2020年7月24日は、スポーツの日の祝日だった。
1964年10月10日の東京オリンピックの開会式にちなんで出来た「体育の日」の祝日に倣って、東京オリンピック2020年の開会式が開催される予定だった。
それが、新型コロナウィルスの世界的感染拡大で、3月24日に東京オリンピック・パラリンピックの1年延期が決まった。
3月20日には、ギリシアから聖火が宮城県東松山市の航空自衛隊の松島基地に到着し、式典が挙行された。
https://www.youtube.com/watch?v=xLnXnkfh1Lw
ブルー・インパルスも、青空を舞った。
https://www.youtube.com/watch?v=ajLzLuywdek
そして、この聖火は、宮城県、岩手県、福島県と、東日本大震災の最大の被災地を、「復興の火」として2日間ずつ回り、3月26日から福島県からスタートする聖火リレーを待つばかりのタイミングだった。
それからちょうど4か月。新型コロナウィルスの感染拡大は、止まない。国によっては、第一波のピークも見えず、日本でも第二波が起きている。
そんな中、昨日7月23日、来年の東京オリンピックの開会式一年前ということで、新国立競技場にて、静かに、しかし高らかに、世界に向けてメッセージが発出された。
ただ一人、真っ白の衣装をまとった、白血病と闘いながらオリンピックへの出場を目指している競泳の池江璃花子選手。
https://tokyo2020.org/ja/news/videos/one-step-forward-plus-one-message-ja
困難な時だからこそ「希望の力」が必要、とても心を打った。
困難から逃げずに、感染症と闘う医療従事者の態度や精神力は、自らの体力や限界と闘うアスリート達の精神力とも通じるものがあるような気がした。
池江選手の素直な気持ちが、心に響いた。来年に向けて、私達がするべきことは何だろうか。日本が、日本人が、世界に向けて、希望を発せられるだろうか。真の意味の「おもてなし」は、どういうことだろうか。
池江選手の一言が、多くの勇気と希望を与えてくれた。
私達日本人一人ひとりが、世界のアスリート達を、東京オリンピック・パラリンピックの舞台にお迎えしたい。そのために、聖火は、日本の福島で灯っている。
東京202+1、この「+1」を、世界のために生かしませんか。
2020年7月24日金曜日
海の日:「海洋国日本の繁栄」
今日、2020年7月23日は海の日の祝日でした。
2003年の「ハッピー・マンデー制度」から7月の第三月曜日が海の日の祝日になっていますが、今年は、新型コロナウィルスの感染拡大がなければ、明日7月24日が東京五輪の開会式でスポーツの日の休日になり、その前日に海の祝日が来ました。
でも本来、海の日は7月20日なのです。それには意味があります。
ちょうど10年前の2010年、私は、あるところで、7月20日がなぜ海の日なのかの理由を書いていました。
そして、今から16年前、2004年7月、私は、「政策空間」という当時存在していたネット上の政策提言サイトに、「海洋国家日本の戦略」と題する論考を投稿しました。そこでは、56年前の1964年(初めての東京オリンピックの年でもある)に高坂正尭先生がお書きになった「海洋国家日本の構想」を引用している。今でも示唆に富む内容である。
現在、日本周辺の海洋は、穏やかではない。海の安全も、漁業資源の保護や鉱物資源の開発も、さらには海洋環境も、さまざまは方面から脅かされている。
そんな海から数々の恩恵を受けて生きながらえてきた日本人。これからは、美しく平和な海を保つために不断の努力をしなければならない、そんなことを考える海の日でした。
7月20日、日本文化チャンネル桜の「フロント・ジャパン桜」の番組がありました。
「海の日」のこと、尖閣諸島や沖ノ鳥島にも触れました。どうぞ、ご覧下さいませ。
2020年7月1日水曜日
香港よ、永遠に―――。
本日2020年6月30日は、香港基本法で2047年まで保証されるはずだった「一国二制度」が終焉した日と、世界は記憶するだろう。
香港で民主化を推進してきた人々は、涙を呑んで、民主派政党を解散させ、そこからの脱退を公に宣言して、明日からの新たな社会で、生活の生き残りをかける。「生きている限り、希望がある。」「絶望の先にも、きっと希望が。」、淡々と語る彼らの姿勢と、今までの行動に敬意を表したい。そして、彼らの生きる今後の世界が、より自由で民主主義的かつ思いやりのある社会になるよう、私達1人1人が努力すべきだろう。
