象派の画家モネの親友だった。上記のミュージカルでもパンテオンの特別展示でも、クレモンソの物語には、必ずモネが登場する。そのモネに絵を習っていたのが、パリ留学時代の東久邇宮稔彦王で、モネはクレモンソに、東久邇宮を紹介する。東久邇宮は1945年、太平洋戦争終戦直後の内閣総理大臣だが、日米開戦には、日本は到底かなわないと反対していたと言われる。きっと、クレモンソから、米国がいかに強く自分達フランスを第一次世界大戦でドイツから救ってくれたかを、聞いていたに違いない。
 それにしても、モネもクレモンソも日本が大好きだったようだ。モネの住んでいたジベルニー(パリ近郊)の家に行くと、浮世絵が飾ってあったり、お庭に日本風の橋や睡蓮の池がある。クレモンソに関しても、日本の美術品を収集していたようで、モントリオールに、クレモンソ・コレクションとして納められているらしい。いつか見に行ってみたい。