2018年11月1日、国土交通省・海上保安庁主催の灯台150周年記念式典がパレスホテル東京で挙行され、参列する機会を得た。式典には、皇太子同妃両殿下がご臨席された。妃殿下のご臨席は式典開始の1時間程前に正式に決定したそうだが、両殿下お揃いでのご臨席は、灯台150周年式典をより華やかなものにした。私もとても嬉しかった。
同式典において、皇太子殿下は、次のようなおことばを述べられた。
「我が国における灯台を始めとする航路標識の整備が,政府事業として明治元年に始められてから満150年を迎え,その記念式典が挙行されることをうれしく思います。
灯台は,内外多数の船舶にひとしく利用され,日夜,船舶交通の安全を守る大切な使命を担っていますが,その背景には,創業当時から,常に最新の技術と創意工夫とによって,航路標識をより見やすく,信頼性のあるものへと改善してきた歴史があります。そして,孤島やへき地といった厳しい環境にも耐えて灯火を守り,航海の安全に尽くしてこられた多くの人々の絶え間ない御苦労があったことを忘れることはできません。
私自身,4歳の頃,両親と共に初めて千葉県に旅行した際に野島埼 灯台を訪れました。その後も幾つかの灯台を訪ね,灯台に課せられた重要な使命を感じることができました。また,灯台守を描いた「喜びも悲しみも幾歳月」の映画や歌の歌詞も印象に残っております。これまで,過酷な環境の中で任務を果たされてきた灯台守の方々に心から敬意を表します。(下線筆者)
近年の航路標識は,技術の進展によって著しく近代化が進み,海上安全情報の提供や,海上交通の管制等によって,海の安全・安心の確保に一層寄与していると聞いております。
この機会に,過去150年にわたる先人の業績と関係者のたゆみない努力に敬意を表するとともに,灯台を始めとする航路標識が,今後とも船舶交通の安全確保に貢献し,我が国を囲む海が一層安全で,美しく,豊かであることを願い,式典に寄せる言葉といたします。 」
(宮内庁ホーム・ページより)
皇太子殿下のおことばの後、ピック駐日フランス全権大使が祝辞を述べられた。何故、フランスの大使かと言うと、150年前の日本初の洋式灯台の建設に携わったのが、フランス技師、フランソワ=レオンス・ヴェニエ氏だったからだ。ヴェニエは、皇帝ナポレオン3世の任命で日本に派遣され、横須賀造船所の建設に関わっていて、明治政府の要請で、灯台の着工も行なった。今年は、明治維新から150年でもあり、明治元年に、日本はフランスの技術を借りて近代様式の灯台を建て、海を照らして、日本の安全を守り、海洋国家として発展してきた。本年は、日仏国交樹立160周年でもあり、7月14日には、自衛隊がフランスの軍事パレードに参加し、皇太子殿下は9月7日からフランスに行啓された。安倍総理も10月に訪仏された。これらを受け、ピック大使は、灯台が船を導き、未来の道を示すように、日仏交流が未来永劫に発展するように、との祝辞を述べられ、最後を、日仏交流に「栄光あれ!」と日本語で締めくくった(原語はフランス語で逐次通訳あり)。
150年前の1868年11月1日に着工された日本初の洋式灯台は、横須賀の観音崎灯台である。現存のものは関東大震災で破壊され建て替えられたものだそうだが、全国には、明治期に造られ今でも運用されている灯台が64基もあると言う(全国合計は約300基)。いかに先人達の技術が高く、かうそれを維持・発展させてきた灯台守達が素晴らしかったかが想像できる。そのうち、現在でも特に優れているAランクの灯台として23基が指定され、それらには、例えば、犬吠埼灯台、金華山灯台等がある。1つ興味深かったエピソードは、当時
、灯台建設に対して、海を照らすと魚が減ってしまうのではないかという懸念から、漁師たちから灯台建設即時停止の運動があったそうだが、実際灯台が竣工した後、鰹が豊漁になり、漁師たちは安心したということだ。
灯台150周年記念式典の後、懇親会が開かれた。そこには、小学生、中学生等も家族と来ているのが見受けられた。愛知県や和歌山県、長崎県等、各地から、灯台絵画コンテスト受賞者が来ていた。素晴らしい絵画が会場前の廊下に飾られていた。
この子供達一人一人が、未来を照らしてくれる役割を担ってくれるのだろう。そんな気がして、会場を後にした。
灯台は,内外多数の船舶にひとしく利用され,日夜,船舶交通の安全を守る大切な使命を担っていますが,その背景には,創業当時から,常に最新の技術と創意工夫とによって,航路標識をより見やすく,信頼性のあるものへと改善してきた歴史があります。そして,孤島やへき地といった厳しい環境にも耐えて灯火を守り,航海の安全に尽くしてこられた多くの人々の絶え間ない御苦労があったことを忘れることはできません。
私自身,4歳の頃,両親と共に初めて千葉県に旅行した際に
近年の航路標識は,技術の進展によって著しく近代化が進み,海上安全情報の提供や,海上交通の管制等によって,海の安全・安心の確保に一層寄与していると聞いております。
この機会に,過去150年にわたる先人の業績と関係者のたゆみない努力に敬意を表するとともに,灯台を始めとする航路標識が,今後とも船舶交通の安全確保に貢献し,我が国を囲む海が一層安全で,美しく,豊かであることを願い,式典に寄せる言葉といたします。 」
(宮内庁ホーム・ページより)
海上保安庁交通部『海を照らして150年』より |
150年前の1868年11月1日に着工された日本初の洋式灯台は、横須賀の観音崎灯台である。現存のものは関東大震災で破壊され建て替えられたものだそうだが、全国には、明治期に造られ今でも運用されている灯台が64基もあると言う(全国合計は約300基)。いかに先人達の技術が高く、かうそれを維持・発展させてきた灯台守達が素晴らしかったかが想像できる。そのうち、現在でも特に優れているAランクの灯台として23基が指定され、それらには、例えば、犬吠埼灯台、金華山灯台等がある。1つ興味深かったエピソードは、当時
、灯台建設に対して、海を照らすと魚が減ってしまうのではないかという懸念から、漁師たちから灯台建設即時停止の運動があったそうだが、実際灯台が竣工した後、鰹が豊漁になり、漁師たちは安心したということだ。
灯台150周年記念式典の後、懇親会が開かれた。そこには、小学生、中学生等も家族と来ているのが見受けられた。愛知県や和歌山県、長崎県等、各地から、灯台絵画コンテスト受賞者が来ていた。素晴らしい絵画が会場前の廊下に飾られていた。
この子供達一人一人が、未来を照らしてくれる役割を担ってくれるのだろう。そんな気がして、会場を後にした。
https://www.youtube.com/watch?v=ZOajn-4eTEo