私が初めて香港の地を踏んだのは、丁度40年前の1980年の12月。ガール・スカウト(香港では、「女童軍」と記していた)の国際行事、International Gatheringに参加するためだった。テーマは、東西文化交流、East-West Encounter。当時の香港は、英国の統治下で、至る所で異国情緒を感じることができた。島にある大きなキャンプ場で、世界各地から集まったガールスカウト、ガール・ガイドの友人達と寝泊りし、仲良くなった。香港の友人が、きれいな英語で、寝る前に「清しこの夜」Silent Night, Holy Niightを歌ってくれたのを覚えている。朝起きた時の挨拶、「ゾウ(早)サン」は、発音が「象さん」と似ていて、すぐ覚えた。それから、有難うを示す「多謝(トウチェイ)」も好きでよく使った広東語である。北京語の「謝謝(シェイシェイ)」よりも、もっと感謝がたくさん多くある意味合いで気に入った。キャンプ場で食べた朝ごはんの御粥の味と雰囲気も忘れられない。チキンの骨を取り出しながら、鶏だしのきいたお粥を外で頂いた。12月だが温暖だった。香港人の友人とたくさんと過ごし、とにかく楽しかったが、キャンプ場で、ふっと英国統治を感じることがあった。閉会式が開催された広い運動場にヘリコプターで降り立ったのが、西洋人のシルバー・グレーの紳士。行事のスポンサーや主催者等「お偉さん」も、生粋の香港人ではない方が殆どだった。
2度目の香港訪問は、1995年。第二次世界大戦後50周年の年。そして、翌1996年夏にも、香港を訪問した。偶然、終戦記念日のパレードにあたった。一緒に見学していた中国専門家の友人が、「来年からは、人民解放軍がパレードするようになるのかなあ。やな感じ。」とつぶやいていたのを思い出す。
1997年7月の香港返還。ユニオン・ジャックが下された。そこから「一国二制度」が始まった。サッチャー英首相と鄧小平主席が交渉した香港基本法。本当は、英国は香港全土を返還する義務はなく一部は維持できたが、当時の英国は景気が良いとは言えず「小さい政府」で香港の維持費も節約したかったのだろう。長い交渉の後、サッチャー首相は、鄧小平主席のことを「タフ・ネゴシエーター」と呼び、ふらついたと言う。香港の民主制度と経済上の特別な地位は、50年間、すなわち2047年まで続くはずだった。国際社会は、中国も改革開放で資本主義を導入すれば民主化されると幻想を抱いた。結果は、逆だった。中国は外国資本や技術を導入し、資本主義の市場を相手に、著しい経済発展をし、それをもとに軍拡も推進し、共産党の力を増強した。1989年6月4日の天安門事件に見るように、中国内でも若者を中心に民主化運動はあったが、その都度、弾圧されてきた。1989年の天安門の時、弾圧から逃れ西側に亡命しようとする中国人たちを助け、その出口となったのは香港だった。
2011年12月、香港返還から約15年たった香港を再訪した。空港に到着した途端、すぐに中国化したことがわかった。近代化した大きな建物で出迎えてくれたのは、大陸の舞踊団の舞。入管の人の態度も何となく冷たかった。j街中もすっかり変わってしまった。異国情緒というよりも開発、開発。とにかく建物が乱立し、ブティック等が入った近代建築が所狭しと並んでいる。一方、意外と英語が通じづらくなっていたり、夜になるとバス停前で大陸から来た人が新聞を売ったり、公害や通りのごみ等が目立ったりした。香港では、何年か先まで、病院の出産予約がいっぱいだと聞いた。大陸の人達が、何とか「香港ステータス」を得て、いざという場合に備えたいのだろう。
そして2014年の香港の雨傘運動。民主化、「一国二制度」崩壊の危機を、香港の人達は、6年前に分かっていた。それでも中国の共産党は強硬姿勢を変えるどころか強めた。昨年2019年、香港人の為の香港人による司法制度が瓦解されることへの反発から、平和的デモは始まった。香港人の団結は長く続いた。しかし、共産党中央政府は、たがを緩めず、国際的には不評の「香港国家安全法」を通し、とうとう「一国二制度」は終焉した。
香港の人々は、民主派政党を解散し、表向き共産党制度を受け入れる選択をした。生き残るための知恵、苦渋の選択だっただろう。国際社会は、民主的香港を助けることは出来なかった。
今から約150年前、1873年に書かれたアルフォンス・ドーデの「最後の授業」が思い出される。フランスのアルザス地方がドイツに割譲されることになった時、授業の最後、先生は黒板に、フランス語で、Vive la France(フランス万歳)と大きく書いた。
この23年間の香港の「一国二制度」の歴史を、私達は忘れない。
香港よ、永遠に―――。
多謝
今日6月30日は、日本では、「夏越の大祓い」にあたる。今年前半の天下万民の罪や厄を御祓いして、今年2020年の後半を健康、清らかに過ごせるようにする。新型コロナウィルスの感染も止まないが、まずはお祓いして、明日から、新たな気持ちで生きよう。
香港で民主化を推進してきた人々は、涙を呑んで、民主派政党を解散させ、そこからの脱退を公に宣言して、明日からの新たな社会で、生活の生き残りをかける。「生きている限り、希望がある。」「絶望の先にも、きっと希望が。」、淡々と語る彼らの姿勢と、今までの行動に敬意を表したい。そして、彼らの生きる今後の世界が、より自由で民主主義的かつ思いやりのある社会になるよう、私達1人1人が努力すべきだろう。
私が初めて香港の地を踏んだのは、丁度40年前の1980年の12月。ガール・スカウト(香港では、「女童軍」と記していた)の国際行事、International Gatheringに参加するためだった。テーマは、東西文化交流、East-West Encounter。当時の香港は、英国の統治下で、至る所で異国情緒を感じることができた。島にある大きなキャンプ場で、世界各地から集まったガールスカウト、ガール・ガイドの友人達と寝泊りし、仲良くなった。香港の友人が、きれいな英語で、寝る前に「清しこの夜」Silent Night, Holy Niightを歌ってくれたのを覚えている。朝起きた時の挨拶、「ゾウ(早)サン」は、発音が「象さん」と似ていて、すぐ覚えた。それから、有難うを示す「多謝(トウチェイ)」も好きでよく使った広東語である。北京語の「謝謝(シェイシェイ)」よりも、もっと感謝がたくさん多くある意味合いで気に入った。キャンプ場で食べた朝ごはんの御粥の味と雰囲気も忘れられない。チキンの骨を取り出しながら、鶏だしのきいたお粥を外で頂いた。12月だが温暖だった。香港人の友人とたくさんと過ごし、とにかく楽しかったが、キャンプ場で、ふっと英国統治を感じることがあった。閉会式が開催された広い運動場にヘリコプターで降り立ったのが、西洋人のシルバー・グレーの紳士。行事のスポンサーや主催者等「お偉さん」も、生粋の香港人ではない方が殆どだった。
2度目の香港訪問は、1995年。第二次世界大戦後50周年の年。そして、翌1996年夏にも、香港を訪問した。偶然、終戦記念日のパレードにあたった。一緒に見学していた中国専門家の友人が、「来年からは、人民解放軍がパレードするようになるのかなあ。やな感じ。」とつぶやいていたのを思い出す。
1997年7月の香港返還。ユニオン・ジャックが下された。そこから「一国二制度」が始まった。サッチャー英首相と鄧小平主席が交渉した香港基本法。本当は、英国は香港全土を返還する義務はなく一部は維持できたが、当時の英国は景気が良いとは言えず「小さい政府」で香港の維持費も節約したかったのだろう。長い交渉の後、サッチャー首相は、鄧小平主席のことを「タフ・ネゴシエーター」と呼び、ふらついたと言う。香港の民主制度と経済上の特別な地位は、50年間、すなわち2047年まで続くはずだった。国際社会は、中国も改革開放で資本主義を導入すれば民主化されると幻想を抱いた。結果は、逆だった。中国は外国資本や技術を導入し、資本主義の市場を相手に、著しい経済発展をし、それをもとに軍拡も推進し、共産党の力を増強した。1989年6月4日の天安門事件に見るように、中国内でも若者を中心に民主化運動はあったが、その都度、弾圧されてきた。1989年の天安門の時、弾圧から逃れ西側に亡命しようとする中国人たちを助け、その出口となったのは香港だった。
2011年12月、香港返還から約15年たった香港を再訪した。空港に到着した途端、すぐに中国化したことがわかった。近代化した大きな建物で出迎えてくれたのは、大陸の舞踊団の舞。入管の人の態度も何となく冷たかった。j街中もすっかり変わってしまった。異国情緒というよりも開発、開発。とにかく建物が乱立し、ブティック等が入った近代建築が所狭しと並んでいる。一方、意外と英語が通じづらくなっていたり、夜になるとバス停前で大陸から来た人が新聞を売ったり、公害や通りのごみ等が目立ったりした。香港では、何年か先まで、病院の出産予約がいっぱいだと聞いた。大陸の人達が、何とか「香港ステータス」を得て、いざという場合に備えたいのだろう。
そして2014年の香港の雨傘運動。民主化、「一国二制度」崩壊の危機を、香港の人達は、6年前に分かっていた。それでも中国の共産党は強硬姿勢を変えるどころか強めた。昨年2019年、香港人の為の香港人による司法制度が瓦解されることへの反発から、平和的デモは始まった。香港人の団結は長く続いた。しかし、共産党中央政府は、たがを緩めず、国際的には不評の「香港国家安全法」を通し、とうとう「一国二制度」は終焉した。
香港の人々は、民主派政党を解散し、表向き共産党制度を受け入れる選択をした。生き残るための知恵、苦渋の選択だっただろう。国際社会は、民主的香港を助けることは出来なかった。
今から約150年前、1873年に書かれたアルフォンス・ドーデの「最後の授業」が思い出される。フランスのアルザス地方がドイツに割譲されることになった時、授業の最後、先生は黒板に、フランス語で、Vive la France(フランス万歳)と大きく書いた。
この23年間の香港の「一国二制度」の歴史を、私達は忘れない。
香港よ、永遠に―――。
多謝
今日6月30日は、日本では、「夏越の大祓い」にあたる。今年前半の天下万民の罪や厄を御祓いして、今年2020年の後半を健康、清らかに過ごせるようにする。新型コロナウィルスの感染も止まないが、まずはお祓いして、明日から、新たな気持ちで生きよう。